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インターネットおじさんの2019年

叔父と初めて会ったのは90年代の後半で、私がまだ高校生のころだった。叔父は長くアメリカに留学していたが、日本の通信会社に就職が決まったので、帰国してきたのだ。叔父は日本のことがよくわからないからと言って、私達の家のすぐ近くにマンションを借り、しょっちゅう私達の家に出入りするようになった。

 

叔父と私は、親子にしては近すぎるような、兄弟にしては離れすぎているような、微妙な年齢差で、はじめこそ、お互いにどう接すればいいのかわからなかった。しかし夜になると決まって叔父が家にやって来ては帰らないので、気付けば次第に話をするようになった。たとえば、私がテレビゲームにはまって遊んでいると、叔父はもっと面白いゲームがあると、聞いたことのないアメリカ産のゲームを持ち込んでくるといった具合に。

 

大学でコンピュータについて学んだという叔父は、私に言わせれば重度のオタクで、パソコンやゲームはもちろん、映画やアニメ、マンガやアイドルなど、当時で言うサブカルチャーにずいぶん詳しかった。日本にしばらく住んでいなかったにも関わらず、日本のアニメやマンガを隅から隅まで知っていたし、もちろんと言うべきか、アメリカのオタク事情にも精通していた。

 

叔父はしょっちゅう面白いアメリカのマンガや、聞いたことのないアメリカンドラマのビデオを貸してくれて、おかげで私は英語にすこし強くなった。

 

私は大学生になると一人暮らしをはじめ、両親とは少しづつ疎遠になったが、叔父は職場が大学から近いこともあって、引き続きよく会った。講義のために新しいパソコンを買いたいというと、叔父はどこの店が安いとか、どのマザーボードが良いとか、さっと調べて、組み立てまで手伝ってくれるのだった。

 

ときどき叔父の職場に遊びに行くと、そこは叔父に負けず劣らず変わった同僚ばかりで、すぐにオタク談義が始まった。いまふうに言えばみんな一流のエンジニアだったのだろうし、ただの学生であった私は場違いだったのだろう。

 

だけど私達はそんな垣根をまったく感じず、叔父の同僚はまた別の友人を呼んだりして、どんどん知らない人と知り合いになり、一緒に一晩中ゲームで遊んだりした。色々な人達がいたけれど、とにかくみんな頭が良くて、そのことにみんな自覚的で、自分たちが世の中を変えてるんだ、と言って憚らなかった。

 

一方で叔父たちは、テレビや新聞では報じられない裏話をよく知っていて、あのアイドルはどこかの社長と不倫しているとか、あの企業はヤクザと繋がっているとか、好き勝手にゴシップを話していたが、今思えば、どこまで正しいのか分かったものではない。

 

私が就職するのと前後して、叔父は仲の良い友人たち数人と起業をした。通信会社での仕事を楽しんでいたように見えたので私は驚いたけど、叔父は、自分たちの技術力があればもっと大きなことが出来るんだ、と言うのだった。実際、その通りなのだろうと思った。

 

それまで叔父は、私と並んでもどちらが学生か分からないくらい杜撰な格好をしていて、どんなときでも畳みかけるような早口で話す癖があった。しかし起業してからは、経営者の真似事をしなければいけないと言って、しょっちゅうスーツに身を包み、お金やビジネスのことをちゃんと語るようになった。

 

そうした叔父の変身は頼もしくもあり、正直すこし寂しくもあった。しかし、たまに休日に顔を合わせると、叔父は昔と変わらずヨレヨレの服を着て、最近見た映画について早口で語るので、私は妙に安心するのだった。

 

そのころ、叔父がどのような事業をしていたのかは、正直よく分からない。叔父もその友人も優秀な技術者だったから、仕事自体はいろいろと引く手あまただったのだろうと思う。

 

一方、あまり筋の良くない仕事もしていたのではないかと感じることもあった。叔父の事務所はいつも雑多に散らかっていたが、ゲームやアニメの違法コピーを見かけることもあって、自分のためのものなのか、誰かに売りさばくためのものなのかは最後まで聞けずじまいだった。

 

そうして、忙しそうに働くわりには儲かっていないないのか、あるいは経営の才能に欠けたのか、皮肉なことに、叔父はだんだん金にうるさくなった。休日、昔のようにみんな遊んでいるときでも、この時間ちゃんと働いていたら幾ら稼げたんだよ、というような愚痴を言った。

 

昔の同僚や古い友人が叔父のまわりから少しずつ去って行った。叔父はそのかわりに「仕事仲間」という人達と付き合うようになった。叔父は色々なことが出来るエンジニアだったので、「仕事仲間」からは重宝された。ときどきまとまった金が入ると、今度は一気に金遣いが荒くなるのだった。

 

叔父は調子の良いとき、仕事の秘訣はどうだとか、健康を保つ秘訣はどうだとか、あれこれととりとめのないことを言うのだが、すでに大人になっていた私には、そういう話の大半に信憑性がないと気付いていた。叔父は相変わらずゴシップが好きで、その中身は、有名なグラビアアイドルが中東政府のスパイなのだとか、ますます荒唐無稽になっていたが、今では私はただ聞き流せるようになっていた。

 

様々な「仕事仲間」との紆余曲折を経て、気付けば叔父はよくわからないサプリメントを売る仕事をはじめていた。コンピュータオタクで、一流のエンジニアだった叔父が、なぜサプリメントを売っているのか。私には分からなかったが、叔父はそのサプリメントがあれば、仕事を効率化できるのだと言っていた。そして自分でも摂取して、私にも薦めた。

 

私はありがたく受け取ったが、口にすることはなかった。叔父の様子を見ても、そのサプリメントに中毒性があることは明らかだった。サプリメントを摂取しているあいだの叔父は冗長でとりとめのない話を繰り返し、サプリメントが切れるとものすごく短気になってちょっとしたことで怒り出すのだ。

 

両親は叔父を入院させるべきだと言ったが、叔父は仕事の邪魔だと言って、断固としてまわりの言うことを聞かなかった。「仕事仲間」を含めて、叔父の近くには誰も寄りつかなくなったが、私はそれでも、ときどき叔父の様子を見に行くことをやめなかった。

 

たまに、叔父は落ち着いていることもあって、そんなときは昔のように古いゲームを引っ張り出してきて一緒に遊んだり、古い映画を黙って見たりするのだった。

 

2019年も終わりに近付き、気付けば私も中年になってしまったけど、今でもときどき、学生時代に叔父と過ごした日々のことを思い出す。もちろん今でも会うことはできるのだけど、叔父は変わってしまい、私も変わってしまって、徹夜で遊ぶことなんて考えられなくなってしまい、ああいう日々を過ごせた幸せと、ああいう日々が二度と訪れないであろう寂しさを、ときどき感じるのだった。

 

この物語はフィクションなので、実際のところ私にこのような叔父はいない。ここで言う叔父とはインターネットのことである。

 

 

(この記事は2019 Advent Calendar 2019の12日目として書かれた。毎年誘ってくれる主催の@taizoooさんに感謝である。同カレンダーには2018年に「2018年のダンシング・ヒーロー」を、2017年には「2017年、ビジネスパーソンはポコニャンを読む」を書いている)

 

(なお、2019 Advent Calendar 2019の前11日の記事はdannna_oさんによるもの、翌13日の記事はHuddleさんの予定である)

 

2019/11/07 - 2019/12/12

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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