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辺境 1

 僕は横になっていた。そして僕は眠っていた。

「佐野大川」

 誰かがそう言った。僕は目を覚ます。目を開くと、太陽が眩しく、空高く輝いている。「佐野大川」誰かがそう言っている。それからゴゴゴ、というエンジン音。どうやら僕はそれで目を覚ましたようだ。音のする方へ、ふと顔を横にやると一両編成の列車が、ホームに止まっている。ということはここは駅か。今寝ているのは駅のベンチか。ここはどこだ?

「出発します」抑揚の無いアナウンス。プシューっ、という音と共に前後ろのドアが閉まる。あ、とか何とか声を出そうとするも、実際には出て来ない。声というのは、寝て起きてすぐには出て来ないものだ。出て来たとしても、このゴゴゴゴというエンジン音の中、一度閉まったドアが開くとも限らない。ともあれ、一両編成の列車は、青くブルーの車体に太陽の光を浴びながら、キラキラと、そしてゴゴゴゴと、駅を離れて行く。青くブルーというのは不適切か。それはあんまり綺麗じゃない海の色みたいな青さだ。

 ところで、列車というのは一両でも列車と言うのだろうか?

 横になったまま、ポケットからごそごそと携帯電話を取り出してみる。圏外。人口カバー率98%、という歌い文句が頭をよぎる。ということは何か、ここは2%の住む土地か。今一度ホームに目をやると、列車の無くなった今、向かい側が開けて見える。そこには「佐野大川」と書いた看板があってその下には「←大川|南港十字→」とある。知らない名前に知らない名前と知らない名前だ。看板の後ろには盛大に田んぼが広がっていて、時々思い出したように人が住んでいるように見えなくもない建物が建っている。建物が建つって馬から落馬するみたいなものかな。割と日常的に言うような気がするけれど。

 体を起こすと、背中が痛んだ。背骨が曲がっているのだ。春田はいつも、いつもと言うのは僕の背中を撫でる時はいつも、よくもこんな曲がっていて大丈夫なのね、と言う。もしこれが真っ直だったら、あなたきっとリバウンド王になれたのに。春田というのは、女性だ。化粧が濃くて、料理がうまい。背が低くて、爪が長い。そういう人だ。

 背中をさすりながら振り返って見て、自分が寝ていたのは固いスチールの、赤いベンチであることを確認する。だいたいいつもそうだ。外で寝る時は、駅がお気に入りらしい。ベンチで横になって寝るのと、階段に座り来んで寝るのが3:1くらいの比率だ。ベンチで寝た夜はほぼ例外無く、今日のように背中が痛い。階段で寝た夜は、何故か大抵頭が痛い。理由は分からない。僕はマルボロに頼んだことがある。今晩はたぶん相当に酔っぱらっているので家には帰られないだろうから、マルボロさえ協力してくれれば駅の階段で寝ることにするので、その様子をマルボロはビデオに撮って、そしてどうして起きた時に頭痛がするのかの原因を探って欲しい、と。もしかしたら寝ている間、僕はがつんがつんと階段の手摺りに頭を打ちつける癖があるのかもしれない。あるいは階段で寝ている人間を見ると、頭を一つ二つ殴ってやりたくなる人間がこの世の中にはぼちぼち存在しているのかもいれない。

 マルボロは実に下らない男で、洗濯物を取り込む主婦やら足の爪を切る女子高生やらをビデオに撮っては「アート作品」と称してどこから見つけて来たともしれないコンテストに応募している。時々、入賞などしてしまうのだから驚きだ。アート。僕は呟いて、吐き捨てる。洗濯物を取り込む主婦がアートなら、いや、まあいい。たぶん、僕には見えない世界というのが存在するのだろう。マルボロは日常性に潛む危うさを鋭くえぐって顕在化させることが出来るのだ。そして三十代後半になって職も無く、うろうろと短期のアルバイトをしたり親の脛に噛りついたりして、ひっそりと死んでもかつての同級生達の話題になることさえないのだろう。

 大原則1。僕は仕事をしない人間が嫌いだ。仕事をしない自分を正当化しようとする人間に至っては、もう何というか存在の価値さえない。

 それにしてもここはどこだろう。佐野大川、それは分かっているのだけれど。ふと見回すと、壁に時刻表が貼ってあるのに気付いた。僕は立ち上がる。膝が痛い。関節が痛いというのは何なのだろう。年なんだろうか。油の切れた自転車みたいなものなのか。

