劇団☆黒猫白猫にて上演
ホテル。
フロントデスクがあり、ロビーに小さなテーブルと二つの椅子。
上手が入口、反対側は廊下へと続いている。
客の女、入口から入ってくる。ビジネスウーマンという風情。鞄を持っている。
中を見回す。誰もいないので驚く。
客「すいませーん」
一度外に出て、また戻る。胸ポケットから手帳を取り出し、何事か確認する。
客「ニュー東鞍馬口…」
フロントの呼び鈴を発見する。押そうとして、もう一度あたりを確認。誰もいない。勢いをつけて、押す、その直前にすごい所から(フロント役の)スーツの女が出てくる。
フ「お客さん?」
客「うわ!」
フ「あぁ、どうも、いらっしゃいませ」平然と。
フロント、客の側に寄る。
フ「荷物、お持ちしましょうか」
客「え?あ、はい」訳も分からぬまま、ホテルの女に鞄を奪われる。
フ「よいしょっ…」女、鞄をかついで、電気を点ける。そのままフロントの対応に。
客「予約していた…」
フ「ああ(遮って)これ、これに書いて下さい」フロント、紙を取り出して渡す。
女、紙を眺める。
フ「ここに名前、その下に住所、電話番号、座右の銘、昨日みた夢。好きなアイドルは、いなければ空白で結構です」
客「書くんですか?」
フ「いけませんか?」不信そうに。
客「はぁ…」
客、書く。フロント、覗き込む。客、反射的に書いているものを隠す動き。フロント、客の真横まで回り込んで覗き込み続ける。
フ「ふふ…」突然笑う。
客「な、なんですか」
フ「字、汚いですね」
間。
客「い、いいじゃないですか!放っておいてください」
フ「もう…怒りっぽいんだから。(気付いたように)そうそう、日ペンの美子ちゃんって終わったの知ってました?」
客、無視。フロント、すねる。客、書き終えるもフロントが見に来ない。フロントは鞄の中を少し盗み見る仕草。
客「書けましたけど…って何してるんですか」
フ「(無視して)あぁ、はいはい…」(面倒くさそうに)
フロント、読む。
フ「『毒を食らわば皿まで』…これが座右の銘?」
客「変ですか?」
フ「何か最近、嫌なことあった?」
客「いや、別にそういうわけじゃないんですけど」
フ「じゃあ最近じゃなくて、ずっと嫌なことばっかり?」
客「いや、別にそういうわけじゃないんですけど」
フ「じゃあ…はい!そんなあなたには101号室。(廊下の方を指して)あっちの方にまっすぐ行って、途中の角を三つ全部右に曲がると『松の間』って書いてあるところがあるから、そこが101号室」
客「松の間ですか?それとも101号室?」
フ「松の間、アズ・ノウン・アズ、101号室だから」
客「はあ」
フ「松の間、フューチャリング、101号室だから」
客「…はい、分かりました」
客、廊下の方へ。
フ「あ、ちょっと待って」
女「はい?」
フロント、担いでいる鞄を差し出す。
フ「荷物」
客、戻って無言でひったくり、廊下の奥へ。
フロント、見送って。
フ「最近の若者は短気でいかんね…」
フロント、スポーツ新聞を取り出して読み始める。少し間。
ドアの開く音。閉まる音。
入って来たのは客。
客「うわ!」(どうしてここに!という気持ち)
フ「101号室へようこそ」
客「フロントじゃない!」
フ「アズ・ノウン・アズ、101号室だから」
客「ちょっと!疲れてるんだから早く部屋だして!」
フ「ここですよ」
客「こんなとこ、泊まれないでしょ!他!他!」
フ「ないっす」
客「へ?」
フ「他に部屋なんてないっす。ここだけっす」
フロント、パンフレットを取り出す。
フ「ホテル・ニュー東鞍馬口の客室は全1室ですから」
客、渡されたパンフを読む。読んで、フロントを睨む。
フ「『松の間』へようこそ」(大袈裟に)
間。
客「もう嫌だ」
ふ「エ?」
客「もう嫌だ!死んでやる!」
客、懐から素早くナイフを取り出す。
フ「ちょ、ちょっとお客さん」
客「もう嫌だこんな人生、こんな毎日、こんなホテル。私なんて生きてても何一ついいことないんだ。絶対そうだ。なんでもっと早くに気付かなかったんだろう」
フ「いやだな、お客さん、すいません、謝りますよ。冗談じゃないですか、冗談」
客、フロントを強く睨む。
フ「いや、一部屋しかないってのは本当なんですけどね」
客「きっとこのふざけたホテルはここでなら死んでも誰も文句言いませんよっていう神様の贈りものなんだ」(淡々と)
