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偶然のオフサイド 3

 夕暮れを走る列車、ラッシュ前のゆったりとした時間、ガラガラの車内にサンタクロースはいた。ほとんどの乗客が広々と座席に座る中、一人ドア側の吊り皮に掴まり、ぶつぶつと何事か呟いている。季節は八月。甲子園では高校生が球を投げたり拾ったりしてる。

 迷ったのかしら。サンタクロースを遠目に眺めながら、一人の女性客は思った。彼女はホステスで、今からゲーム会社の課長さんと待ち合わせ、同伴でイタリアンレストランへと向かう所だった。オーストラリアと間違えたのかしら。ホステスは思った。でも、オーストラリアも今は八月よね。

 サンタクロースは白い袋から何かを取り出し、広げた。スポーツ新聞だった。冷夏で良かったわね。ホステスは思った。蒸れたら最低だし。

 列車が駅に着いた。若干名の客が降り、疎らに客が乗る。

「パパ、あれサンタクロース?」一番に乗り込んで来た五歳くらいの女の子が、隣の車両にその姿を見つけるなり指差して、彼女の父親に尋ねた。父親は、娘の弟たる一歳くらいの息子を腕に抱いて、彼女の示す方を見た。それは確かにサンタクロースだった。赤い服に白い髭。足りないのはトナカイくらいだった。しかしトナカイはサンタクロースではない。そんなことを父親は考えた。だが、彼は「人を指差してはいけないよ」とだけ言った。

「何か貰えるかな」娘は言った。「ぶーぶ」息子が窓の外を見て言った。「ああ、ぶーぶだ」父親は列車と並列になって走る高速道路を見つめて言った。「行ってくるね」娘が言った。そして走り出した。あ、おい、と父親が言いかけた時には、彼女は既に隣の車両へと消えていた。

 父親は息子を抱いたまま、娘の後を歩いた。娘は、依然吊り皮に掴まってスポーツ新聞を脇に抱えたサンタクロースと、何やらごにょごにょ話している。サンタクロースは一度二度大きく頷き、スポーツ新聞を袋にしまうと、何やら青いものを取り出して娘へと渡した。あらあら。ホステスは思った。私も何か貰えるのかしら。

 娘は、父親が隣の車両へ辿り着くより早く、元の車両へと戻って来た。「勝手に走っては駄目じゃないか」父親は言った。「ごめんなさい」と娘は言った。

「それで、何か貰ったのか」興味深そうに父親は言った。「うん」娘は言った。そして「これ」と言ってそれを差し出した。

 それは横浜ベイスターズの公式キャップだった。よく見ると、つばの裏には石井啄朗のサインまであった。「はあ」父親は言った。

 

2003/07/29

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この文章は小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。特に明記のない限り、この作品はフィクションです。

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