 携帯電話の時計を見ると12時15分。時刻表を見ると12時の覧には10分だけ。13時の覧には5分、田丸行きが一本。45分に一ノ瀬行きが一本。さっきの列車は10分発のもので、あれは一ノ瀬という所に向かっていたらしい。知らない所だけれど、それを言うのなら田丸というのも知らない。

 とにかく、ここにしらばく列車は来ない。参ったね、僕は横になった。背中が痛い。横になったまま、胸ポケットの中からヨーグレットを取り出す。困った時はヨーグレットだ。何も解決しないが、舐めていれば間は保つ。世の中の大抵のことは時間が解決してくれると、僕は信じている。時間が解決してくれないものは、解決出来ない問題なのだ。小一時間、待てというなら待つまでの話。来た列車に乗れば、どこかへ行けるだろう。

 そこが、もう少し良いところなら良いが。

 そう思って、僕は目を閉じた。

 昨日はどこで飲んだのだっけ。僕は少しだけ考える。いつの間にこんなところへ来たのだろう。もっとも、目覚めたら知らない場所というのは、そんなに経験の無いことでもない。二重否定だな。時々あることだ。週に三回くらい。そのたび、僕は思う。世界はなんて広いのだろう、と。世の中には知らないところが沢山ある。例え電車に半時間搖られれば街に戻れるところだったとしても。

 もしかすると僕には、無意識的にどこか知らないところへと行こうとする欲求があるのかもしれない。今の今まで思いもしなかったことだが、十分にありえることだ。醉うと性分が出る人間というのは、世の中には沢山いる。タケルは醉うと素早く上半身裸になって「チーズ、チーズくださいよ!食べたいんですよ!」と叫ぶ。あいつは大学受験に失敗してからすこし変だ。チーズなんてパスタ屋かピザ屋くらいにしか置いてないし、そんなところでは人間酔っぱらわない。仕方が無いのでいつも誰かがコンビニに走る。とにかくひどいのだ、タケルは。「俺がチーズって言ってるんですよ?オメガとかヴィエリとかが欲しいって言ってるんじゃないですから!チーズくらいくださいよ、金なら出しますよ!」ほとんどの句点が「!」になる。そしていざチーズが運ばれると「なんかね、それよりね、もっと面白いゲームとかしませんか?」とか「チーズ、誰か食べません?俺はその様子が見たいなあ」とか平然と言う。

 ところで、話がいつの間にか脱線してしまう人間ってとても苛々する。かくいう自分がそうであり、なかなか治せないというか、治そうとしているのかさえ疑問なのだが。いや、癒す?直す?日本語は難しい。とにかくすぐに話が脱線する他人は許せない。脱線したポイントを記憶し、どうして脱線したか、その原因を併わせて逐一突きつけてやりたくなる。

 そんなことを考えていたのだが、気付いたら眠ってしまっていた。

 気付いたら眠ってしまっていた、って不思議な言葉じゃないか。眠っているのに気付いているのか?気付いたら眠って、そして起きたということなのだろうけど。気付いたら起きていた、では確かに変なのだろうし。

 そういうわけで、僕はもちろん、目を覚ました。時計を見ると12時25分。ほとんど眠っていない。なんだ、と思って溜息を一つつく。そしてふと、ホームの方に目をやる。

 いつの間にか、そこには列車がいた。やはり一両であった。ホームにすっかりと止まっていた。いつ現われたのかは分からない。古びた黄色の列車だった。黄色とブルーの、古い近鉄の、ブルーの無くなったような格好だった。ドアは開いているが、窓はどれもカーテンで閉じられ、中の様子は分からない。エンジンが切られているのだろうか、とても静かだ。もう一度目を閉じれば、列車の存在なんて忘れてしまいそうでもある。

 しかしもちろんそうする理由は無い。僕は立ち上がった。少し立ちくらみが襲う。ぐっと唇を噛んで我慢する。大層な。それから列車の方へと歩く。臨時列車なのか?そんなものが、必要とは思えないところであるのだけど。

 突然、人が列車の中からドアの方へ現れた。「早く!」そう言って人は、男だったが、ドアの前あたりまで来ていた僕の腕を掴み、中へとひきずり込む。

 全く整合性のとれない話ではある。ただ、とにかくそうして僕は世界から足を踏み外した。大袈裟に言うならば。

 

2003/11 - 2003/12/10

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この文章は小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。特に明記のない限り、この作品はフィクションです。

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