フ「贈ってない!贈らないよ!神様はそんなもの!」
客「何が『ホテルニュー東鞍馬口はあなたのライフスタイルに合わせたリッチでコンフォータブルな夜と朝を御届けします』よ!一部屋じゃない!どう合わせるのよ!」
フ「それはまあ、お客さんの努力とか…、アレとか…、(聞こえないくらいの呟き)とか…」
客、無視してナイフの切れ味を調べるような目つき。
フ「でもほら!確かにふざけたホテルだけども!だけども!(フロント全体を指して)ここで寝るのも悪くないですよ!新しい体験が出来ます!ちょっとないよ!こんな体験!ほら!(ソファで寝る)無いでしょ?こんなホテル!良かったら足も伸ばして!(テーブルに乗せる)違うな。(体勢を変える)ほら!これ!どう!ね、ね!(客に近づく)」
客「近づくな!」ナイフを向ける。
フ「ちょ、ちょっとお客さん!」後ずさり。
客「邪魔するんなら、あなたも巻きぞえだから」
フ「勘弁して下さいよ。冗談きついですよ」
客「冗談なんかじゃない。私こう見えても中学の時、フェンシングで富山県大会四位だったんだから」何故か必死にフェンシングの手つき。
フ「どれくらいのすごさなのかよく分からないんですけど…。もっと何か分かりやすい尺度は無いんですか」
客「騒音だとしたら12デシベルくらいのすごさ」
フ「分からないです」
客「レストランだとしたらサイゼリアくらいのすごさ」
フ「それなら分かります…って最下層じゃないですか」
間。
フ「いや、つまりフェンシングをぼちぼちやってたということで!いいなあ、この女性剣士!憧れるなあ!今度ゆっくり見せて下さいよ。こう、磁気の入ったコート買って来て、着て待ってますから」(いいながらさりげなく客の方へ)
客「近付くなって!」
フロント、慌てて逃げる。
客「今度近寄ったら本当に刺す」
フ「やめて下さいよ、うちのホテルで。営業妨害ですよ」
客「あ、本音が出た」
間。
客「そうよね、ここじゃなきゃ私が死んでも全然構わないもんね。営業妨害じゃないから」
フ「そういう訳じゃないんですけど、ほら、ね!(ごまかすため無駄に力強く)そう!だいたい何で死のうなんて思うんですか。生きてりゃ世の中まだまだいいことありますよ」
客「ない」(即答)
フ「はや!」
客「絶対ない」
間。
フ「じゃ!じゃあこうしましょう!今から私があなたの自殺の理由を当てます。見事当てたら、ぱーん!拍手喝采、ここは私の洞察力に免じて自殺を諦める!そして消灯!修学旅行の中学生みたいに早く寝る!」
客「外れたら?」
間。
客「外れたら?」
フ「当てますから!ほら、こうして客商売してるとね、いろんな人を見るんです。毎日一人ですけど。それでもね、いろーんな人を見てると、黙っててもいろーんなことが分かるようになってくるんですよ」
客「それ、どうやって確認してるの?」
フ「どうやってって…?」
客「相手が黙ってることを分かったとして、それをどうやって確認してるの?よそよそしい男性客をが来た時に『ははーん、こりゃあいびきだな』と思ったとして、『やっぱり奥さんには不満ですか?』なんて一々聞いてるの?」
フ「それは、そのね…分かるんですって!」
客「じゃあ当てて」
フロント、悩む。
フ「一回勝負?」
客「当てるんでしょ?」
フロント、悩む。
フ「三回にしてくれない?」
客「よわっ!」
フ「だって世の中有象無象だよ?そんな一回で物事が見抜けたら、ねえ?細木数子にでもなるって.死ぬわよ!(モノマネ)とか言って」
客「分かった分かった。じゃあ三回で」
フロント、悩む。
フ「…五回だったら確実なんだけど」(呟く)
客「え?」(聞こえないふり)
フ「五つまでは絞り込んだんだけど、これ以上は絞り込めない。もうどれとどれも同率、って感じで」
客「…分かった。いいよ、別に好きにしたら。一回でも三回でも五回でも、お好きにどうぞ。そのかわり回数を多くすればするほど『あ、やっぱりこの人自信ないんだな』って。『洞察力とか偉そうなこと言ってるけど、人を見る目なんて全然ないんだな』って。私、そう思うだけだから」
間。
客「どうする?何回?」
フ「…じゃ、三回で」
客「中庸!日本人的だなあ」
間。
フ「言うよ」
客「どうぞ」
フ「当てるよ!」
客「どうぞ!」
間。
