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肉じゃが天国、肉じゃが地獄

 料理が得意だという女の子と知り合った。そして一時間後には彼女の家へ肉じゃがを食べに行くこととなっていた。真冬に大学寮の友人がバーベキュー・パーティを企画して、そこで出会った。寒さに凍えながら一緒にキャベツを食べていたら自然と仲良くなったのだ。自然と仲良くなるのが苦手な私には奇跡的なことだった。

 

 アルバイトのせいで、バーベキューには三十分遅れで到着した。そうしたらすでに肉類がなに一つなかった。寮に巣喰う、いつも腹ペコの文芸サークルのやつらのせいだ。風のようにやってきて、山のように食べ、猫のように去って行った。あっという間の出来事だったと、残った皆が口を揃えて言った。私はふざけんなと言って帰りかけたが、家に帰っても食べるものがないことに気付いた。結局、残りもののキャベツばかり食べていた。残っていたのはキャベツとピーマンだけだった。私はピーマンが嫌いだ。

 

 その女の子はぶ厚いコートを羽織っていても分かるくらいにスタイルが良かった。ビールのコマーシャルで「グビグビキュッキュッ?」と言っているモデルの子にとても似ている。気さくで、話も面白い。夕張の出身で、あーメロンメロンと言ったら、ほんとうにメロン農家の娘だった。こちらがつまらないことを言うと、いいタイミングでよく笑う。酔いが回ってくると次第に方言が増えてくるのも良かった。仲良くなれてありがとうと思った。

 

 なにしろ暖をとろうと熱燗ばかり飲んでいたので、キャベツをアテにどういう会話を交わしたのかはよく覚えていない。たぶん、もっと温かいものが食べたいね、というような話になったのだと思う。肉じゃがが得意なんです、と彼女は言ったのだと思う。私は酒のせいでつい、肉じゃがなんてみんな得意だと言うよ、私だって得意だし、だいたい私はけっこう料理にうるさいんだから、と余計なことを言ってしまったのだと思う。そうするとなぜか彼女は、じゃあ今度うちに食べに来て下さいよ、というようなことを言ってくれたのだと思う。

 

 翌朝、寮の友人の部屋で目覚めた。まず携帯電話を手にとった。午後一時。そしてアドレス帳には彼女の名前があった。夢ではなかった。泥酔状態でも赤外線通信の操作ができた自分を誉めてやりたい。そう思って安らかに二度寝をした。半時間後に友人に叩き起こされた。

 

 帰り道、私はおそるおそるメールを書いた。肉じゃが、いつ食べに行ってもいいだろうか、と。メールを送ってからふと、アドレスの交換はしたけれど、肉じゃがのくだりは夢かもしれない、と私は思った。送信キャンセル機能があればきっと実行した。返事にすぐ気付くよう携帯電話を握って歩いたが、家に戻るまでそれが震えることはなかった。私はふて寝した。

 

 起きると今度は午前三時だった。枕元の携帯電話はぼんやりと輝いていて、私はあわてて目を覚ます。さっそくですが明日はどうでしょう、という彼女からの返信だった。午後三時のメール。私は急いで返信を書いた。そして送信しようとしたところで現在時刻に気付き、その夜は諦めてまた寝ることにした。次に目覚めたのは午前七時。まだ朝早すぎるか、そもそも返信が遅すぎるのか、そもそも寝るべきじゃなかったのか、延々とくよくよして、結局は深呼吸ののち送信した。

 

 そういうわけで私はいま、肉じゃがと称するものを前にしている。先刻まで肉だったであろうものと、じゃが芋だったであろうものが、皿の中で死んでいる。死に絶えている。横死。彼らの無念が聞こえてくる。私は直視できない。なにかの香辛料が私の眼球をちくちくと刺激する。思わず顔を背けると、女の子と目が合う。どうぞめしあがれ、と彼女が笑顔で囁く。その整った顔が、いまは悪魔の手先に見える。私は生唾を飲み込む。ドッキリの看板を持った人が押入れから出て来ないかと待っている。ひどい臭いだ。理科実験室で髪が焦げた時の臭いがする。もしかすると本当に髪を焦がしたのかもしれない。どういう製造行程でこのような前衛的食物が生まれたのか私には分からない。それはもう食への冒涜である。この家に辿り着いたとき、彼女は微笑みながら私を出迎え、ちょうど出来そうなところと言ったのだった。遠い昔のように思える。実際にはそれからもう一時間、部屋で待たされた。扉一枚で仕切られたキッチンで、どのような実験が行われていたのか。それに気付かなかった私が浅はかだった。女の子の家は久々だと、部屋のあれこれに目を向けていたのが間違いだった。扉ごしに彼女と会話を続けた一時間は長くなかった。なんたる不覚! 私なら肉じゃがはもちろん、ごはんから味噌汁から副菜まで、一から用意できる十分な時間だったのに。思い出が走馬灯のように巡る。手元にはなぜかスプーン。それを持つはずの手は金縛りのように動かない。声も出ない。いや、もしかすると美味しいのかもしれない。夕張ではこういう形の炭を肉じゃがと呼ぶのかもしれない。その黒い表面を剥ぐと、金色の料理が現れるのかもしれない。そのようにして私の中の夢を見る機械がなんとか現実から逃れようとしている。私はいつの間にかスプーンを握っている。もう一度、彼女と目を合わせる。彼女は待ち遠しそうに私の果敢な飛び込みを待っている。決死の飛び込みを。その目の輝きに曇りはない。彼女は本物だ。もう逃げられない。天使の声が聞こえる。一口食べてまだ生きていたら、私は彼女に告白しようと思う。そして彼女を二度とキッチンには立たせない。肉じゃがが得意という女は二度と信用しない。

 

2009/02/23 - 2009/03/03

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このページにある全ての記述は、特に明記のない限りフィクションです。また著者である小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。
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