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Ms.UFO

 彼女とはUFO研究部で知り合った。そのころ僕たちは高校生だった。部員は二人。彼女が部長で、僕が副部長。順当な割り当てだった。彼女はUFOのことならなんでも知っていた。UFOこそが彼女の青い鳥、UFOが彼女のすべてだった。僕はといえば、UFOのことなんてなにも知らなかった。ただ帰宅部のかわりになる部活を探して、そこに辿り着いた。

 

 放課後、彼女はいつも哀れむような目で僕を見て、UFOの話をしてくれた。ジョージ・アダムスキー、クロード・ボリロン=ラエル、ビリー・マイヤー。話はいつまでも尽きなかった。どこからともなく新しいUFOの本を手に入れてきた。たぶん日本のUFO研究家はみんな知り合いだった。それはちょうどインターネットが普及しはじめた頃でもあって、彼女は海外からも熱心に情報を収集し、また発信もしていた。

 

 正式な約束は何一つなかったが、いま思えば二人はたぶん付き合っていた。平日休日を問わずいつも一緒にいたし、いつも話をしていた。正確には彼女がUFOの話をして、僕が聞いていた。UFO観測地まで二人で旅行にも行った。ベッドの中でも彼女の話題はロズウェルだった。Xファイルが流行して、話題にはますます事欠かなくなっていた。

 

 卒業後、彼女は東京の私大に進学した。僕は同じ大学を受けて落ちた。そういうものなのだ。彼女との縁はそこで途絶えた。僕は本業をUFO話の聞き役から大学受験生へと切り替え、彼女に連絡をとろうとはしなかった。彼女は彼女で、おそらく他の聞き役を見つけた。そして彼女のウェブサイトは、圧倒的な情報量と情報の鮮度で日本のUFO分野における確固たる地位を確立していた。いまさら聞き役なんて不要だったのかもしれない。

 

 今になって卒業アルバムを見直してみると、彼女の美しさに気付く。学生時代もよく男友達から羨しがられた。「あんな美人が彼女だなんて」。しかし僕が彼女について思い出すのはいつも、その顔つきや体つきではなく、彼女の薄い唇と、そこから飛び出してくる奇想天外なUFOの話ばかりなのだ。

 

 だから彼女が再び僕の人生に現れたとき、僕はそれが誰なのかすぐ思い出せなかった。彼女は大学院を卒業して故郷へ帰るため、地元の区役所へ転入届を出しに来た。僕は大学を卒業してその区役所で働いていた。僕は彼女を忘れていたが、彼女は僕のことを覚えていた。そういうわけで僕たちは時間を見つけては会って会話をするようになった。

 

 彼女はUFOの話を一切しなかった。僕はわざわざ理由を問うたりしなかった。ただ大人になったのかもしれない。ただ信念を変えたのかもしれない。ただ飽きたのかもしれない。新しい話題の中心は、はなればなれの時間に起きたことだった。まるでお互い、話題作りのため遠くにいたように。それでも足りなくなると、話題はどんどんむかしのことに遡った。高校のこと、そして僕たちが出会うまえ。彼女の生まれや育ちを僕は初めて知った。初めて彼女の実家へ行き、初めて両親に会った。再会して半年後には、二人は結婚することになっていた。

 

 土曜日に結婚式を済ませて、日曜日に新しい家へ引っ越しをした。朝から僕の荷物が運ばれ、昼から彼女の荷物も届いた。彼女はたくさんの荷物を持っていた。たくさんの段ボールを。あまりに多いので、僕はその一つにつまづいた。段ボールの山は崩れ、中から大量のUFO関連書籍がこぼれ落ちた。むかし彼女に見せてもらった本もあった。「懐しい本だわ」と彼女は言った。「もういらないはずなのに、なぜか捨てられないの」僕は笑って「それが思い出というやつだよ」と言った。彼女は難しい顔をして言った。「でも、本当に無駄な本なの。私はUFOに誘拐されたから分かるけれど、ここに書かれていることは嘘ばかりなんだから。ただ口止めされているせいで、本当の経験をした人は本当のことを話せない。嘘ばかりが蔓延するのよ」そう言うと彼女は本を拾った。空は輝いていた。それから起きたことを僕は話せない。

 

2009/03/18 - 2009/03/28

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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