フ「彼氏にふられた!」
客、いつの間にかスイッチを取り出しており、それを押す。ブーという音。
フ「え?!」
間。
フ「違うの?」
客「恋人いないもん」
フ「なーんだよ!若人の自殺と言えば恋患いじゃないの?ふつう。『マーくんと別れるくらいなら死ぬ!』とか言って。それがなんだよ、恋人いないって。冗談じゃないって。寂しいの。想像の域を越えてるね。作っとけって」
間。
客「やっぱ今死ぬ。速攻死ぬ」
フ「あー!待って、待って!」
客「恋人がいるだけで他より偉いと思うな!」(何故かキレて)
フ「ごめんなさい、ごめんなさい」
客「何年よ?!」
フ「え?」
客「付き合って、何年よ!」
フ「いや、マーくんとはまだ二週間だけど…」
客「マーくんとはまだ二週間だけど…はは!(笑い飛ばす)恋愛が本当に楽しいのって最初の一月だけなんだから!」
フ「はぁ。妙に力こもってますね」
客「だいたい二週間しか付き合ってないのに、恋人いないって冗談じゃないとかよく言えるね」
フ「いや、その…タイミングの問題で…」
客「あー、すっきりした。死ぬか」
フ「えー、だからちょっと待って!あ!(思いつく)待って、待て!そうじゃなくて!(一人ごちて)分かった!今分かったの!答え!ピンと来た!」
客「さっき絞り込んでたんでしょう?」
フ「いや、大外から新しいアイデアが来た!いじめだ!仕事場のいじめ!上司のセクハラ!」
客、スイッチを押す。ブブー。
フ「えー!」
客「はい消えた!終了!」
フ「なんで?まだ二回…」
客「今、二個言ったでしょ。『仕事場のいじめ!』『上司のセクハラ!』」
フ「ま!まだ二回だって。ほら、それは二つで一つなんだよ『仕事場のいじめ上司のセクハラ!』」
客「いじめ上司って何」
フ「いじめたり、いじめられたりする上司だよ」
客「…じゃあ分かったから最後のチャンス、どうぞ」
間。
フ「ライフライン」
客「無い」
間。
フ「何の仕事してるの…?」(困り果てて)
客「さて何でしょう?」
フ「それくらいヒント頂戴。頼むよ」
客「最初の、絞り込めなかった他の答えはどこに行ったの」
フ「もうカケラも思い出せない」
客「あのね、仕事は…」
フ「五回以内で当てるからさ…」
客「仕事は手タレです」
フ「言っちゃうし!…『手タレ』?」
客「そう」
フ「『手タレ』って何?駄目なやつ?」
客「そりゃヘタレ。どんな職業だ。手タレってのは、コマーシャルとかポスターとかで、手だけ出演するタレントのこと」
フ「へー。ということはテレビに出てるの」
客「ジョージアのコマーシャルあるでしょ。『次行ってみよー』ってやつ」
フ「うん」
客「あれ、私の手」
フ「うそ?」
客「ほんと」
フ「ありえない。え、どこのシーン?」
客「全部。藤原紀香も加藤あいも、腕から先は私。コンピューターグラフィックスで合成してるの」
フ「えー?!ありえない!」
客「CMで手だけのアップがあったら、80%くらい私だから」
フ「…全部同じ手だったんだ」
客「そう。西村雅彦の手も私だから。ちゃんと色塗って、毛を生やして…」
フ「へー、ありえる」
客「それはありえるのか」
フ「あなたのこと信用することにした」
客「もっと早くしろよ」
フ「手タレか…」(考え込む)
客「分かった?すごいんだから、私の手」
フ「手…手…コマーシャル…(何かを切り替えて)ということは、収入には困ってませんね」
客「まあね」
フ「そんな自分の手に自信がある」
客「もちろん」
フ「なるほど…つまりあなたは金銭的なものとは別の不満を抱えていて…どちらかという精神的な…ルサンチマンが…年頃なのに彼氏もいなくて全くモテない…」
客「ほっとけ」
フ「(無視して)欲求不満からなる…(指を数えながら)自傷癖…自分を露出する職業…自分に自信があるのに周りは認めてくれないという…(何かに気付いて)ちょっと待って!今の仕事の話と自殺の理由、関係ある?」
客「全然ない」
フ「無いのかよ!」
客「そっちが勝手に聞いてきたんじゃない」
フ「いや!そりゃそうだけどさ!普通なんかこう、あるでしょ?伏線?みたいな。あー、その話がそこでー!とかさ。こことここが繋がってたんだ!とかさ。一つの物語として。あなたにはこう、伏線を紡いでいこうという意図が無いわけ?」
客「私もう死ぬから物語なんてどうでもいい」客、ソファに座り込む。
