三途の川の橋渡しが破綻した。格安航空会社が直通でこの世とあの世を結ぶようになったからだ。運賃はわずか三文。橋渡しの半額である。死ぬ三か月前までに予約しておけばさらに割引されるらしいが、残念ながら私は急な死亡だった。まあ、たいていのビジネスパーソンは生前のマイレージを使うことになるだろうから、価格は問題ではない。私もちょうど今月で期限がきれるマイレージがあったので、これ幸いとさっそく航空券を購入してみた。ちなみに橋渡しがなくなった以上、航空券を買う経済的余裕のない場合はカヤックを漕ぐしかないそうだ。
安い飛行機にはそれなりの訳がある。大抵の人は死ぬまでに学ぶことだ。たとえばこの機内は身動きひとつできないほど狭い。けっきょく死ぬまでビジネスクラスに乗る機会のなかった私は、そもそも飛行機に乗ってゆったりとした気分など一度も味わったことがなかった。けれどもここはちょっと窮屈すぎる。おまけにキャビンアテンダントはみな鬼だ。屈強な体で、のしのしと歩いている。アテンダントというよりは見回りだ。実際、こちらがすこし体を動かすと、すごい形相で睨んでくる。果敢な乗客からが不満の声があがったけれども、鬼は気にする様子を見せない。愛想もなにもあったものではない。
ないといえば食事もない。離陸してもう数時間が経ったと思うが、機内が揺れ続けているせいか、出てきた飲み物は素湯だけだ。仕方がないので映画でも観て気を紛らわせる。上映されているのは知らない映画ばかりだ。「デビルマン」とか。すこし再生したが、すぐにやめた。続いて麻雀のゲームをはじめてみるも、敵が絶妙に強く、こちらの大物手を毎回しょぼい手で潰していく。腹が減った。仕方がないのでまた素湯を頼む。呼び出しボタンを押すたび、まるでそれが間違ったことだったかのような短いサイレン音が鳴る。鬼に素湯を頼むと、おそろしい目つきでこちらを一瞥し、紙コップになみなみ注いで無言で私に押し付ける。湯がこぼれて手にかかる。熱い。隣に座った大男は先程、鬼の形相を見て失神してしまった。体がこちらに倒れてきて重い。今は持ち込んだニンテンドーDSだけが頼りである。死んで家族はいなくなったが、二次元の彼女は別だ。
トイレに行きたい。素湯を飲みすぎた。機内はいまも激しく揺れており、シートベルト着用のランプは一瞬たりとも消えないまま。それでも私は立ち上がった。気を失ったままの大男をなんとか押し退ける。鬼がこちらにやって来て、フランス語のような言葉でなにごとか激しく声を荒げている。しかしもはや予断は許されない。鬼とは反対側へ通路を歩き、トイレにかけ込む。悲しいことにトイレは開きそうで開かない。鍵をかけないまま中へ籠った人間がいるようだ。中にいる人間に構わず何度もドアを押し込んでいたら、ドアの折り畳み部分に指を挟んだ。私は怒りに任せてドアを蹴りつける。するとようやくドアが開いた。中は空だった。便器もなかった。ただ寒かった。
私はトイレから出た。通路の反対側にはカーテンが引かれていたが、その隙間からビジネスクラスの様子が見えた。彼らはなにかを食べていた。彼らはなにかを食べていた。なにか声を上げたかったが、なんと言えばいいのか分からなかった。カーテンの奥から鬼が出てきて、私をフランス語で威嚇する。けっきょく、私は大男を押し込んで自分の席に戻った。そして座席に置いていたはずのニンテンドーDSがなくなっていることに気付いた。私にはもう探す気力が残されていなかった。
暖房が弱まったのか、寒い。外は真っ暗だ。お腹が空いた。気をまぎらわせなければいけない。座席のポケットに挟まれていた機内誌を手に取る。特集は天国。この世からすぐに行けるゆったり温泉、豪華なレストランと食事。私は瞼を閉じる。ふと目を開いたら、いつの間にか照明が消えていた。機内はまだゴトゴトと揺れ続けている。離陸して何時間が経っただろう。もしかすると何日も過ぎたのだろうか。大男は死んだように動かない。ほかの乗客も静かになった。前の座席が極端にリクライニングして、座席はますます狭くなる。今や文句を言うために体を起こすスペースさえない。大男がさらに密着して重い。鬼の笑い声が聞こえる。おなかが痛い。目的地にはいつ着くんだろう。目を閉じても眠れない。狭い。寒い。
2010/10/25 - 2010/10/29
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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冬のブルゴ
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