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偶然のオフサイド 1

 午前八時、少し過ぎ。通勤サラリーマンで満員のバスに一人の老人が乗り込む。「ちょっと前に行かせてくれんか」と乗るなりその老人。明らさまに迷惑そうなサラリーマン群をかき分け、おぼつかない足取りで前へと進む。その間もバスは舗装された道をするすると滑る。終点はJRの駅、そこまで残り十分といったところ。この街は典型的ベッドタウン。多くの乗客は、既に更に遠くから通勤するサラリーマンで一杯の電車に乗り替え、都市へと向かうのだろう。

「動くな!」と声。威勢を出そうとしたが弱々しい声だ。見ると老人がバスの先頭で、猟銃のようなものを運転手に突きつけている。「私の言う通りにしろ」と低い声で老人。運転手は頷く。髪を中途半端に伸ばした、若い男だ。「それから、こっちには近寄るな」老人、付近のサラリーマンに指示する。面と向かって言われたサラリーマンは一歩引くが、満員の車両、小さな一歩に過ぎない。その間もバスはゆるゆると進む。「そこを右」老人はバスのコースを外れるように指示する。

「何やってんだ!」後ろの方から怒号が聞こえた。恐らくは状況を理解していない男。「うるさい!」と一番前の乗客。老人は猟銃のようなものを、運転手と先頭の乗客の交互に振りかざす。「どこまで来た?」と老人。「美濃町のあたりです」と声を震わせながら運転手。「美濃町?」と小さく老人。大丈夫かこいつ?一部始終を見つめる前寄りの乗客達の、誰しもが思う。大丈夫か俺達?

 外では中年の女性が、犬を散歩させている。小学生が通学を始めている。全然系統の違うバスが走っていることに気付かないのだろうか?その先頭で老人が猟銃のようなものを振り回しているのが見えないのだろうか?「そこをUターン」と老人。「Uターン?」思わず乗客の一人が言う。運転手は黙って頷いている。ハンドルを強く握って。

 くるりと百八十度回転するバス。「そう、そこ」と老人。「そこがすごくいい」交差点の角の煙草屋、その隣は空き地。「そこで止めてくれ」老人は言った。きゅっ、と運転手がブレーキを踏む。「ありがたい」と老人は言って、下りた。

 それから、バスは大急ぎで駅へと向かった。

 

2003/07/29

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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その他のテキスト

偶然のオフサイド 2
深夜、街の外れのコンビニに泥棒が入った。泥棒は彫刻刀のようなものを片手に店員を脅し、レジから五千円を奪って逃げた。犯人はナイキのキャップを被った小男で、恐らくは三十過ぎだった。……

偶然のオフサイド 3
夕暮れを走る列車、ラッシュ前のゆったりとした時間、ガラガラの車内にサンタクロースはいた。ほとんどの乗客が広々と座席に座る中、一人ドア側の吊り皮に掴まり、ぶつぶつと何事か呟いている。季節は八月。甲子園では高校生が球を投げたり拾ったりしてる。……

そう
そう。絶対にそう。そうに違いない。そうに決まってる。というか、そうでないはずがない。そういうことになってる。そういうきまり。公理。これまでもそうだったし、これからもそう。つまり、帰納的にそう。そういう感じ。そういうことだと理解しているし、理解されてる。些細な部分だ。些細なところを除けば、まさしくそうなる。そうなっている。すくなくとも、そうなっていた。そうじゃない?そう見える。そう感じる。あるいは、感じた。そういうふうには思わないの?思えないの?確かにそういう捉えかたをする人が出てくるのは否定出来ない。そういった穿った考えかたを一つ一つ論証する義務はない。そう否定したい人には否定させておけばいい。先入観がある。ここではそうなってるでしょ。僕はそう思います。思いました。そりゃあ環境とか、文化の違いなんてものがあって、それがものの見方に影響を及ぼすということはあるかもしれない。今、そうと断定はしない。将来的にそうであることは証明されるはずである。そういうふうに見えたというなら仕方無い。見えた君が主張するなら、僕は否定しない。僕は君と違う。そう思わない人がいるというのは、憂慮すべきことだけど、ある意味では、つまり常に多様性が存在するということを考えると、これは当然の結果と言えなくもない。そう思う人もいるし、そうは思わない人もいる。そう思わない人にもそれなりの根拠があることは認識している。そうでないというならそうでないだろうし、そうだというならそう。そうでない可能性はある。とはいえ、可能性の問題ではない。定量的に求めることは出来ない。そうでないという立場が存在するということ。そうでないと主張することは可能だ。そうではないし、あるいは、そう。そうではないかもしれないということ。そうではないように思えるということ。これから、この限られた局面で、そうではないと言ったところで何の問題がある?強く主張はしないが、そうではないことは明白。そうではないのだから、そうではない。少なくとも、そうではなくなっている。そうではなくなった。一般的にはそうではない。特に近代においてはそうではないに違いない。以上から明らかなようにそうではなく、故に、ここではそうではないと記す。繰り返すが、そうではない。そうではないと思うことは当然のことである。そうでないというのがデファクトスタンダードだ。確実にそうではない。そうではないと断言出来る。そうではない。そう、つまり、そうではない。……

ゴールド
ありとあらゆる探知器に引っかかる。レコード屋の防犯ブザーに引っかかる。アフロヘアーの店員が飛び出して来て「すいません、あ、ちょっと確かめさせてもらって頂けますか?」とよくわからない丁寧語を操る。僕はいつも持ち歩いている小さなリュックを下ろし、開く。中にはカメラと手帳くらいしか入っていない。「あ、どうも、ありがとうございます。あ、すいません」とアフロヘアーの店員は礼を述べ、謝る。僕は店を出る。飛行場の金属探知機に引っかかる。ヴィーという、日本人には発音しづらい音が鳴る。男が無言で、小型の探知器を僕の体に寄せる。ヴィー、ヴィーと音は鳴り続ける。「後ろを向いて貰えますか?」と男。僕は後ろを向く。音は鳴り続ける。背中、足、腕、露出している手先でも、頭でも、探知器は鳴り続ける。ヴィー。「何か手術でもされました?」と男。俺は仮面ライダーか。ウルヴァリンか。そう思いつつ「いいえ」と言う。男、小首を傾げ「どうぞ」と前へ案内する。日本人は頭が固いと言われるが、こういう時は柔軟だ。事なかれ主義というか。手先から足先まで金属探知器が反応するのだ。いくら厳格な空港職員でも、対処の施しようがない。僕はそう思う。そう思うのだが、フランスでは二時間、どことも分からない道を通った奥の小部屋に閉じ込められてみっちりと調べられた。フランス語は「ウィ」しか知らなかったので、彼等が何を真剣に喋り、俺に問うていたのかは分からない。さっぱりだ。それに比べるとドイツ人は、英語で喋ってくれるだけましだった。監禁も一時間ほどで済んだ。もっとも、俺はそれが英語だと分かっただけで、英語はやはりまるで分からないので、会話はもちろん成り立たなかったが。……