フ「えー?!」
客「だって今から死ぬのにどうして他の人のために物語なんて残さないといけないの?それならむしろ、私は謎を残して死にたい。『私はこの問題を解いたが、証明を書くにはここの余白が少な過ぎる』」
フ「他の紙を持って来て書け、って話よ」
客「(ぼんやりと)あのさあ?」
フ「ちょっと待って、今考えてるから。絶対当てるから」
客「そうじゃなくて」
フ「なに」
客「寝ていい?」
フ「え?」
客「座ったら眠くなってきた」
フ「…どうぞ」
客「お休み」
フ「照明は?」
客「明るくても寝れるから」
フ「そう…」
間。
フ「さっきのクイズは…」
返答なし。フロント、客に近よりながら。
フ「お客さん?(小声で)」
返答なし。
フ「寝てる…」
フロント、客が手に持ったままのナイフに触れる。
客「うーん」寝返りをうつ。フロント、慌てて離れる。
フ「寝てる人に刺し殺されるとこだった…」
客「スティー『ヴ』…(寝言で)」
フ「スティー『ヴ』…(真似して)。寝言なのに発音いいなぁ。『ヴ』。『ヴ』」
フロント、再びこっそりとナイフに触れる。刃をつまみ、そのまま客の手から引き抜く。ナイフは奪えるが、その拍子に客のバランスが崩れ、大きく横に倒れ込む。
フ「ひっ!」
客「ごめんね、スティー『ヴ』」
フ「寝言…?」
客「どうしてマッキーと私のことを疑っているの…?」
間。
客「違う。マッキーはあなたの親友じゃない…」
間。
客「そう…知ってたのね…」
間。
客「分かってる。私だってあなたの奥さんに言うようなことはしない」
間。
客「でもね、スティー『ヴ』、これだけは言わせて…」
間。
客、いびき。
フ「気にさせる人だなぁ」
フ「まあでも、何にせよ寝たからいいこととしよう」
フ「私も寝ようかなあ。本当はいけないんだけど」
フ「フロントの心得その23、誰か一人は起きてろ」
フ「そして私は今一人だし」
フ「というかいつも一人だし」
フ「独り言多いな。黙ってよう」
フロント、どこからか寝袋を出してくる。手には本。何気なく客の側に広げようとする。
客「△!#○$×」(大声、寝言)
フロント、あわてて離れる。寝袋をひいて横になる。
フ「あー、やっぱりだめだ、沈黙に耐えきれない」
フ「独り言が多いのって、人間として寂しいよね。野球とか見に行くと、一人でぶつぶつ何か言っている人っているじゃない。『赤星そこ走らんでも』とかさ。すごく寂しそうだよね。誰か横に人がいるだけで何の違和感もないのにね。頷いてる人がいるだけで、何の問題もないのに。だから私、いつもそういう人の独り言を耳にすると、隣でうんうん、って頷いてあげることにしてるんだけど」
フ「誰か私の独り言にも頷いてくれるといいんだけど」
客「うん」起きる。
フ「うわ」起きる。
客「分かる」
フ「な、何が」
客「独り言が多いのって、人間として寂しいよね。誰か隣に人がいるだけで何の違和感もないのにね」
フ「聞いてたんだ」
客「少しでも音がすると、眠れない性質なの」
フ「いつから聞いてたの?」
客「気にさせる人だなぁ」
フ「最初じゃん」
客「少しでも音がすると駄目なのよ」
フ「あー、はいはい。…って、じゃああの『△!#○$×』ってのは?」
客「ジョーク」
フ「さっきとなんか、キャラ変わってない?」
客「キャラって?」
フ「こうさ…あるじゃない。物語として…いい役とか、悪役とか」
客「私が悪役?」
フ「そうじゃないけど…、でもほら、ボケ役とかツッコミ役とかさ。なんかこう、序盤は私の方がボケてなかった?なのにこう、急にツッコミになって、スキルが試されるというか…」
客「考えすぎ、考えすぎ。世の中はコントじゃないんだから。それに…あ、その本なに?」
フ「え?」これ?という感じで手に持ったままの本を少し見せる。
客「そう」
フ「えっとこれは…その前に一つ、お客さん、マイペースって言われません?」
客「うん」
フ「うんって?」
客「痛烈に言われる」
フ「やっぱり」
客「それでその本は?」
フロント、本を手渡す。客、開く。
フ「それは本じゃなくて、このホテルの宿泊者名簿。寝る前にいつも見直して、これまでどんなお客さんが来たかを思い出すの」
客「へー、面白そう。『好きなアイドル:熊田曜子。38歳。独身』だめだこりゃ」
客、読みふける。
