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飲ま飲まない

 今春も新入社員が二人、うちの部に配属されたので、さっそく歓迎会をやろうということになった。「好き嫌いはあるか? 君達の歓迎会なんだから、食べたいもの、飲みたいもの、なんでも言ってくれ」私は笑顔で言う。

「あの……そのことなんですけど」今年の新入社員は男女が一人づつ。女性のほうが、私の顔色を伺いながら切り出す。「私達、二人ともお酒が苦手で……」

「ああ、なるほど」私は言う。「もちろん、無理に飲ませるようなことはしないよ。うちの部にも何人か飲まない人がいるし、ノンアルコールの美味しい店も知ってるから」

「いや、そうではなく……」男性のほうが言う。「お酒のない店にして欲しいんです。臭いが苦手だし、お酒を飲んでいる人と一緒にいるのも、あまり……」

 

 若者の酒離れというのは、もう何年も前から耳にしていた。やれ日本人の平均酒量が減っているとか、やれ居酒屋に客がなかなか集まらないとか。おかげで近頃は禁酒席のある居酒屋とか、ノンアルコール専門のバーまであるそうで、しかもそういう店の数はどんどん増えているらしい。

 実際、会社の飲み会に顔を出すメンバーはだんだん固定化してきており、その人数も徐々に減っていた。「一杯奢るから飲みに行こう、酒は百薬の長じゃないか」と部下を誘うと、苦笑を返されるのだ。

 すこし前までは一緒に飲み明かしていたような同僚も、最近はジムに行くとかマラソンに出るとか健康的なことを言い出している。夜に飲むのはもっぱらプロテインだという。

 

「しかし、酒には酒の楽しみがあるし、飲み会でしか得られない経験もあるとは思わないかな」新入社員たちに直接そう言うことはできず、そのかわり私は家でビール片手に家内へ愚痴をこぼす。

「人の楽しみは否定はしませんけど」家内は言う。「それなら、こうして家で晩酌をすることで得られる経験ってなんでしょう」

「そりゃあ、楽しいからだけど」

「私は飲んでませんし、別に楽しくはないですよ」家内は言う。「ちょうどそのことを話そうと思ってたんです。酒を飲むなとは言わないので、これからはベランダで飲んでください。家がアルコール臭くなるし、子供も嫌がってるので」

 子供は小学六年生で、今年は中学受験だ。私の酒の臭いが受験の結果に影響を与えるのか? 納得はしなかったが、反論もできなかった。私はビールをもう一本開けるとベランダに出た。春の風はまだ冷たい。

 

 翌日は札幌へ出張だ。少し早めに空港へ着いたが、聞けばラウンジではアルコールの提供を終了したという。

 機内への搭乗を待っていると、隣のサラリーマンが鞄から缶チューハイを取り出す。私の視線に気付いたのか、こちらに話しかけてくる。「家から持って来たんですよ。機内では飲めなくなりましたけど、こうやってラウンジで飲めるだけまだマシですね。新幹線だと到着まで長いし、全席禁酒ですから」

 機内のトイレには「禁酒」のステッカーが貼ってあった。いわく、トイレでの飲酒は航空法に違反する。

 

「なんだか酒飲みにはすっかり肩身の狭い世の中になってしまいました」札幌の営業所で、取引先に話を振る。ミーティングはいつも夕方に設定して、そのまま飲みに行く仲だった。

「そうなんです、実は弊社も飲み会は、仕事でのお付き合いを含め、ぜんぶ禁止になりまして……」取引先がそう切り出すので、私は空いた口が塞がらなかった。「いや、飲まない輩が弊社にも増えてるんですよ。それで、そういう連中に言わせると、仕事を口実に経費で飲んでるのはけしからん、ということになりまして。アルコールが仕事のパフォーマンスに与える影響とか、二日酔いと記憶力の相関性がどうとか、正論を言われるとこちらも返せません」

「はあ、しかしそれは寂しい限りですね」

「おっしゃるとおりで。ただ、家には早く帰るようになりましたからね、子供とはゲームしたりしてますよ」

 

 飲み会のあてが外れたので、私は大学の友人に声をかけた。何人か札幌で働いているのだ。人はすぐに集まったが、肝心の居酒屋が見つからない。行き付けだった店はどこもカレー屋とかクレープ屋になっていて、ようやく見つけたチェーンの居酒屋に入ろうとしたら、もうアルコールは取り扱っていないと言うのだ。

「確か、このへんに一軒あったはず」と友人が案内してくれたのは、見たところふつうのアパートであったが、中は確かに各種ビール、日本酒、焼酎を取り扱う居酒屋であった。

 聞けば、店長は少し前まで人気の居酒屋を営んでいたが、最近は居酒屋を狙った落書きなどの嫌がらせが増えており、こうしてひっそりとアパートの一室で営業しているという。

「あまり騒がないようにお願いしますね」店主は神経質そうに言う。

 私達は生ビールを頼み、ささやかに乾杯をする。

「私が高校生のころは、ときどき親父がビールを飲ませてくれたりしたのだけどね」私は言った。「二十歳になってから酔い潰されるのでは遅い、と」

「いまだったら大炎上だろうな。子供も、親父も」友人は言う。「俺は最近、どぶろくを作ってるよ。いつまで酒が店で買えるか分からないから」

 ビールを一杯飲み、焼酎を開けて、乾き物に焼き魚を頼んだら、会計のときに一人二万円だと言われた。ぼったくりだ。私はここへ連れてきた友人を睨む。

「ニュース、見てないでしょう」こちらの反応を読みとった店主は言う。「今月から酒税がめちゃくちゃに上がったんです。もう商売あがったりですよ」

 

 帰りの飛行機はビジネスクラスにアップグレードされた。機内に入ると、スチュワーデスが笑顔で出迎えてくれる。「こちらはサービスです」そういって手渡されたのは、爽やかな泡が弾ける飲み物だった。

 なるほど、こうして格差は存在しているわけだ。

 

「しかし、私はそのシャンパンを飲まなかったんだよ」私は翌日、新入社員の二人を前に言う。「君達の言うことにも耳を傾けなきゃいけないな、と思ってね。私もこれからアルコールは減らしていくことにするよ」

 新入社員たちは声を揃えて言った。「飛行機に乗ったんですか?!」

 

(Photo by Giovanna Gomes)

 

2019/11/24 - 2019/11/27

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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