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Apache

「Apacheを1.X系列から2.X系列にアップグレードしたら、起動しなくなったんだけど」という出だしでそのメイルは始まった。午後、五時だった。「設定ファイルをそのまま流用しただけではいけないのかな?httpd.confを添付しておきます。原因が分かったら、すぐに教えて下さい。今日は夜中まで応対出来ます」

 左、右と、見回した。どちらも灰色の味気ないパーテーション。大部屋の中の、小さな個人スペースだ。就職して半年強。時々、この机の前で呼吸困難に陥る夢を見る。声をあげたくても、何も出てこない。前、隣、背後、仕切りの向こうからキータイプの音が聞こえる。机に倒れ込む。目が回って、天井のライトが近く感じる。何かに抵抗するように、握ったままのマウスの左ボタンを何度もクリックする。ウィンドウズが原因不明のエラーを表示させ、ひとりでにシャットダウンを始める。ブラックアウト。

 そこでいつも目が覚める。

 ディスプレイの中央を陣取ったメイルクライアントに、再び視線を移す。そのメイルはシンプルな、「Apache」というサブジェクトだった。差出人は「Marika OSHIMA」。今日は、調子が良かったのだ。朝はバス停まで走ったし、仕事もすいすいと済ませた。もう今日の分はやることが無くなってしまったくらいだ。だから帰宅前に、メイルのチェックなんてしたのだ。普段は、そんなことしない。新しい仕事が舞い込んだら困るから。でも今日はチェックした。そして、そのメイルが転がり込んできた。それは三年前に別れた恋人だった。

 メイルの最初から最後まで、今一度目を通す。近況らしいことは一切書かれていなかった。ただ、サーバーマシンの設定について尋ねているだけ。最後に会った時、彼女に別れを切り出された時、彼女も僕も大学生だった。僕は工学部で、彼女は商学部だった。二人は同い年だった。順調に行ったなら、彼女も今年、就職したはずだ。彼女が順調に行かないでいる様子なんて考えられないけど。自分のことは、どんな手段を用いても順調に済ませるのが彼女のやり方だった。例えば、完全に縁を切った昔の男を使ってでも。どうやら、彼女はどこかの会社でサーバー管理のようなものを任されたらしい。メイルの設定でさえ、一人では出来なかった彼女が。

「『今日は夜中まで対応出来ます』」そう呟いて、その言葉の感触を確かめる。そしてノートパソコンの電源を落とし、バックパックに詰めた。「帰ります」隣の石山さんに言った。石山さんはヘッドフォンを装着したまま、こちらをちらりと見て、頷いた。石山さんは今日もYahoo!オークションの軽自動車コーナーをチェックしていた。

 

 駅まで出る途中、携帯電話に恋人からメイルが届いた。「20分遅れる」という題名。本文は空だった。僕は待ち合わせのタクシーターミナルを通り過ぎ、駅前のロフトを覗くことにした。

 ロフトは一階からクリスマス特集で、そもそも独特なイエロー地の建物に、ツリーの緑やら包装紙の赤、そして各種イルミネーションを輝かせ、「ジングルベル・ジングルベル」とどこか脅迫的にBGMを流していた。逃げるようにして、時間を潰す時にいつも訪れる枕のコーナーへ今回も向かう。

 柔らかい枕、固い枕。僕は枕にてのひらを押し込み、凹んだ「あと」がどれくらいで戻るかを観察した。全然「あと」が戻らない、初めて見る枕が一つあって、その「あと」は手形でも取ったみたいに僕のてのひらを形づくっていた。明日までには戻るだろうか。僕は少し不安になった。

 気付いたら、もともとの待ち合わせ時間を15分ほど過ぎていた。店を出てターミナルへと戻る。恋人はまだそこにはいなかった。5分経ち、10分経ち、恋人がやって来たのはもともとの待ち合わせ時間から40分が過ぎた頃だった。

「遅くなっちゃったね」恋人は言った。「こんな日に約束しなきゃ良かったかもね」僕は曖昧に頷いて彼女の手を取ると、前々から行こうと言っていた近くのフランス料理の店へ歩いた。

 