客「だから色々書かせたのね」
フ「そういうこと。あ、そこ面白いよ、そこの座右の銘」
客「『恋愛とは、オセロのようなものである。遠距離恋愛とは、目隠しをしてするオセロのようなものである』…何これ」
フ「井上さんって人。誰の言葉かって聞いたら、自分の言葉だって」
客「はあ…」
フ「井上さん、こっちのページにもあるよ」
客「『恋愛がサッカーなら、遠距離恋愛はリフティングである。そこにゴールや勝利はない。ただ続くか、続かないか』…これも自分の言葉?」
フ「そうみたい」
客「枠からはみ出してるし。考えてから来たんだろうなあ」
フ「なんか遠距離恋愛で悩んでるみたい」
客「そのまんま!他の井上語録は?」
フ「(本を受けとって)井上さんはあったかな…(ページをめくる)あ、あれもよく分かないけど面白かったな。井上さんじゃないけど、最近の」
客「誰?」
フ「スティーブなんとかって人」
客「スティーヴ?!」
フ「あ!」
客「え?」
フ「いや、でもよくある名前か?(一人ごちる)」
客「え、ちょ、ちょっと」
フ「あぁ、違った、えぇと『スティーブって知り合いがいるの?』(台詞らしく)」
客「まあ、知り合いっていうか…」
フ「スティーヴ…どこだったかな。そっちのスティーヴは何て名前?」
客「スティーヴ村上三世」
フ「…あった。スティーヴ村上…三世…ビンゴ」
客「スティーヴ…来てたんだ…。一人で?」
フ「えぇと(調べて)…二人」
客「いつ?連れはどんな人だった?」
フ「(調べて)そう、二日前だった。あの人かあ…気付かなかった」
客「二日前!?誰と?奥さん?」
フ「えーっと(思い出そうとして)」
客「女の人?」
フ「それはそうだった。ここに男二人は変でしょ」
客「特徴は?」
フ「ごく普通の」
客「武双山みたいだった?」
フ「全然違う」
客「奥さんじゃないんだ…」
フ「そんな奥さんなんだ…」
間。客は色々考えている。
客「おかしくない?!あれだけ奥さんのこと愛してるって言ってたのに…?」
フ「え?え…ごめん、ちょっと状況が飲み込めなくなってきた」
客「スティーヴと私は不倫ともだちでした」(棒読み)
フ「なんかひっかかるけど先に進もう」
客「スティーヴはいつも、奥さんのことをとても愛していると言っていました」(棒読み)
フ「不倫しながら?」
客「不倫しながら」(棒読み)
フ「それで?」
客「なのに、なんか他の女とホテルに来てたって言うじゃない!」(突然キレる)
フ「えーっと、それは何?嫉妬?」
客「スティーヴったらただの浮気性なんじゃない!」
フ「それで」
客「本当に誰かを愛している人を愛するのが楽しいのに」
フ「さらっとすごいこと言ったな」
客「裏切られた気分です」(棒読み)
フ「武双山みたいな奥さんの方がもっと裏切られた気分だと思うよ」
客「しょせん、私は日陰の女ってことなのかしら」
フ「聞いてないし。そういうレベルの話でもないし」
客「そうだ!それで座右の銘って何だったの」
フ「あー!そうそう。あまりの衝撃で忘れてた。えーっと(探して)…」
客「(覗き込む)『毒を食っても皿食うな』…」
フ「ごめん…。状況を理解していない時は面白かったんだけど」
客「不倫や浮気がおおやけに認められる世界が来たらいいのに」
フ「失楽園天国?なんか矛盾してるな」
客「フリンがいけないって誰が決めたんですか!」(誰かに)
フ「でも不倫が公に認められたら、刺激が無くなっちゃうんじゃない?」
客「わっ!」(驚く)
フ「どうしたの?」
客「きっとそうだ…気付かなかった…私って刺激が生きがいだったんだ」
フ「今気付いたの?」
客「今まさに気付いた。なんか、実は鋭いタイプ?」
フ「いちおう、ここで、いろーんな人見てるから」
客「あなたのこと、少しだけ信頼してみる」
フ「少しだけか…」
客「その上で聞くけど、ぶっちゃけどうしたらいいと思う?」
フ「まともに生きたら?」
客「まともって?」
フ「不倫以外の恋愛を探す」
客「かたぎの世界にはもう戻れないよ」
フ「ドラマ的な恋愛から抜け出さなきゃ!刺激を優先するんじゃなくて、ちゃんとした、素敵な人を見つけて、その人とのんびり暮らすんだよ」
客「妻子のいない?」
フ「妻子のいない」
客「でもそうしたら刺すか刺されるかというスリルがなくならない?」
