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二次元を探して

 祖父が死んだ。脳梗塞だった。なんの予兆もなかったので家族の誰もが驚いた。先日、五十年以上勤めた市役所を定年になったばかり。家族揃ってお祝いをしたときは元気そのものの姿だった。まだ75歳。健康に気を遣う人ではなかったが、死ぬには早すぎた。

 一生の大半を地味な公務員として生きた祖父だったが、資産家でもあった。曾祖父がドットコムバブルで一山当てた遺産を相続したのだ。そういうわけで、かなりの遺産が家族に相続されることになった。死ぬそぶりなどまったく見せていなかったのにちゃんと遺言状を用意していたのが祖父のおかしいところで、いつも準備がいいと祖母は呆れながら泣いていた。

 遺言は難しいものではなかった。資産によって祖母か、一人息子である僕の父に相続するという内容である。ひとつひとつ資産を挙げて示すお役所的な書きぶりは祖父そのものだ。あの堅苦しい筆跡。揉めるようなところはなにひとつなかった。最後の最後までは。思いもよらない文面が待っていたのは遺言の終わり。「桜沢愛に金1000万円を遺贈する」それが締めに書かれていた文だった。祖母でも父でもない名前が初めてそこにあった。みんなが顔を見合わせた。知らない名前だった。

 桜沢って誰なんだ、と父が言った。祖母はまったく心当たりがないと答えた。なぜあれだけ用意周到な祖父が、こんなところで知らない女性の名前を持ち出すのか。父も祖母も混乱していた。

 父は祖父の書斎に入り、丁寧にまとめられた年賀状や名刺の類を調べ始めた。ほどなく「桜沢愛様」と書かれたぶ厚い封筒が出てきた。ちょうど1000万円くらい入ってそうな厚さだった。父は中身を確認しようとしたが、「他者の開封禁止」とあったのでやめた。父もまた約束を守る公務員だった。女を探してこれを渡せということらしい、と父は言った。まったく、最後の最後に訳が分からないことをしてくれる。

 祖父の遺言に、僕も混乱していた。ただし混乱の理由は父や祖母とは違った。僕だけは桜沢愛のことを知っていた。知っていたからこそ混乱した。僕は大学でメディア学を研究している。専門は二十世紀の美少女ゲームだ。そして、桜沢愛はむかし大ヒットした美少女ゲームのヒロインだった。

 

 パソコン向けに作られたアダルトゲーム、いわゆる美少女ゲームは20世紀終盤に幅広い人気を獲得した。しかし2015年の法改正で規制対象となり、その後いっさいの発売禁止になった。2022年にはさらに規制が強まり、過去に購入したゲームの所持まで違法となった。美少女ゲームの廃棄、いわゆる美少女狩りは様々な混乱を生み、大勢の愛好家が反発し、逮捕された。

 大学一年のとき、メディア学の講義で学んだ歴史的経緯である。

 僕は美少女狩り以降の世代だ。実際にそういったゲームを見たことはない。なにしろすべて廃棄されたので、それらの情報は文献資料に残るのみ。図画の掲載はもちろん違法行為なので、資料に書かれているのは過去にどういったゲームがあり、どのように人気を集めたのかという文言だけである。

 僕達はそういった歴史的資料を紐解きながら、美少女ゲームのなにが人を熱狂させたのか読み解こうとしている。前世紀には奇妙な性的嗜好が流行していたと切り捨てるのは簡単だが、それだけではないはずだ。

 こんなに近くに愛好家がいたとは知らなかったけれども。

 

 桜沢愛は「卒業生」と題されたゲームのヒロインである。それまで性的描写ばかり注力されていた美少女ゲームに対し、「卒業生」は学校での日常生活を生き生きと描いた点が革新的だった(と言われている)。主人公はお調子者ではあるが大人びた常識人で、女性たちもゲームにありがちなエキセントリックなキャラクターではない。アダルトなシーンはごく控え目で、毎日の出会いと会話がゲームの中心に据えられている(と言われている)。

 派手なところがない、それゆえに新しいゲームだった。その後ブームを迎える恋愛シミュレーションの先駆けでもあった(と言われている)。

 

 祖父は僕の専攻を知っていた。僕は可愛げのある人間ではなかったが、祖父は一人きりの孫である僕をやけに可愛がってくれた。仕事に忙しい両親のかわりに、進学の相談にのってくれたこともあった。その祖父が、桜沢愛を探せ、と言っている。もちろん僕に向かってのメッセージだ。

 祖母や両親は思考停止に陥っていた。それでも桜沢愛についてちゃんと調べたなら、それが二次元のヒロインであることはすぐに分かるだろう。そのまえに僕は祖父の期待に応えなければならない。

 帰宅するとさっそく、僕は「卒業生」を開発した企業を調べた。リデルゲームズという名前だった。美少女ゲーム業界を代表する大手メーカーだったが、法改正と同じ2015年に精算されている。社長は亡くなっていた。「卒業生」のプロデューサーも。半世紀以上前のゲームなのだといまさら思い知らされた。

 僕は「卒業生」に関係する人物を政府の死亡データベースで調べ続けた。データベースに掲載されていなかった最初の関係者はキャラクターデザイナーの池田龍之介氏だった。死亡データベースに名前がないということは、つまり存命なのだ。コンタクトビュアーで住所と連絡先を調べる。まずメールアドレスが表示され、ほどなく我が家から一時間ほどの距離にある場所の地図が表示された。

