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夏目漱石「こころ」を読んで

(以下は「はてな」にあった、ニセ読書感想文の執筆依頼のために書いたものです)

 

「こころ」という本を読むことになって、僕がまず最初に考えたのは、心とは何だろうということです。確かに、誰にでも人の心、気持ち、スピリチュアルオーラというものがあります。でもそれはどこにあるのか分かりません。だからといって、心とは脳だというようなミンスキー的唯脳主義に陥っても良いのでしょうか。僕はまず、そのことを心に留めて読むことにしました。

 

読んでみると、これは「私」と「先生」との触れ合い、そしてすれ違いを描いた作品でした。「先生」は学費に苦心しているうちに自由惑星同盟軍に士官することになり、特にイゼルローン要塞を陥落させたことで英雄となりますが、その胸中には勝っても負けても人死を増やさざるを得ない、戦争というシステムに対する強い不信感がいつもありました。「私」は誰よりも「先生」のそばで、そうした感情の揺れを読みとっていましたが、しかし「私」は「先生」に意見するにはあまりに遠く、また「先生」も「私」に助けを求めるにはあまりに大人でした。

 

この本の一番の魅力は、言うまでもなく「先生」にあります。「先生」は「私」にとって大人の見本のように完成された人物であり、また多くの人にとっては戦争の英雄でした。しかし一方でそうした外面が、内に抱く自分の理想像と全く異なることに、いつも悩み苦しんでいました。「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」と先生が吐露するシーンが、その象徴です。普通なら、心の思いをぶちまけてしまっても良いはずです。しかし「先生」は一方で「自分の信念をひけらかすのはやめよう」と言い切る、孤独な理想家なのでした。

 

結局「先生」は死に至りますが、もし「先生」があと少し弱い人間であれば(あと少し強い人間ではなく)、おそらく死ぬことは避けられたでしょう。もしかすると、この本が示すのは、清く生きるのは難しい、ということなのでしょうか。戦争の英雄は戦争で死に、理想家は理想に死ぬということなのでしょうか。そう考えると「先生」が、より理想だけを追い求めて生きる、狂信的な信者によって殺されるというのは、皮肉なことに思います。

 

人が死ぬと、もっと話をしていれば、というようなことがよく語られます。もっと心を通い合わせていれば、死は避けられたのではないか。そういうことが、病死や自殺に対して言われます。僕は自分が「先生」のような理想を持つとは考えられません。しかし「私」のように「先生」のような人間と出会う可能性はあります。その時のために、この本を何度も読み直して、心を通わせるというのはどういうことか、それがいかに難しいか、考えたいと思います。

 

2008/07/19

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この文章は小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。特に明記のない限り、この作品はフィクションです。

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