フ「そんなのいらないから。だいたいそんなにスリルがいるわけ?」
客「いるでしょ!私、刺激が生きがいだって気付いたんだから!」
フ「言わなきゃ良かった」
客「スリルのない恋愛なんて考えられない」
フ「どういう恋愛観なのよ」
客「私の理想?ある朝、私は駅に向かって歩いていました。ドンっ。『あ、ごめんなさい』『こちらこそごめん』彼は背が高くて筋骨隆々、西洋人のような顔立ちの室伏広治でした」
フ「あ、室伏なのね」
客「私は恥ずかしくて立ち去ろうとしました。『あ、ちょっと待って』『はい?』『これ…君のハンカチじゃない?』そういって私のハンカチを差し出す彼の左手薬指には輝く指輪が。駄目、私ったらさっきマッキーと別れて来たばっかりなのに」
フ「そりゃ駄目だろう」
客「奥さんが仕事から帰ってくる前に、スティーヴの家に行かなきゃいけないのに」
フ「すごいハシゴね」
客「しかし惹かれあう二人の視線はくっついてもう離れず…どこまで描写していい?R15?R18?」
フ「じゃあそこで終了して」
客「つまらないなあ。ここからハーレクインロマンスが児童書に感じるくらいのめくるめく展開なのに」
フ「もうだいたい分かったから」
客「え?うそ?もう分かった?じゃああなたも相当マニア?」
フ「いや、細部はともかく言いたいことは分かったから」
客「そう…。じゃあさ、一体あなたの恋愛観って何なのよ」
フ「え?」
客「恋愛観。私よりずっと健全なわけ?」
フ「まあ、でも、人並みだと思うけど…」
客「人並みって。人間はだいたい平均的なくらい変態なんだから。もっと具体的に」
フ「あー、そうね、昔、チャーミーグリーンって洗剤のCMがあったじゃない?ああいうのがいいなあ、ってずっと思ってるんだけどね。何歳になっても、夫婦で手を繋いで歩けたらなあって」
客「不倫でも手は繋げるよ。奥さんが見てなければ」
フ「繋げばいいってもんじゃないの。もっと公に。公然と」
客「夢が無いなあ」
フ「どんな夢見てるの。知ってる?恋愛の半分は優しさで出来ているのよ」
客「あと半分は?頭痛?」
フ「うまいけどそうじゃない」
客「それで?その恋愛観は現実に出来そうなの?彼とは手を繋いで歩いてる?」
フ「マーくん…そもそも出不精なんだ」
客「あ、そう…」
間。
客「まあでも、確かに刺激がないのもマニアックに考えればそれはそれで刺激的かもね…」
フ「どんな発想してるの」
客「ものは考えようってこと」
フ「それは違うな。『フロントの心得その82:ものは考えない。考えるのはフロントである』」
客「何それ」
フ「フロントの心得。フロントが働く上で心に留めておくべきことを、箇条書きにしたものなの。一流のフロントになるためには全部暗記しないといけないんだから」
客「幾つあるの?」
フ「847個」
客「多!覚えてるの?」
フ「もちろん、全部覚えてるよ」
客「すごい!えーっと、じゃあ200番目は?」
フ「フロントの心得その200:爪はしょっちゅう切れ。夜に爪を切ると親の死に目に会えなくなるが、伸びていたら切れ」
客「324番目」
フ「フロントの心得その324:ロビーで歌を歌うな」
客「325番目」
フ「フロントの心得その325:ロビーで鼻歌を歌うな」
客「703番目」
フ「フロントの心得その703:時報は117,天気予報は177」
客「なんかあんまりすごくない気がしてきた」
フ「でもどっちが時報でどっちが天気予報か忘れない?」
客「そんなの使わない。携帯で天気予報見れるし。この携帯の時計はずれないし」
フ「え、すごい。なんで?」
客「なんか、電波」
フ「そうなんだ」
客「あ、ちょっと待って」
フ「はい?」
客「電話してきてもいい?」
フ「もちろんどうぞ」
客、携帯を取り出して外へ出て行く。
客「もしもし?マッキー?起きてた?」
フ「そこでマッキーかよ」
間。
フ「しかし、結局自殺の理由って何だったのだろう。まだ明らかになってないよね。スティーヴの浮気については、今明らかになったところだし。スティーヴ、お客さん、マッキー、武双山…(考えながらジェスチャー)。だいたい不倫してる男に浮気がバレるってどういう構図だ。さっきの話ぶりではきっとマッキーも、恋人がいてその人のこと愛してるとか言ってるタイプなんだろうし…なんか別世界の話みたいね。『準備完了、ワープナインで不倫!』みたいな。ともあれ今は武双山が可愛そう…九州場所、残りは応援しなきゃ」
