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野球対サッカー

 七番ショート谷口が小走りでコーナーポストに向かう。得点は零対二。スタジアムの時計は後半四十分を過ぎている。本拠地福岡で三連敗を喫し、背水の陣で乗り込んだ敵地埼玉スタジアムの日本シリーズ第四戦。負ければ終わり、後が無い。

 のらくらとかわされて、無得点のまま七回の表まで来てしまった。数少ないアウェー側の応援団がビニール風船を上げている。ランナーは三塁。好機ではある。しかし既にツーアウト。とにかくまず一点だ。五番センター村井がゴール前で手を振っている。チームでは大柄な方だが、177センチ。相手の巨漢センターバック二人に挟まれて、谷口からは必死に挙げた腕の、肘から先しか見えない。

 ボールをゆっくり谷口は右コーナーに置く。なるべくゴールの方へ近付けようとすると、すかさず左隣で副審が注意する。すっと、八番キャッチャー佐野がコーナーへ近寄って来た。谷口は小さく頷くと軽いショートパスを佐野に送る。足先でぴたりと止める佐野。相手サイドバックが全速力で近付いて来る。構わずボールを蹴り上げる谷口。村井はもちろん、既にスタートを始めている。ボールはゆるくカーブしながら、センターバックとゴールキーパーの間にぽとりと落ちた。ヒット。ころころと転がるボールを、キーパーがゆっくりと拾い上げる。村井はもちろんゆうゆうホームイン。一点!谷口は一塁ベース上で小さくガッツポーズ、村井はベンチのみんなと握手をしている。「決まったな」佐野がネクストバッターズサークルで、にやりと笑う。しかしその時、副審がばっと黄色いフラッグを上げた。主審の笛が鳴り響く。スキンヘッドの主審は、一塁ベースまでゆっくりとやって来て、谷口にこう言った。「オフサイド」

 全国中継のテレビ放送では谷口がコーナーポスト付近からセンタリングを上げた瞬間と、両センターバックに揉まれながら村井が三塁ベースを飛び出した瞬間を、何度も何度も比較、再生する。「明らかに先にベースを離れていますね」解説者が呆れたような口ぶりで言った。

 もちろんそんな放送のことは谷口も、村井も、主審も、ピッチ場の誰も知らない。ピッチにはベンチから飛び出した三木監督が、主審に執拗に抗議を行なっている。「ツーアウトだろ、ツーアウト」彼は両手を後ろに組んだまま、スキンヘッドの審判に詰め寄っている。審判は苦笑しながら、無言のまま両手をぱたぱたと振ってベンチへ返るように促す。諦めて一旦返るかに見えた監督は、しかし十歩程ベンチの方へ歩くと突然振り返って「ふざけんな馬鹿野郎」と叫んだ。主審はすかさずテクニカル・ファウルのジェスチャー。監督はますます激昂するが、ベンチから控え選手が出て来て何とか取り抑える。相手のボランチはもうフリースローラインに立って、ボールを足先だけでリフティングしている。ようやく監督はベンチへと下がり、主審は試合再会を指示。ボランチはフリースローを難無く決めて、これで一点追加。得点差は三点に広がった。

 スリーアウトで攻守交代。七回裏が始まる。リベロがボールを高々と蹴り飛ばした。二十五メートルラインを僅かに越えたボールは、サード古井のミットをすり抜け、自陣から猛烈な勢いで走り込んで来た左サイドバックの手に収まる。すかさずボールは左センターへ。一度スタンドオフへと渡り、ライン参加していた右フランカーへ華麗に移る。フランカーは軽いステップでファースト菊地渾身のタックルをするりと避け、中央にディフェンスが集まっていると見るや、右センターを飛ばして右ウィングに、絶妙のロングフィードを上げる。慌ててライト南が後ろへ下がるが、もう遅い。百メートル十一秒フラットの快速ウィングには手も足も出ず、ウィングはボールをしっかりと捕むと、必死に伸ばした南のミットをハンドオフ、慌てて戻ったセンター村井とレフト宗形がダブルチームに来るのを冷静に見極めて、左サイドライン際で待っていたフリーのシューティングガードへ素晴らしいスルーパスを送った。シューティングガードはふっと一度呼吸を合わせる余裕を見せて、それから軽やかにジャンプ、ボールをふわりと手から投げ離す。スキンヘッドの主審がすっと手を上げる…スリーポイント。ボールはほぼ真上からリムに向かって落下して、ぱさりとネットが搖れる綺麗な音と共にリムをすり抜けた。もう三点追加。零対六。ホーム側ゴール裏は大声援。紙吹雪が舞っている。

