母が多額の借金を残して蒸発したちょうど一週間後、私と父は長年住んだ家、次から次へと借金取りが押しかける家を、こっそりと後にした。
弟はその前々日に、一人で家を飛び出した。ドラマティックな日常に巻き込まれた人間がよく見せる無駄に演劇的な風情で「親の借金のせいで生活がどうにかなってたまるか」と宣言した弟は、高校二年生のクリスマスに貰ったアコースティックギター一本を抱えて冬の街へと消えて行ったのだ。
弟はもちろん、抱えたそのギターケースの中が新聞紙で詰まっていることを知らなかっただろう。ギターは父の承諾を得て、私の友人に五千円で売り払ったのだった。三日坊主の手本みたいな弟が、サンタさんから頂いたギターをそれなりに弾くそぶりを見せたのはその年内だけだった。最後までFを鳴らすことは出来なかった。だから父と私はギターを売り払っても気付くはずはないと思っていたし、それゆえに弟が埃の被ったギターケースを抱えて家出を宣告した時はたいへんに驚いた。しかし、ずいぶんと軽くなっているはずのギターケースを、さも片時も離せない自分の片腕という素振りで抱き、その様子を父と私に見せつけようとする弟は、卒直に言って滑稽であった。私は思わず笑いそうになった。父は泣いていたが、こっそりと少しだけ笑っていたのを私は見逃さなかった。
家出をする時はギターを持って。弟にとっては見た目が全てであった。ファッションが全てであった。そういうところは母と瓜二つである。
今頃、弟はどこかの橋の下で新聞紙を燃やし暖をとっているのだろうか。探してやりたいのはやまやまであるが、あいにく京都には橋が多い。
2005/02/15
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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