「Apacheって?」恋人は言った。ニョッキのようなものを平らげた後に。

「そういうソフトウェアだよ」と答える。「httpなんとかというリクエストを受け取ると、対応するページを表示する。そんな仕事を一手に引き受けるソフトウェア」

「信じられない」恋人は言った。

「何が?」

「どうしてそんな話を私にするの?」

「今日はどうしてたの?と聞くからだよ」僕は言った。「そのメイルを受け取ったのはついさっきだったんだ」

「どうして私に、そんな話をするの?」恋人は首を振りながら言った。

「君なら、どうしたらいいか分かるかな、と思ったんだ」

「どうして?」

「同じ女性だからさ」

 恋人は深い深い溜息をついた。「信じられない」彼女は言った。

 料理はそれからも、次々と運ばれて来た。どれも美味しかったが、とくに鴨肉を何かのソースで敢えたものは絶品だった。しかし、恋人はそれ以上口を開かなかった。

 

 無言のまま立ち去った彼女の後ろ姿を見送り、僕はバスに乗った。満員だった。今日は調子が良かったのにな、と思った。

「今の、恋人?」誰かの声がしたので、振り返った。仕事場の、隣の部所の同期の男だった。名前は忘れた。「マツヤマリョウカに似てるって言われない?」男は僕の反応を待たずに言った。芸能人だろうか。それとも、仕事場にいる、僕が知っているはずと彼が思っている人だろうか。「この季節になると恋人が欲しくなるよなあ」彼はまた返答を待たずに言った。クリスマスのために恋人を作った男女を俺は責めないよ、という口調に聞こえた。そんな風に見えるのかな、と思った。彼はいつから見ていたのだろう、とも思った。今の恋人とは、昨日今日付き合い始めたわけではなかった。もうすぐ、ちょうど一年になる。ただ、一年前の今頃もやはりクリスマス前だったが。

「今から寮で飲もうと思うんだ。キノマタも来るよ」男は言った。キノマタという名前も知らなかった。この人は誰かと勘違いしているのではないだろうか、とちょっと考えた。しかし「寮」と彼は言った。そして僕の「寮」までもうすぐ、というところで彼はバスのチャイムを押した。「沢山うちの寮の人間が乗ってるはずなんだけどなあ」彼は言った。「みんな誰かが押すと思ってるんだぜ」僕は初めて賛同出来る台詞を聞いたように思ったので、強く頷いた。バスは止まり、彼に僕、そしてこころなしか少し恥ずかしそうに、四人の男が下りた。

「そうそう、ミカミも来るよ」彼はまた言った。それも知らない名前だった。小学校の頃に所属していたサッカーチームに、そんな名前の後輩がいたくらいだ。

「今日はやめとくよ」僕は言った。「ところで、君はなんて名前なんだい?」そう言おうとして、やめた。「そうか」彼は頷いた。「ところで、君は誰だっけ?」彼もそう言おうとして、やめるような表情を見せた。

 

 寮には直接帰らず、少し遠回りをしてコンビニに寄る。「いらっしゃいませ」と店員が声をかけた。店員は、古い知り合いだった。中学の同級生。なぜか彼も僕も地元を離れ、一人はプログラマとして、もう一人はコンビニのアルバイトとして働いている。

 プリンを持ってレジに向かうと、彼が応対した。

「これだけ?」彼は言った。「栄養取ってるか?新しい弁当はけっこういけるぞ」

「ごはんなら食べてきた」僕は答えた。「ところで、電気製品をゴミに出す時のチケットはないかな」

「チケット?」彼は言った。「何か捨てるのか?テレビなら、ぜひくれよ」

「テレビじゃない」

「400円分でいいか?小さいものなら箱に詰めて、これを貼って出せばいい」

「400円でいい」僕は頷いた。

 

 寮の自分の部屋は、六畳より広く、八畳より狭いくらい。ベッドとデスクを置くと、余裕はほとんど残らない。僕は鞄からノートパソコンを取り出し、再びメイルをチェックした。新しいメイルに、大したものは無かった。自然と、僕は「Apache」を読み直すことになる。自然と、恋人の言葉を思い出した。

「『信じられない』」そう呟いて、その感触を確かめる。

「『今日は夜中まで対応出来ます』」そう呟いて、その感触を確かめる。

 僕はノートパソコンを机から持ち上げると、頭の上にかざし、そのまま床へ叩きつけた。パソコンは液晶のある方とキーボードのある方を結ぶヒンジが折れて二つに別れ、液晶には縦横にヒビが入り、いくつかのキートップがばらばらと散らばった。自分の足下にこぼれたキートップを拾い上げると、偶然「きのまた」になった。

 僕はコンビニの袋からプリンを取り出し、食べた。箱を探さないといけないな、と思った。

 

2004/11/25 - 2004/12/08

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この文章は小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。特に明記のない限り、この作品はフィクションです。

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