客、戻ってくる。
客「チェックアウト」
フ「少々お待ち下さい(反射的に)。え?帰るの?」
客「マッキーのところに行くことにした」
フ「今から?」
客「今ならいけるって」
フ「いける?」
客「彼女、仕事でいないって」
フ「妻子はいなくても、恋人はやっぱりいるわけ」
フロント、何かの紙を差し出す。客、サインする。
客「妻子も恋人もいない男なんて知らない」
フ「百万遍のあたりにはいくらでもいると思うけど…今から行けるの?」
客「彼の家、すぐ近くみたい。まだ行ったことないんだけど」
フ「どのあたり?」
客「杉屋ってメロンパン屋さんの裏だって」
フ「本当にすぐそこだなぁ」
フロント、紙に判子を押して渡す。
客「そうなんだ」
フ「一分もかからないよ」
客「そっか。それじゃ。色々ありがとね。おかげで元気になった」
フ「そりゃあ良かった」
客、玄関に向かって行く。
客「また来るかもしれないから、空けておいてね」
フ「ふつうに予約してよ」
客「はーい」
客、出て行く。
フ「マッキーねぇ…」
間。何かに気付くフロント。
フ「ちょっと待って!お客さん!お客さん!」
フロント、慌ててかけ出そうとする。入口から出ようとしたところで、客が戻ってくる?
客「いま呼んだ?」
フ「ちょ、ちょっとだけいい?」
客「うん」
フ「マッキーってどんな人?」
客「魚で言うと…」
フ「もうちょっと具体的に」
客「男、25歳。経済学部7回生。メガネ」
フ「この近くに住んでるだよね…」
客「みたい」
フ「恋人がいて、彼女は今仕事してる…。(間。踏ん切りをつけるように)本名は知ってる?」
客「牧田…」
フ「茂雄」
客「そうそう!知り合いだったんだ?」
間。フロント、どこかに倒れ込む。
客「あれ?」
フ「…どこで知り合ったの?」
客「たまたまスティーヴに紹介してもらって…」
フ「…いつ?」
客「二月くらい前かな?」
フ「それで、いつオトナの関係に至ったわけ?」
客「え?言うの?まあ、それはもっと最近だけど」
フ「ここ二週間くらい?」
客「いや、一週間くらい前かな。彼が東京の方に来て、三日ほど泊まり込んで行ったの」
フ「で、それがスティーヴに知れたと」
客「昨日ね」
間。
客「どうしたの?」
フ「私の彼、学生なんだけど、先週学会に行ったんだ」
客「へー、すごい」
フ「それを聞いて私、大学にさえ普段はまともに行かないのに、学会なんか行くもんなんだって思った。だから尋ねてみたら、教授の付き添いとかなんとか言って。教授と付き合いがあるなんてその時に初めて聞いた。名前を覚えてもらってるかも怪しいもんだと思ってたから。でも今分かった」
客「何が?」
フ「私の彼、牧田っていう名前なんだ。私はマーくんって呼んでるんだけど。牧田茂雄って言うんだ」
間。
客「マーくん?」
フ「うん」
客「イコール、マッキー?」
フ「うん」
客「…何て言ったらいい?」
フ「何も言わなくていい」
客「分かった」
間。
フ「もう嫌だ!やっぱり何か喋って!なんか気分が盛り上がるような話!」
客「面白い話ってこと?」
フ「何でもいいからこの沈滞ムードを変えたい」
客「何かあったかなあ。あ、これは?『24時間営業のスーパが開店したので、男は懐中電灯を買いに行きました。家に戻って懐中電灯の箱をよく見ると、乾電池は別売、と書いてありました。男はしぶしぶ、再びスーパーに向かいました。すると店員がスーパーのシャッターを下ろそうとしているところでした』」
フ「何で?」
客「男は言いました『24時間営業と書いてあるじゃないか!どうして閉めるんだ』店員『はあ。でも24時間連続営業ではないんで。休み休みやるつもりです』」
間。
客「面白くない?」
フ「全然分からない。それで終わり?」
客「男は無理矢理店に入り、乾電池を買って帰りました。家に戻って乾電池の包みをよく見ると、乾電池は別売と書いてありました。これでおしまい」
フ「わけが分からない…」
客「そういう話なの」
フ「そもそもなんの話なんだったっけ?」
客「ほら、うまくいった」
フ「あ、マーくんの話か…」
客「もう思い出しちゃったか…」
間。
客「死にたいとか言わないだけ私よりマシだよね」
フ「励ましてくれてる?」
客「うん」
