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メキシコ医療

 立花が小説を書いた。そして、読んで欲しいと僕にメールで送りつけてきた。彼はメキシコで建築家として働いている。学生時代に旅行で訪れたメキシコにはまり、一度は日本でサラリーマンとして働いていたものの、結局はメキシコで仕事を見つけて移住してしまった。なぜメキシコなのかと問うと「とにかく魅力があるんだ」と彼は答える。僕はそもそも行ったことがないので、彼の熱狂ぶりが分からない。

 

 小説はプリンターで印刷して、その日のうちに読んだ。やっぱりメキシコが舞台だった。メキシコで働く日本人の医者が、いろいろな患者と出会って、人生について考えるという、まあそういう話だった。いかにも感動を誘うような書きぶりがときどき鼻についたけれども、全体としては悪くなかった。医学の知識に怪しいところもあったが、これは医学書ではない。読めば読むほど、メキシコの魅力が十分に伝わってきた。たぶん一人一人にモデルがいるのだろう、登場人物はどれも人間臭く、親しみやすさがあった。読み終わったとき、僕はもうメキシコのファンになっていた。

 

 立花とは大学入学直後から長い付き合いだ。しかし彼に小説を書くような趣味があるとは知らなかった。僕は小説の完成度に驚かされた。このまま本屋に並んでいてもおかしくない、面白かった、と僕は卒直に返事を書いた。それで、この本をどうしたんだい、出版したいのなら相談にのるよ、いちおうそんなことを書いた。僕は小説家だった。もう二年近くなんの本も出せていなかったけれど、ほかの手段で稼いではいなかったから、小説家としか呼べない存在だった。さて、相談にのってほしいと言われたらどうしようか。有効なコネクションなんて何一つない。デビュー作はそれなりに売れて、それなりの人脈も築いたが、ぜんぶ過去の話だった。

 

 立花からの返事はなかった。僕は安堵した。そして自分の小説に頭を切り替えることとした。もっとも、大したアイデアは浮かんでこなかった。ここ数年ずっと同じだ。かつて、まがりなりにも小説を書いていたというのが嘘みたいだった。気がつくと僕は立花の小説を手にとり、読み返していた。よく書けていた。展開に大胆さがあった。頭から捻り出した文章ではない、書きたいことのある人間の書き方だった。急な話の流れもあったが、それを押し切るだけの魅力が登場人物から溢れている。

 

 浅はかにも、僕はそこからなにかアイデアを拝借できるのではないかと考えた。そして実際に試みた。しかし話の筋が舞台設定や登場人物と密接に関係しており、ばらばらにした瞬間に輝きが失せてしまった。その密接さ、一体感こそがこの小説の魅力なのだ。そしてそれこそが僕の作品に欠けているものだった。そう気付いたが、気付かされたからといって、どうにもできるものではなかった。

 

 翌日も、その翌日も彼の小説を読んだ。頭に浮かぶのは彼の小説のことばかりだった。なぜ彼はこれを書けたのだろう、なぜ自分はこれを書けないのだろう。一週間ほど悩んで、僕はいちおう自分の担当ということになっている編集者に、立花の小説を送った。自分の作品にするつもりはなかった。ただ、どんな評価を下すのか見てみたかったのだ。そして編集者は絶賛した。斬新で、魅力的で、売れる要素も兼ねていると編集者は言った。メキシコに行ってたんですか? いつのまにこんな小説を? 書きぶりもだいぶ変わりましたよね? でも、すごく良かったですよ、待ってた甲斐がありました。編集者はそう言った。

 

 あとはもう黙っているだけだった。小説はほどなく書店に並び、編集者の見込みどおりの売行きとなった。堂々たる僕の代表作とあり、そもそも僕の知名度を考えると、名刺がわりの作品になってしまった。処女作だと大勢の人に間違われた。いくつかの文芸賞にノミネートされた。インタビューの誘いが次々と舞い込んだが、編集者に頭を下げてすべて断った。語れることなんてなにもなかった。会う人、会う人が僕を称えた。すばらしい小説を書いたねと。

 

 僕は死にたくなった。

 

 立花から連絡があったのは、そんな盛り上がりの真最中だった。本屋の文芸コーナーには彼の「メキシコ医療」がまだ平積みされている。そんな時に「こんど一時帰国するので会おうよ」と、彼は言ってきた。小説のことはなにも触れられていなかった。僕は自宅で一人考え、今すぐ首を吊るか、彼と話をしてから首を吊るかだと思った。僕は会うことにした。

 

 五年ぶりに会った立花は、すこし太って、だいぶ上機嫌だった。「大きな仕事が決まったところなんだ」と彼は言った。「この仕事が始まると何年も自分の時間がなくなるだろうから、いまのうちに遊びに行こうと思ったんだよ」と。彼がまったく言及しないので、小説の話は僕が切り出すことになった。「読んだよ」と彼は答えた。「メキシコが舞台の小説が日本で売れてるって、こっちでもすこし話題になったんだ。本屋で買ったよ。面白かった。本にしてくれてありがとう」彼はそう言った。

 

 君の小説を盗んだんだ、と僕は言った。「そんなことない、僕一人なら本にならなかっただろう、本にしてくれたのは君さ」と彼は答えた。君の小説でずいぶん稼いだ、と僕は言う。「すばらしいじゃないか、無から有が生まれた」彼は言う。僕のことをどう思っている、と僕は言う。「感謝してる、心から」と彼は言う。「君みたいに小説家になりたかった、でも建築家にもなりたかった。けっきょく僕は建築家を選んだ。それなのに君のおかげで自分の本が本屋に並ぶという夢も叶えられた、すてきなことだよ」彼は言う。「ただそんなに稼いだんなら、今日は奢ってもらってもいいかなと思っている」

 

 僕はちゃんと奢った。泥酔してもおかしくないほど飲んだが、おどろくほどしっかりとした足取りで家に戻った。そしてベッドに倒れ込んだ。死んでしまいたいと思ったが、いまではそれを実行に移す力さえなかった。別れ際に立花が言った「メキシコに来いよ」という言葉が忘れられなかった。

 

2010/03/11 - 2010/03/16

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この文章は小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。特に明記のない限り、この作品はフィクションです。

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