「落ちつこう」キャッチャー佐野がマウンドにかけ寄り、ピッチャー猪俣に声をかける。無言で頷く猪俣。「野球は終わるまで分からない」佐野が言う。「筋書きの無いドラマだ」猪俣の投球数は百三十を既に越えていたが、リリーフ陣はこれまでのシリーズで打ち込まれている。エース猪俣は上の歯で下唇を噛んだ。スキンヘッドの主審が早くキックオフするように促している。

 しかしこの逆境で、エースは最高のピッチングを見せた。相手フォワードをツーストライクツーボールから得意のスライダーで三振に打ち取ると、今日猛打賞のゲームメーカーを内角高目のまっすぐ、低めのスライダー、そしてもう一つ低めのスライダーで三球三振。これ以上の追加点を許さなかった。

 好投に打線も奮起。ヒットと相手の連携ミスから三塁一塁のチャンスを得ると、猪俣に替わって入った代打浦安が二遊間を抜く痛烈な二塁打。ようやく得点を奪うことに成功する。二対六。点差は四点。このままでは終われない。今季これまでセーブの付く場面でしか投げなかった守護神今井が八回裏のマウンドに上がると、そんなムードがスタジアムに充満しつつあった。今井は八回裏をボランチからのスルーパス一本に抑え、注文通り無失点、文句の無い投球を見せる。まだやれる、村井はベンチへと戻りながら、そう確信した。

 九回表、最後の攻撃、打席に立ったこの回の先頭打者南の頭に、強烈なスパイクが直撃する。しかし南は重いボールを顔で受けとめながら、勢いでライト前へ運ぶ。無死一塁。宗形が内野安打で続くと、村井は相手サイドバックの裏にぽとりと落ちる好打。一点を返して、三対六。なお無死一塁三塁。相手キーパーが大きな声で指示を送っている。クォーターバックはフォーメーションの指示を続け、スクラムハーフはモールを形成するフォワード陣に絶えず位置を伝えている。ポイントガードがショットクロックを確かめながらドリブルを続ける。十秒、九秒、八秒。菊地がファールで粘り、四球で出塁する。無死満塁。谷口に打席が回ってくる。初球は鋭いボレーシュート、二球目はスパイクと見せかけてブロックの裏をつく緩い球。谷口はどちらも見逃す。ここで決める。バットを握る手に自然と力が入る。運命の三球目。土俵際でうっちゃり。213キロの巨漢小結を、谷口は会心のフルスイングで叩く。ボールは2メートル4センチのブロックが上げた両手の間をすり抜け、7フィート8インチのセンターの更に上、キーパーが必死に手を伸ばすも届かない。遠く、遠くへ。ボールは自然の摂理に反してますます加速していくかの如く、敵陣25メートルラインをゆうゆうと越えると、そのままスタンドへ。逆転満塁ホームラン。場内が一瞬静まり、そして歓声とざわめき。ベンチからチームメイトが飛び出す。谷口は微笑みながら場内を一周する。キーパーがグラウンドに倒れ込んでいる。プロップは早くも土を、ポケットに入れていたのであろうビニール袋へ詰めて帰ろうとしている。

 客席から戻ったボールをフルバックが受け取った。そして大きく前方へフィードする。外野陣は喜んだまま、まだ守備態勢に戻っていない。そこにワイドレシーバーが走り込む。ボールはふわりと彼の手元へ。ライト南が気付いて、声をあげる。しかし彼等はまだベンチ前。ボールはワイドレシーバーからセッター、左ロック、そしてそのままゴールへ、残り十メートル。ディフェンスは誰もいない。落胆を隠しきれずにいたホーム側観客の一人がはっと顔を上げて呟く。「ホームランリターンタッチダウン…」走り出したライト南は、まだホームベースに辿り着いたところ。

 

2003/01/14 - 2003/01/19

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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