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ブルー・イン・グリーン

 村上くんから電話があった。夏休みの真ん中ごろ。僕は実家のふかふかのベッドで横になっている。午前九時、少し過ぎ。

「あ、小野田さんですか?僕です、村上です」

 言わなくっても分かるって、と僕は思う。ベッドで横になったまま、いつも通りの相手に苦笑する。携帯電話には着信元の名前が出るんだよ。なんて便利な時代だろう。だいたい「小野田さんですか?」って違う人だったらどうするつもりなんだ?僕がお風呂に入ってても、母親が勝手に取って「うちのは今、風呂なんです。あとでかけ直しますね」なんて言ったりはしない。今はそういう世の中。村上くんに教えてあげたい。もちろん彼は知った上でやっているんだろうけど。

「小野田さん、聞いてます?」

「うん」僕は答える。いちおう、僕は村上くんより二つ年上だ。でも、彼の方が全然しっかりしている。彼は大人だ。僕はと言えば、子供ではない、というくらい。

「それでですね」と村上くん。

「緑に聞いたんですけど小野田さんって今、戻って来てるんですよね?」

「…うん」緑?どうして彼女が知っているんだろう?僕は答に詰まる。理由は後述。

「じゃ、どこか遊びに行きませんか?」

「遊ぶ?誰と?」

「僕と、小野田さんです」

「二人で?」

「二人です」

 緑は?と言いかけて立ち止まる。緑は僕の元恋人だ。そして今は村上くんの恋人。三人は高校時代、演劇部で一緒だった。演劇部はその三人だけだった。高三だった僕。脚本と演出担当。高二だった緑。アイドル女優。高一の村上くん。役者および雑用。僕が入学した時、演劇部は無かった。僕自身が人生最高の粘り強さで要請し、設立されたのだ。そして村上くんが卒業した年に後継者がいなくなって無くなった。

 僕は一浪して、緑と一緒に遠くの大学に入学した。村上くんはその一年後に地元の大学に決まった。

 僕と緑は出会ってすぐに付き会い始めていた。

「なんか三人でいると立場狭いですよ」というのが、高校時代の村上くんの口癖だった。実際、僕達は彼の立場を狭めてすこし楽しんでいた。

 大学二年生の夏、緑は突然体調を崩した。理由は今でもよく分からない。ごはんを食べなくなった。寝なくなった。爪を切らなくなった。僕はよくひっかかれた。ひっかいておいて、彼女は自分で泣いた。昔から、彼女はよく泣いた。涙が出なくなっても泣く人間だった。

 彼女は地元に戻った。年末に帰った時、緑は村上くんと付き会っていると地元の友達から聞いた。駅前で村上くんに偶然会ったので尋ねてみたら、彼は「そうです」と短く肯定した。

 あれからだいたい一年と半。時々村上くんとは会っている。会って、少しだけお酒を飲んでごはんを食べる。村上くんは下戸だ。すぐに醉うので、色々話を引き出しやすい。すぐに眠るのが難点ではあるが。

「緑はどう?」彼が酔っぱらっているのを見計らって、いつも僕はそう聞く。

「いいですよ」彼はだいたいそう答える。

「何がいい?」

「全部がいいです」

 僕は緑が、まだ調子を戻していないのを知っている。そういう話はどこからともなく聞こえてくる。村上くんの頬に傷跡があることもある。そういう時も彼はにこやかに「いいですよ」と言う。

 その彼が、僕を遊びに誘っている。いつもは僕から声をかける。「飮みに行こう」と言い、返事を待たずに日時場所を決めるのが手口だ。今回の帰省でも、いつ彼を誘おうかと思っていたところだった。

「実は、行き先ももう決めてあるんです」村上くんはいつものように控えめに言う。

「もちろん、小野田さんが良ければですけど」

「どこ?」と僕。

「野球です。改修されたんですよ、スタジアム。変な名前になりましたけど。行きました?」

「行ってないよ」僕は言う。「いつ?」

「今晩です」

「相手は?」

「ファイターズです」

 ふう、と僕は深い息を吐く。僕は野球に興味が無い。好きなスポーツはサッカー、テニス。それから、スポーツじゃないけど将棋。得点経過が地味なものがいい。野球は、満塁ホームランで四点も入ってしまう根性の無さが嫌いだ。

 でも、たぶん今はそんなことは関係無い。

「いいよ」僕。「いいけど、ファイターズって小笠原の他に誰がいるっけ?」

 

 スタジアム前。グリーンスタジアムでいいじゃん、と僕は思う。もし僕に大金があったら、名前をグリーンスタジアムに戻すのにな。

 村上くんは、六時丁度に来た。いつも通りだ。だいたい、僕は予定より早く辿り着いてしまう。村上くんは丁度にやって来る。緑は、遅れたり、来なかったり。

「どっち側に行くの?」僕が尋ねると、彼は「地元民ですから」とレフト側を指した。

 僕は、彼が野球に全然詳しくないのを知っている。

 少数の熱狂的ファイターズファン群を見て、村上くんは、あれ、という表情を見せた。「気付いてました?」

「うん」僕は言った。「まあでも、その表情が見たかった」

 彼は釈然としない表情のまま、ファイターズファン群から離れた所に座った。先発はマック鈴木と、ファイターズの方は知らない外国人だった。

「とりあえず飮みましょうか」村上くんはそう言うと一人で頷き、ビール缶を開け、自分で飲んだ。それから「あ、すみません」と言って、僕にもう一缶を手渡した。

「大学はどうですか?」村上くんが言った。

「もう何も無いよ」僕は言った。「就職も一応決まったし、単位もだいたい揃ったし、卒論は無いし」

「いいですね」村上くんは言った。「本当にいいな。じゃあ、これから半年はどうするんですか?」

「特に何も考えてないけど」

「そうですか」彼はまた一人で頷き、それからぐっとビールを飮み干した。

 谷がヒットを打ち、知らない外国人が続いた。ライト側が盛り上がっている。村上くんが、それを羨ましそうに眺める。

「もう一本買って来ます」村上くんが不意に立ち上がって言った。「小野田さんも飮みますよね」

 僕はたぶん頷いた。たぶんというのは、たぶん彼はその僕の仕草を見る前に走って行ってしまったから、僕が本当にその行為を完了させることが出来たのか分からなかったのだ。

 村上くんは勢いよく駆け出して、途中親子連れにぶつかりながら、客席から消えた。そして、戻って来なかった。

 

 十分以上が経った。僕は立ち上がって、探しに行くことにした。どこへ行ったんだろう、と僕は思ったが、客席から下りると、すぐそこに村上くんはいた。彼は地面に座り込み、ビールを飲んでいた。

「ああ、おのださん」呂律は回らず、顔は真赤だった。「ごめんなさい、なんか、のんだら」彼の足下にはビールの空き缶が二つ。彼の耐性に変化が無ければ、それは許容量をとっくに越えているはずだった。

「なんか、うまくいえないんですけど」

「うん」言いながら、僕は手を差し出した。彼はその手を握り、腰を上げた。

「こんなこというのは、いまひとつフェアじゃないとおもってるんですけど」立ち上がりながら彼は言った。

「うん」僕は頷いた。

「でもね」彼は言った。

 その時、スタジアムから歓声が聞こえた。小笠原!小笠原!という怒号のような、それでいて幸せそうな声が聞こえた。ホームランらしかった。

「ああ」村上くんは言った。

 

 その試合、オリックスは2-15で負けた。

 

2003/06/23 - 2003/09/18

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このページにある全ての記述は、特に明記のない限りフィクションです。また著者である小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。
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