フ「ありがと。死んだら終わりだし」
客「それはそうね」
フ「短い付き合いだったし」
客「それもそうか」
フ「あー、でもやり直したいなー」
客「マーくんと?」
フ「そうじゃなくて、人生をリセットしたい」
客「どこからやり直すの?」
フ「彼と出会う前から」
客「付き合わなきゃ良かったってこと?」
フロント、頷く。
客「リセット、すればいいのに」
フ「え?」
客「私が言うのもなんだけど、やればいいと思うよ。もう付き合う気がないなら。電話番号もメールアドレスも着信拒否にすればいいだけ」
フ「そんなこと出来る?」
客「私ならそうする」
フ「出来るの?」
客「出来る」
フ「スティーヴのメールアドレスは?」
客「さっき消した」
フ「本当に?」
客、携帯を渡して。
フ「マッキーしか入ってないじゃん!え?他は?」
客「別れたら消してる」
フ「…もっとその、別れるとか不倫とか以外の付き合いはいないの?」
客「日陰の女の悲しい性ね」
フ「まあそんな生き方してたらなぁ…」
間。フロント、何かに気付く。
フ「はい!はい!」(手を挙げて)
客「どうぞ」
フ「どうして自殺しようとしたのか分かりました!」
客「そういえばラストチャンスだった。で、何だと思った?」
フ「友達がいないから」
間。
客「認めたくないものだな…友達の少なさというものを」(遠い目)
フ「当たった!当たった!私やっぱりすごい!え?いくらだっけ?当てたら?」
客「かけてない、かけてない」
フ「…じゃあ何でクイズやってたんだっけ」
客「それはまあ…その…分かった!おごるから!何か食べに行こう!このへんで安い店知らない?」
フ「京懐石の名店なら近くにあるんだけど…」
客「あ、なんかテレビでごはんが二合のカレーが出て来る店を見たよ。あれってこのあたりじゃなかった?あれを二人で食べようよ。明日の朝兼昼にでも」
フ「金持ちなんじゃないの?というか、今からここに泊まるの?」
客「泊まるよ」
フ「マッキーは?」
客「もういい。情熱を失なってしまった」
フ「何で?私のせい?」
客「そうじゃなくて…情熱ってのは生き物なわけ。だから突然死んだりすることもあるのよ。そっちこそマーくんは?」
フ「もういい。そもそも二週間しか付き合ってないし。三日間はガッカイ!だったわけだし。今ならまだ全然大丈夫だって、さっきあなたに言われて思った。きれいさっぱり忘れて、またぼちぼちやっていける。『フロントの心得その2:涙の数だけ強くなれるよ』あ、そうだ、メモリーから消さないと」
フロント、携帯を最初に出て来たとこから取り出す。
客「そこはあなたの巣なの?」
フ「あ、メール来てる」
客「誰?もしかして?」
フ「ううん、違った」
客「誰?」
フ「大学時代の先輩」
客「何て?」
フ「週末にあるサークルの同窓会に来ないか、と」
客「その先輩っていい男?」
フ「わりと」
客「恋人は?」
フ「紹介しないから!」
客「狙わない、狙わない。それより、さっそくのチャンスじゃない」
フ「チャンス?」
客「出会いの」
フ「…その前のめりな生き方を、少しは真似したいなあ!」
客「そんなの、いくらでも教えたげるから。でもそれはまたの機会ね」
フ「どうかした?」
客「眠くなってきた…考えてみれば、さっきも眠かったのにほとんど寝てないし」
フ「あ…そうだったね。もうこんな時間か…じゃあ寝ようか。そっちのソファでいい?」
客「うん」
フ「電気を落とすね」
客「うん」
フ「消すよ」
客「うん」
暗転
客「なんかさ」
フ「うん」
客「修学旅行みたいだね」
フ「枕あるよ。投げる?」
客「面白そうだけどまた今度にする」
フ「そっか」
間。
客・フ「あのさ」
フ「え?何?」
客「いや、何?」
フ「えっと、あとで、メールアドレス教えてよ。電話番号でもいいけど」
客「うん、分かった」
フ「そっちは?」
客「ううん、もういい」
フ「ふーん、分かった」
客「じゃ、寝るね」
フ「うん、おやすみ」
客「おやすみなさい」
音楽。
おわり。
2004/08/02 - 2004/10/17
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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