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骨についてのエッセイ

ネットマガジンリリー5月号掲載

 諸事情があって留年しました。諸事情というのは、つまり単位不足です。そして何の単位が足りなかったかというと、語学と理系教養科目。ビバ偽理系人!そういうわけで四月から真面目に一回生や二回生に混じって中国語や熱力学を勉強しています。なるほどー、ラグランジュの法則というのはそういうものだったのね、と理解したつもりになったりして。

 ということで振動波動論とか解析力学とか、やけに物理を勉強する機会が近頃多いのですが、そういった物理系科目の講義に出るたび、これはなんだか骨の勉強に似てるな、と思わされます。ここ一年ほど僕はずっと幽霊が主人公の、これまで全く書いたことのない長さの、小説を書いてました。だから街を歩く時も風呂に入る時も「幽霊がいたらどうするだろうな」と考える暗い生活でした。そしてようやくその小説を書き終えて霊の世界から抜け出せたと思ったら…春休みもちょうど終わって、骨の世界に突入なわけです。

 どうして物理は骨の勉強なのか?

 例えば数学は、幽霊の学問だと思うわけです。3ひく3は0。1と0の排他的論理和は1。身も骨も残ってない世界です。一方で文学、あるいは経済学とかいうのは、もうこれは皮膚感覚がないとどうしようもないワケです。文学者に向かって「書いてあることはともかく本質的には…」とか言うと「テクストが全てだ!」と怒られるわけです。経済の世界で「理論的には儲かる」と言うのも同じ。でも数学者に向かって「本質的にはともかくこの問いは…」とか言うと「本質が無くて何になる!」と叱られるわけです。

 その点、物理というのは変な学問です。一見、現実世界の解明に躍起になってるかと思いきや「棒の重さは考えない」とか「摩擦はないものとする」とか、研究者レベルでも平気で言うわけです。でも物理学者に「机上の空論ですよね」なんて言うとそりゃあもう殴られるわけです。数学者にそう言うと「美しいからいいの」なんて開き直られるのですが。でもって、実際「摩擦はないものとする」世界から導いた物事というのが、結構現実の役に立ったりするわけです。何故かというと…つまり骨の世界を構築出来れば、大局的に見れば皮膚や肉なんてのは些細なことに過ぎないからです。エネルギーは「熱いところから冷たいところに流れる」というのが分かれば、それはもういろいろあってもそうなのです。熱い風呂を放っておくと底が水になって、その分表面が沸騰したりはしないわけです。

 

 皮膚感覚というのがどうにも僕には欠如しているようで、誰か与えて欲しいくらいです(「ほら、僕の皮膚をお食べ!」「ありがとうカンパンマン!皮膚感覚が戻ったよ!」)。小説を書いていて、例えば「男はゴムのような匂いがした」とか書くわけですが、ふと、それまで原稿用紙で百枚くらい書いてるのに、それがその作品中初めて「匂い」に言及した個所であることに気付いたりします。しかもゴムの匂いって。そんなのだから幽霊に魅了されるわけだ、と自己分析するのですが。

 例えばエロ話をすると、その人間の皮膚感覚のあるなしというのが分かるかと思います。シチュエーションにこだわるのは、皮膚感覚の無さの表れですな。皮膚感覚が無い分だけ、視覚的刺激に頼るというか。…はい、自戒します。でも僕に限らず、今のエロというのはシチュエーション全盛なわけです。あとはパーツ、いわゆるフェチシズム。情報学的にいうとソフトウェアの時代かと。違うか。

 でも本質的には人間やっぱりハードウェア、じゃなかった骨なわけです。もう一歩進んで霊と言ってもいいけど、まぁそれはそれ。で、かくいう僕も背骨が曲がっててまっすぐあおむけに寝ると、それだけで背骨が痛くなったりするわけです。生き物としてどうなのよ?と思うわけです。

 日本人というのは世界的に見てとっても長寿民族ですが、将来はそうでもないかもな、とそんなこんな考えていると思ってしまいます。最近までの日本の老人というのは、とってもタフな時代を過ごした人達でしたから。でもこれからの老人はそうではなくて。化粧の濃い女子中学生は四十を過ぎたころには皮膚がボロボロになるだろうし。理系嫌いの人間が増えていて、物理なんてまっぴらという僕のような人間ばかりになって…それでいてソフトウェア指向が強くて、僕のような人間ばかりになると…なんとなく嫌ですが…つまりはまさに皮膚感覚の無い皮膚の時代。ゴムとプラスチックの時代というか。

 まとめると、はい!骨を大事にしろと!普通ですね。でも本当に。メンズノンノはターザンを見習って「骨からいい男になる!」特集をしろと。アンアンは「今年の夏を支配する骨盤50」をまとめろと。なに、昔ある女性誌で編集者が冗談で「今、出家がブーム」と書いたらホントに出家する女の子が続出した国です。メディアの力で日本人の骨を強くするなんて簡単なことでしょう。

 最後に一つアドバイス。骨は歪んでいる僕ですが、爪は強固です。どれだけ伸ばしても割れたり裂けたりする気配すら見せません。そして骨折となると、これは未だに経験がありません。理由はおそらく、一人暮らしをするまで浴びるように牛乳を飲んでたから。朝昼夜牛乳で、一日2リットル。ラーメンにも牛乳、納豆にも牛乳…これです。では、早速明日からレッツドリンク!

 

2002/04/25

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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