テレビの世界に相対性理論は適応されない。相対性理論において光速に近付いたものは時間の流れが遅くなる。一方で知っての通り、テレビとは光である。カメラに収められるのは光の集合体であり、その光が各家庭へ届けられる。テレビの世界ではあらゆるものが光の速さそのもので流れる。おまけに、その中において時間はとてつもなく早く進む。気付いたときにはあらゆるものが終わり、取り返しがつかない。そして関わるあらゆる者が老いている。
俺達はそんな世界を十年ちかく生き続けてきた。十年というと、テレビにおいては永遠のような長さだ。十年前のスターの誰が今も輝いているか。十年前の人気番組が今どれだけ残っているか。そんな中で、俺達は長いあいだスターであり続けてきた。いつの間にかこの世界に迷い込んで、今日まで必死に生きてきた結果だ。俺は、公式にはまだ三歳ということになっている。もちろん嘘だ。数字が合わないことは誰もが知っているのに、口に出す者はいない。テレビの世界では誰もがサバを読む。互いのことには口を挟まないのが暗黙の了解なのだ。厚化粧で歌う三十路の男を「歌のお兄さん」と呼ぶのも同じことなのだ。
死ぬのは怖くなかった。テレビの世界では、ある時とつぜんに死ぬ。昨日スタジオで動いていた者が、放映された時には死んでいる。画面下には「これは昨日撮影したものです」というテロップ。それがテレビだ。残酷な視聴者が、あの男をテレビから引っ込めろと電話をする。それで終わり。俺にもそんな死がいつ襲いかかってくるか分からなかった。そして実際、それは急にやって来た。
一月の終わりだった。朝、新聞を開くと俺の顔が掲載されていた。俺は驚かなかった。テレビ・スターにはよくあることなのだ。しかし俺の写真のすぐ横には「九年の歴史に幕」というキャプションがあった。記事には俺の番組が、俺の唯一の番組にして業界でも最大級の人気番組が、打ち切りになると書いてあった。これは夢に違いないと思うほど、俺は自分に甘くなかった。毎年四月には多くの番組が入れ替わる。その内容は三ヶ月前には決まっている。そのため、一月には大勢の者が死ぬ。死の一月が、今年はついに俺のところにやって来たのだ。俺はどんな表情をしていただろうか。定期健康診断に行ったら末期癌だと言われたようなものだった。番組は三月末まで続くと書いてあったが、そんなことは関係なかった。事実上、その時には俺はもう死んでいた。
俺はすぐ共演仲間に電話をかけた。仲間の姉妹はちょうど同じ新聞を読んで知ったところだった。二人は明らかに動揺していた。大丈夫さ、と俺は言った。なんの根拠もなかった。ただ、姉妹も根拠を尋ねたりはしなかった。みんなもう死んでいるのだ。動揺はしても、騒ぐ必要はない。俺は早々に電話を切った。
一方、もう一人の仲間はなにも知らなかった。のん気な奴。俺はなにも言わず切り上げたかったが、仲間はなにか良い知らせかと俺を問い詰めた。結局、俺が死刑宣告を伝える羽目になった。奴は状況を飲み込むと、電話口でおいおいと泣いた。大丈夫さ、と俺はまた言った。どうしてそんなことを言えるんだよ、と奴は言った。俺は嘘をつくことになった。今日、プロデューサと相談する、なんらかの助け船を出してくれるはずだ、と。もちろんそんなことは万に一つも期待できなかった。
実際、プロデューサはなにも助け船を用意していなかった。君も新人じゃないんだ、この業界のことは分かるだろう、と彼は言った。後継番組だって決まっているんだからね。俺は言った。番組を継続しろとは言わない、新番組でもときどきゲストで出してくれればそれでいいんだ、週に二度、一度でもいい、と。そういう形式じゃないんだ、これまでだってそうだっただろう、古いキャラクターと新しいキャラクターが同時に出てきたら、観ている子供たちは混乱する、君の先輩たちだってなにも言わず君たちに座を譲ったんだ、君たちにも同じことを望むだけだよ。プロデューサはそう言った。俺は会ったことのない先輩たちのことを想った。ある週まで先輩たちが働いて、次の週から俺達がその番組を乗っとった。すれ違いもしなかった。当時は引き継ぎくらいあってもいいのにと思ったが、今なら分かる。引き継ぎどころじゃない、番組を奪った腹いせに殺されたかもしれなかった。彼らは今どこにいるのだろう。あれほど子供たちに愛されていたのに、今は誰も覚えていない。俺達もそうなるのだ。
他の番組だっていいんだ、ちょい役でも、地方回りでも、と俺は食い下がった。今までのことは本当に感謝している、とプロデューサはかわした。契約を切るということは、と俺は声をすこし荒げて言った。それまで俺はめったに声を荒げたりしなかった。インターネットで俺のひどい似顔絵が話題になっていたときだって、怒ったりはしなかったのだ。その俺が、ガラガラの声で言った。契約を切るということは、他局にだって行けるということだぞ、と。それは非競争契約違反なんだよ、とプロデューサは流暢に言った。それに、こんなことは私から言いたくないが、君を採用するような番組は他局にはないよ、我々は教育専門だったから、君だってメインの番組を作れたんだ。民放じゃ無理だ。君はジャニーズじゃないし、アイドルでも、芸人でもない。俺はたぶん顔を真っ赤にしていたと思う。ふだんは黄色なのだ。
その日もちゃんと収録があった。出来はもちろん最悪だった。なんども台詞を間違えた。他の仲間も心ここにあらずで、目は焦点が定まっていなかった。駄目だしをしていたプロデューサも次第に諦め、ひどい出来の劇がそのままテレビで公開されることになった。多くの視聴者が眉をひそめるだろう。そして俺達の降板を当然の報いと受け止めるのだ。テレビ・スターはこうして死ぬ。
夜、俺は行きつけのバーで飲んでいた。飲まずにはいられなかったが、疲労でグラスを持ち上げるのも億劫だった。そこへ見なれない女の客が俺のところにやって来て、サインをねだった。小学生の娘がファンなんです、と女。バーテンが遮ろうとしたが、俺は笑顔で頷き、さらさらとサインを書いた。家に早く帰って娘と一緒になるんだよ、と俺は言った。女は笑った。あたりの客が俺を見ている。微笑ましい出来事があったと、幸せそうに俺を見ているのだ。俺はその視線を浴び、この幸せなスポットライトが一秒でも長く続くように祈る。この視線、この笑顔も、この空気、三月にはそのすべてが終わるのだ。誰か、どうか、どうか、俺のことをいつまでも覚えておいてくれ。
2009/02/13 - 2009/02/14
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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