デビッド・ブライオンがウェブ6.0を提唱して三年。世界はすっかり変わってしまった。はじめは誰もその変化に気付かなかった。なにしろ技術洪水と呼ばれるほど毎日のように新しい技術が生まれる時代である。おまけに技術のまわりは聞いているほうが恥ずかしくなるような大言壮語が飛び交っている。極彩色に飾るマーケティング用語をかき分けたら、中には薄っぺらな技術があるだけだった、というのはよくある話。当初はウェブ6.0もそうした類のひとつに見えた。ブライオンが派手に盛り上げれば盛り上げるほど、より大勢の人が中身は空っぽなのではと疑った。
しかしブライオンは本物だった。ウェブ6.0は世界を変えた。技術の奴隷という立場から私たちを解放してくれたのは、ウェブ6.0がはじめてだった。ブライオンは言った。「我々が技術を学ぶのではない。技術が我々を学ぶのである」。彼は一流の技術者であり、デザイナーでもあり、SF作家で、神父でもあった。ウェブ6.0の真意に気付いた人達は、ほとんど誰もが彼を崇拝した。
春の暖かい日、ブライオンは「ウェブとひとつになる」という言葉を残して自殺した。ウェブ6.0提唱からちょうど一年後のことだった。
ウェブ5.0も革命だったと言うひとたちがいる。たしかに大勢の人間がウェブ5.0で生きる意義を知った。死んだように家で眠っていた人達が、ウェブ5.0のおかげで大勢目を覚ました。ウェブ5.0は経済を活性化させ、世界を強固にした。しかしウェブ6.0は世界の仕組みを覆した。私たちは天動説を信じていたと気付いたようなものだった。ウェブ6.0のおかげで誰もが人生ではじめて、思いを自然に相手へ伝える術を学んだ。あらゆる情報がリアルタイムに分析できるようになってはじめて、なにひとつリアルタイムに求めるべきものなどないと気付いた。いかに不毛な議論をこれまで交わし続けてきたかを知り、大勢が自殺した。生き残ったものは結婚した。私もはじめて恋人を作り、二月後には結婚して、一年後には子供が出来た。
繰り返すが、あれから三年経った。そろそろメディアはウェブ7.0を予想しはじめる時期だ。どのような技術が要素となり、誰が提唱するのか、思い思いに議論をしている。私だってそうした議論を興味深く見守っている。しかし議論に参加しようとは思わなかった。なぜなら私の机の足下にあるサーバこそがウェブ7.0だったからだ。私は春休み中をデバッグに当てた。そして新年度初日にコマンドを入力した。ウェブ7.0が全世界へ公開された瞬間だった。
その瞬間、すべての概念は消えた。個は世の中からなくなり、世の中もなくなり、私たちはただひとつになった。すべての夢が現実となり、すべての現実は夢になった。ウェブ7.0は私のものではなく、社会のものでもなく、ただ私たち自身になった。私は妻と結婚したまま離婚した。私たちは一瞬ですべての夢を叶えた。すべての嘘が真実になり、すべての価値観が平等になった。不平等でさえ平等になった。私たちはブライオンの光を見た。彼の光は微笑んでいた。「私たちは永遠になった」と彼は言った。私も言った。妻も言った。すべてがひとつだった。美しかった。光が輝く。涙が流れる。泣き声が聞こえる。泣き声?
気付いたとき、私は部屋で倒れていた。耳元で子供が泣いている。日はすでに変わっていた。長い夢を見ていたような気分だった。重い体を起こす。足下でサーバが倒れていた。コンセントが抜けている。子供が部屋にやって来て、倒したらしい。私は他のPCでネットを確認したが、誰もウェブ7.0の話などしていなかった。ただ誰もが夢遊病のような不思議な体験をしたというだけだった。誰もが幸せな体験だったと言っていた。私は机の下に潜りこんでサーバの電源コードを繋ぎなおそうとしたが、子供が泣き続けていたのでやめた。
2010/03/23 - 2010/04/01
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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