 さて、僕は考える。ここからどうすべきか。具体的には、池田氏にどのように連絡をとればいいものだろうか。半世紀前に作られたゲームのことでお話があるのですが、ええ、そうです、美少女ゲームの、あの大ヒットになった「卒業生」、作られましたよね? いまは所持さえ違法ですけど。

 体裁はともあれ、そういう切り出しが必要なことは確かだった。そもそも九十歳を過ぎた相手に半世紀以上前の話を聞くというのは簡単ではない。その上で、過去の違法行為を咎めるような言い方になってしまわないかが心配だった。まずはメールで問い合わせるべきか、それとも直接赴くべきか。悩んだあげく、僕は翌日なんの準備もないまま氏の家へ向かうことにした。とにかく会って話さないと理解してもらえないと思ったのだ。

 

 事前に調べていたとおりとはいえ、池田家はかなりの豪邸だった。美少女ゲームが絶滅したあとも、イラストレーターとして人気を博したらしい。

 どのように説明すれば受け入れてもらえるだろうか。道すがら僕はかなり苦労して考えたが、実際は「卒業生」のことでと話すだけで、池田さんはなんのためらいもなく中へ案内してくれた。

 昔はけっこうファンが家まで押し掛けてきたけど、最近では久々だね、まあ久々というか数十年ぶりだけれど。そう言って笑う池田さんはずいぶん若く見える背の高い人だった。背筋はぴんと伸び、黒縁の眼鏡で守られた眼は強く輝いている。定年前の祖父よりさらに若く見えた。

 僕は祖父の話をした。池田さんは感慨深そうに聞いていたが、実際にはこう言った。まあ君自身が僕のファンとは思わなかったけれど、おじいさんがというのは考えさせられるねえ。しかも僕より年下とはね。

 話は遺贈金、そして封筒に及んだ。僕は家から持って来た、ぶ厚い封筒を池田さんに渡した。僕は桜沢愛じゃないけど、と言いながら池田さんは封筒を開けた。そして中のものを取り出した。

 入っていたのは現金ではなかった。たくさんの絵だった。色数の少なさが特徴的な、初期のコンピュータアートだ。女性の顔や体が描かれている。どれも同じ女性だった。現実にはありえない緑色の長髪で、体の線が細い。絵の中には裸体もあった。池田さんははじめて驚いて顔をして、おっと、と言った。そして、これは違法じゃないか、と言った。

 僕はようやく、それらがゲームに出てくる絵なのだと分かった。ざらざらとしたタッチで、顔や体つきは不思議に歪められている。写実性はまったくなく、猥褻さもまるでない。これが発売禁止になるほどのものなのか、と僕は思った。

 手紙もあった、と池田さんは言って封筒の中からそれらしいものを取り出した。池田さんはそれを開き、苦笑すると、反転させて僕に見せた。桜沢は俺の嫁、と書いてあった。遺言状と同じ、祖父の実直な筆跡だった。

 君の祖父は大した変態だね、と池田さんは笑って言った。刑務所に入る危険も省みず、二次元の絵を死ぬまで隠し持っていたらしい。一千万円はなくて残念だけれど、いいものを貰ったよ。

 それから池田さんは机の中からデータチップを取り出し、僕に手渡した。これは僕からのお礼だから、お爺さんのお墓にでも奉ってくれ。池田さんは言った。

 

 家に戻ると、僕はデータチップの中身を確認した。予想通り、中には「卒業生」のプログラムが収録されていた。古いコンピュータ用のエミュレーターを使い、「卒業生」を起動する。しばらく遊んでみたが、まったくチープな絵、チープな音楽、チープなゲームだった。コマンドはあらかじめ決められた中から選ぶだけ。ステレオディスプレイに繋げてもキャラクターは二次元のまま、アニメーションすることさえほとんどない。そしてキャラクターは声を発することもなく、こちらの声の認識もしない。いまのゲームとは比較にならない、静かな静かなゲームだった。祖父がこんなものに熱中していのかと思うと不思議な気分だった。僕は前世紀のゲームを探求し、気付いたときには夜が更け、明けていた。

 それからもしばらく僕は「卒業生」で遊び続けた。桜沢愛は誰にでも優しい女性だったが、攻略するとなるとハードルが高かった。ナレッジサーチを頼ってみたが、半世紀以上まえに発売された違法ゲームの攻略情報など見つかるはずがなかった。僕は失敗を繰り返し、毎日があっという間に過ぎた。けっきょく、攻略には二週間かかった。エンディングではじめてアダルトシーンが流れ、僕は大いに満足感を得た。

 そしてちょうどそのとき、父が僕の部屋に入ってきた。僕のディスプレイには16色で描かれた桜沢愛の裸体が映っていた。祖父が印刷して封筒に入れていた、あの裸体。

 

 つまりそういう話なんです、と僕は言った。ひとつには祖父のため、ひとつには研究のためにはじまったことで、やましい気持ちは一切ありません。

 供述書にはちゃんとそう書いておくよ、君の意見として。刑事さんは言った。まあ、初犯は罰金刑どまりさ。

 

2009/09/09 - 2009/09/21

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このページにある全ての記述は、特に明記のない限りフィクションです。また著者である小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。
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