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医療テックユニコーン「セラノス」の興亡を描く"BAD BLOOD"が面白しんどい

 "BAD BLOOD シリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相"はセラノスという医療テックベンチャーを取り上げた本である。

 

 セラノスは指先から数滴の血液を採取するだけで、様々な血液検査を迅速、かつ安価に行えることを謳っていた。多額の資金を調達した「ユニコーン」の一つで、一時はUberやSpotify以上の評価を受けていた。エリザベス・ホームズという若い女性創業者・CEOは、スティーブ・ジョブズの再来と持ち上げられていた。

 

 しかし、ニュースで記憶のある人も多いかもしれないが、最終的には主張していた内容の多くが嘘だと明みになった。

 

 ドットコムバブル以降の20年、色々なベンチャーが生まれては消えていったが、セラノスはその中でも最大級のスキャンダルだろう。なぜこんなことが起きたのか。最初にセラノスの問題を記事に取り上げたウォール・ストリート・ジャーナルの記者が、多数の取材を元に改めてその内情をまとめたのが本書である。

 

 思うに、企業が大きな不正を行うのは、二つのパターンがある。一つは、まっとうにビジネスを行っていた企業が、なにかのはずみで不正を行ってしまう場合。不祥事と言い換えられるかもしれない。もう一つは、最初から不正を目的として会社を立ち上げた場合。これは単に詐欺である。

 

 セラノスは、このどちらにもなんとも当てはめづらい。夢のような血液検査を実現するという目標は早々に決まっている。そしてCEO以下、社員たちはそれを本気で実現させようとしている。多くの優秀な人材が集まり、多額の資金が集まる。それでも、夢は夢でしかない。現実と擦り合わせようと多くの試みがなされるが、夢の実現にしか興味のないCEOに却下される。セラノスは詐欺師集団ではないが、どれだけ必死に夢を追いかけても、現実にはならない。本書は始まった瞬間から不穏な雰囲気に包まれており、読んでいてしんどい。

 

 夢みたいな話をぶちあげて資金調達をし、トラブルを起こし、規制と戦いながら、現実的なところに落ち着いていく……そうしたプロセス自体は、アメリカでも日本でもメガベンチャー周辺でよく見られる光景だ。気味が悪いのは、なぜセラノスは人材も資金もありながら現実的な落とし所を探れなかったのか。あるいは、なぜ夢のような話に終始しながら人材も資金も集めることができたのか。

 

 個人的に気になった三つのトピックを挙げる。

 

 一つは縁故主義である。シリコンバレーを舞台に、有名企業とのパートナーシップ、多額の資金を提供するベンチャーキャピタル、無敵の弁護士たち、そして大学教授や軍高官や政治家(ジョー・バイデン! ヒラリー・クリントン!)と、華やかな人間関係が描かれているが、その実態は誰かの知り合い、その知り合い、そのまた知り合いという感じばかり。エリザベスが社内で恋人や家族を重用し続けるのが、その最たるものである。壮大な夢に対して、描かれる世界は実に小さい。

 

「世界を変える医療テックのユニコーン」という皮を被っているが、実態は若い実業家の無茶な夢に、愚かなお友達たちが騙されただけ、とも言える。問題は、セラノスの被験者となった一般人たちがそこに巻き込まれたことだが。

 

 二つ目は医療テックという分野そのものの難しさである。世の中にはテックに詳しい人達がいる。医療に詳しい人達もいる。しかしその両方に明るい人達は自然と少なくなる。医療・化学の専門家たちは、それでも社内外でセラノスの危険性を繰り返し訴えるが、セラノスの信者たちは、イノベーションを認めない人達とはねつける。

 

 それにセラノスの商材が、ただのウェブサービスなどであったら、ここまでの熱狂は得られなかっただろう。人の命を左右するものであったために、多くの人が淡い未来に食いつく。企業の重役、軍の高官、ベンチャーキャピタリストといった、セラノスの「成功」に加担し、結果的に騙される、加害者でも被害者でもある人達に、高齢男性が目立つのは偶然だろうか。死を恐れすぎると、人は愚かになるということかもしれない。

 

 結局、セラノスはまともな医学論文を出すこともなければ、医療を専門にしたベンチャーキャピタルから資金を調達することもない。要するに、騙されたのは素人なのである。

 

 最後は一貫した秘密主義である。エリザベスはジョブズの秘密主義に憧れ、社内情報を統制し、社員を徹底的に管理する。従わない社員、辞めていった社員が機密を漏らさないよう(というか、機密がないことを漏らさないよう)訴訟で脅すだけではない。必死に働く社員にさえ、十分な情報を共有しようとしない。優れた会社が官僚的になって没落するというのは、よくよくある話だが、始めから官僚的なベンチャーがどうやってイノベーションを起こすというのか。おかげでセラノスには大した技術力がないということを誰も知らない。だからこそ優秀な社員が入ってくるというのが皮肉である。

 

 結果的に、最初から最後までセラノスの技術力はハッタリであったにも関わらず、社員も、株主も、メディアも騙される。秘密の徹底に誰よりも貢献したのは、敏腕弁護士事務所のデイヴィッド・ボーイズだろう。巨額の株をもらってセラノスを守り続ける弁護士の姿は、実にアメリカ的である。

 

 救いとなるのは、弁護士たちによる苛烈な攻撃を受けながらも、ウォール・ストリート・ジャーナルがセラノスの不正を暴けたことだろう。セラノスは多額の資金を持ち、最強の弁護士を抱え、政治にも取り込もうとしていた。この本が描くのは、そんな社会の機能不全に対して、いかにメディアの役割が重要かということでもある。

 

 本書でセラノスの歴史を学び、改めて驚くのは、設立が2003年だったことだ。Forbesの表紙に選ばれ、若き成功者としてメディアの注目を急速に集めていくのが2014年、ウォール・ストリート・ジャーナルの第一報でセラノスが瓦解していくのが2015年である。一年、二年の夢物語ではない。十年以上の開発時間があったにも関わらず、その間に開発できたものは、既存の医療機器の劣化版でしかなかった。請け負った検査は、競合となるはずの他社の医療機器でこっそり分析しており、おまけに少量の血液しか使えないので信頼性はまったくない。

 

 そのあいだにも多くの優秀な人達がセラノスの夢に共感して雇われ、現実に気付いて失望し去っていく。その繰り返しが延々と続く本書の前半は、笑えないコメディであり、すさまじいホラーである。

 

 そしてこの無茶苦茶が、これだけ長い間も続いて無茶苦茶なまま拡大し、しかもさらに全米レベルにサービスを拡大させようとしていたのだ。ウォール・ストリート・ジャーナルの告発がなければ、いったいどれだけの人が被害にあったのか。それとも、いつかセラノスの技術力が夢物語に追いつき、エリザベスはジョブズにように崇められることになっただろうか。

 

 私は趣味が悪いので、巷に溢れる、イケてる企業が成功を自慢する本に興味はない。ダニエル・カーネマンの"ファスト&スロー"にも、ビジネス本で持ちあげられていた企業のその後を調べてみたら、他と変わらず凋落していた、という心温まる話がある。そういうわけで、こうした企業の失敗本を好んで読むのだが、それにしても本書は恐ろしすぎる。一世を風靡したベンチャーがどう躓いたかというような軽い話ではなく、一方で詐欺集団の話でもなく、あえていえば、過激な宗教家と信者、それに巻き込まれた一般人たちが、避けられない終末に向かって進んでいく黙示録的な物語である。

 

2021/03/13

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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