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建築みたいな体が世に出るまで

 元旦、家族との初詣から帰宅した田川康介は、家に残していた社用の携帯電話にメッセージが入っていることに気付いた。後輩の植田だった。「佐多さんが亡くなりました。すぐに連絡下さい、夕方から通夜です」ちょうど妻が観始めたニュース番組も同じ話題を伝えていた。「ミステリー作家の佐多治夫さんが亡くなりました。45歳でした。佐多さんは26歳のときに『彼だけが知らないこと』でデビュー、軽妙な文体と緻密な構成を併わせもった多くの作品で幅広い層から支持を集めていました。またテレビのバラエティ番組にも数多く出演、奔放で自然体な人柄で高い人気を獲得し……」

 

「佐多さんって、あなたが担当してた人よね?」ふだん仕事の話にまったく興味を示さない田川の妻が言った。「そう」と田川は頷く。彼の勤める出版社は規模の大きいほうではない。出版不況の中、潰れるか潰れないかという危機も何度かあった。それでも今日まで耐え続けたのは、佐多の絶大な人気があってこそだった。佐多の本は売れる。国民的作家というわけではないが(そもそも国民的作家がいまいるだろうか?)、熱心なファンを獲得している。おまけに多作でもある。紫シリーズ、小道具シリーズ、建築シリーズ。社の売れ筋はいつだって佐多の本だった。そして、そんな佐多の本をすべて書いていたゴーストライターが編集者の田川だった。

 

 そういうわけで正月早々にも関わらず、通夜に社の人間がほぼ集まったのも当然だった。「町内会の餅搗き大会で、餅を喉に詰まらせたそうです」植田が田川にそっと教えてくれた。おおかた、餅を一飲みする様子を披露しようとでもしたのだろう。田川はそう思った。実際そのとおりだった。佐多はそういう男だ。目立つのが好きで、人を驚かせるのが大好きな男。だからこそ鮮やかなミステリーを描けるのだと、誰もが思っていた。真実を知っているのはこの世に二人しかいなかった。そして今日一人になった。

 

 準備を手伝った限り、葬儀はかなり盛大になりそうだった。彼の本望に違いない。昨日まで、誰も彼が死ぬとは思っていなかっただろう。社の人間はみんな青ざめている。大黒柱を失なったのだから当然だ。もちろん通夜では誰も仕事の話はしなかった。もう倒産しかないと誰もが諦めていた。

 

 会社がどうなろうと、田川にとってはどうでも良いことだ。ただ彼にはまだまだ書きたいことがある。紫シリーズはいよいよ佳境だし、執筆当初からとっておきの結末を用意してやってきた。始まったばかりの建築シリーズはこれまでにない反響である。彼はその晩、寝ずに頭の中にあるプロットをすべて書き出した。紫シリーズはあと二作で完結できるし、建築シリーズは三作ぶんのネタがある。小道具シリーズはぼんやりとした構想しかなかったが、それでも一作ぶんにはなるだろう。

 

 彼は六作すべてに仮題をつけた。そして翌日、上司に報告した。「佐多の遺作原稿があります。今日まで書き澑めていたものです。全部で六編」呆気にとられる上司を前に、田川はさらに言った。「もしかすると、まだ他にあるかもしれなません」そうして田川は、佐多が以前から多くの構想を練っていたこと、いくつか実際に書き始めていると聞かされていたこと、佐多が愛用していたノートパソコンから原稿が実際に見つかったことなどを話した。紙の時代でなくて良かった。いまの段階で原稿を見せろと言われればおしまいだったが、田川にそんなことを言う人間は誰もいなかった。

 

 田川には別の名前で執筆を続けるという方法もあっただろう。しかし現実的ではなかった。良い小説であれば知名度がなくても売れる……などと彼はもちろん信じていない。佐多の名前、佐多の実績、佐多が獲得したファン層を引き継ぐのが一番だった。なにより佐多の作品は、田川の作品なのだ。彼が継承するのは、自分自身なのである。そして今日まで築いてきた設定と伏線をまとめるのが彼の使命だった。

 

 それからしばらく社では遺作の出版戦略が打ち合わされた。六編は一度に出したほうが良いのか、すこしづつ出したほうが良いのか、どの作品を最初に売り出すべきか、順番はどうするべきか、遺作の全容をまず明らかにしたほうが良いのか、箝口令を敷いたほうが良いのかなどなど。なにしろ社の存亡がかかった戦略だった。いや、実際には寿命を引き伸ばす効果しかない。社の最期のプロジェクトなのだ。

 

 田川は昼に社で打ち合わせを行う傍ら、夜は休むことなく小説を書き続けた。もともと筆は早かった。しかし六編の小説を書き上げるのは容易ではなかった。それでも彼は四カ月で仕上げた。遺作原稿の存在を公にしたのは、佐多が亡くなったちょうど半年後。その発表は全国紙にも掲載された。そして「紫の迷い道」が出版されたのは佐多の一周忌となる元旦。佐多が死を迎えて再評価されたこともあり、同作は佐多自身にとっても、社にとっても空前のベストセラーになった。その書き出し「紫でも迷うことがある」がその年の流行語候補に挙げられたほどである。

 

 残りの五編は半年ごとに出版する計画だった。しかし「紫の迷い道」が売れ続けた結果、そして紫シリーズに注目が集まりすぎた結果、半年後に出版された「建築みたいな味」は期待ほど売れずに終わった。翌年元旦に出版された「井川順の小道具」、さらに半年後の「建築みたいな匂い」も同じだった。頼みは紫シリーズ最終作となる「紫の夕暮れ」だったが、二年の時を経て、熱狂はすっかり冷めきっていた。結局、社は「建築みたいな体」を出版する前に倒産した。田川は一連の真実を誰にも話すことなく、それから五年後の大晦日に死んだ。54歳だった。

 

 そういうわけで佐多・田川の再評価が進むいま、注目すべきは「紫の迷い道」以降の作品である。田川康介全集の最終巻として「建築みたいな体」がついに初刊行され、彼が同時並行に書いたという六編を併わせて読むことが可能となった。異なる三つのシリーズを含んでいるが、互いに影響を与えあっている部分がすでに多数見つかっている。また、発見された田川の日記からはどのように物語を構想し、まとめ上げたか、詳細なメモが見つかっている。そこには彼の孤独な戦いが克明に記されており、我々はこれを整理次第、全集の別巻として出版する予定である。

 

2010/02/09 - 2010/02/17

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この文章は小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。特に明記のない限り、この作品はフィクションです。

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