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カッサンドラー

 いつだって内池さんは明日の天気を言い当てることができた。当時、僕たちは中学生だった。午後の授業が終わるころ、空模様が怪しくなると、きまって誰かが彼女に尋ねるのだ。

「明日の天気はどうなりそう?」

 内池さんはいつもきっぱりと答えた。「晴れ」とか「雨後曇」とか「曇一時雪」とか。降水確率が何パーセントだとか曖昧なことは言わなかった。そして彼女の予報は100%当たった。

 僕は気象観測部員だった。理科実験室にこもり、ラジオを聞きながら日本地図に等圧線を描く。それが僕の放課後だった。あのころの僕には低気圧の所在について一言も二言も言いたいことがあった。けれど、僕に天気のことを尋ねる人はいなかった。予言者がいるのに、予報を聞く必要などない。誰も気圧配置なんて気にしない。明日は傘が必要なのか、どんな服を着れば快適か、それが分かれば十分なのだ。

 

 なぜ内池さんは天気を言い当てられたのだろう。気象通報を聴いているようではなかった。この街で天気図用紙を買うのは僕だけだと、行き付けの文房具屋が教えてくれたからだ。

 彼女はいつも、すこし下を向いてから、すぐ明日の天気を予言した。窓際の席に座っているのに、雲模様を見ようともしなかった。

 僕たちはといえば、いま思えば不思議な話かもしれないが、内池さんはただ天気を知っているのだと、純粋に信じていた。なぜそんなことが可能なのか、誰も疑問に思わなかった。彼女は間違いなく明日の天気を当てられる。僕たちは何度もその事実を目にしてきた。疑いを抱いても仕方なかった。

 

 三年の秋のこと。九月最後の金曜日に遠足が予定されていた。電車を乗り継いで隣の市まで行き、グループに別れ植物園を周って、持ち寄ったお弁当を食べる。他愛ない行程だ。それでも、高校受験のストレスで重苦しい気分を味わっていた僕たちは、その他愛ない遠足を心待ちにしていた。

 問題は、その週ずっと雨が続いていたということだ。天気予報も傘のマークばかりで、先生は週のはじめから遠足について触れようとせず、最初から中止を見透こしているようだった。そう、雨になると遠足は中止になり、普段どおり授業が実施される。延期でさえないので、みんなで植物園に行く機会は失われるのだ。

 木曜日も雨だった。昼休みには雷が鳴った。ぶ厚い雲が空を覆い、校庭では早くもライトが点灯していた。

「明日の天気はどうなるんだ」クラスの誰かがそう言った。その質問はあまりに素朴だったため、誰の声かは分からなかった。答えを求めるような言い方ではなかったにも関わらず、みんな答えを求めて、教室はしんと静まった。答えられるのは内池さんしかいなかった。みんな彼女を見ていた。僕も彼女を見ると、彼女は反対に、発言の主を探すよう教室をぐるりと見た。

「晴れだよな、きっと」今度は誰が言ったのか分かった。級長で、目立ちたがり屋の松永だった。自分はみんなに信頼されていると、疑いなく誤解を抱けるタイプ。美人の溝口さんと同じグループに決まってから、誰よりも遠足を心待ちにしている一人だった。「遠足、ぜったいやるよな。明日は晴れだろ、なあ」

 内池さんは珍しく窓の外を見た。みんな黙っていた。明日は雨で間違いなかった。西から重い低気圧がゆっくりと進んできて、今日より激しい豪雨になる。降水確率は100%。僕は知っていた。

 しかし、内池さんは僕たちのほうを見て言った。「大丈夫」

 

 はたして、翌日は晴れた。夜中続いた雷雨は明け方に止み、それからは僕達の向かうところ、太陽の光が降り注ぎ続けた。植物園は朝方まで大雨に降られていたそうだが、僕達が辿りつくころにはぴたりと止み、厚い雲をかきわけるようにして太陽が顔を出していた。地面はどこもぐちゃぐちゃに濡れたままで、大勢がぬかるみに足をとられ転んだ。秋口にしては太陽は明るすぎ、地面から蒸発した水蒸気がじめじめと暑苦しかった。遠くでは雷の音が鳴り続けていた。風邪で欠席した佐々木は、雨が止んだのは朝方の登校時間くらいで、昼間は家を一歩も出られないほどの豪雨だったと後で教えてくれた。

 僕たちは濡れたままの芝生にビニールシートを敷き、お弁当を食べた。グループごとに分かれて行動する予定だったが、先生の配慮で、いつ雨が降りはじめてもいいよう、大広場に全員が集って肩を寄せた。時折、強い風が吹いて、誰かのお弁当箱が飛んだ。みんな、遭難したかのように不安そうな顔だった。松永さえ、溝口さんよりも揺れる楡の木を心配そうに見つめていた。内池さんはずっと無言だった。

 けっきょく雨は一切降らなかったにも関わらず、僕たちは安全のために午後の見学を切り上げ、昼ごはんのあとすぐ植物園を出ることになった。豪雨が植物園を襲ったのはそのあとの話だ。中を通る小川が氾濫して、ビニールハウスで作られた熱帯雨林エリアが水びたしになったと、夜の地元ニュースが報じていた。

 雨は翌日も降り続けた。さらにひどいのが風で、台風でもないのに猛烈な暴風が吹いた。僕はいつもどおり自宅で等圧線を書いたが、その激しい変化に驚いていた。ときどき窓から家の外を眺めては、すさまじい雨と風の音が聞いた。まれに壊れた傘やビニール袋などのゴミが飛んで行くだけで、通りにはまったく人影がなかった。大雨洪水警報と暴風警報が発令され、日曜日になっても解除されなかった。テレビでは無謀なレポーターが、あとすこしで波にさらわれそうになっていた。

 

 週明けの月曜日にようやく雨は止んだ。僕たちは学校へ向かい、折れ曲がった樹木や、倒れて破れたグラウンドのネットなどを見た。内池さんに天候のことを聞く人はいなかった。明日からの天気も誰も尋ねようとしなかった。そもそも誰も彼女に話かけようとはしなかった。誰も彼女のそばに寄ろうとはしなかった。

 それから僕たちはテレビの天気予報を頼るようになった。ときどき予報に裏切られ、帰り道を雨に降られながら走った。僕は中学の三年間、放課後を理科実験室で過ごし続けた。あの、抑揚のないラジオの声。

 

 十年が経って、同窓会をやろうという話が聞こえてきた。誰が企画したのか、九月の連休、地元の居酒屋に当時のクラスメイトが大半集まるという。僕は遠くの大学へ通うために地元を離れていたが、出席のために前日から実家へ戻った。

 果たして、同窓会の当日、夕方から雪が降りはじめた。九月の初雪を見たのは人生で初めてだった。おまけに雪は重く、激しく、みるみる積もりはじめた。家にいた母は雪景色を見て目を細め、父からは電車が止まって帰宅できないという電話があった。同窓会どころではなかった。雪は降り続けた。どこかで電線が切れたようで、停電になった。同窓会は始まっているのだろうか。そこに内池さんはいるのだろうか。雪は今も降り続いている。

 

2012/01/26 - 2012/02/10

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このページにある全ての記述は、特に明記のない限りフィクションです。また著者である小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。
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