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捨てろ

 風邪をひいた時は思い出の品を捨てると早く治るという慣習が父の生まれた地方にはあった。だから私が風邪をひくたび、父は真剣な顔をして「何を捨てるか? これか? あれか?」と部屋を漁り、勝手に思い出の品を捨てまくった。

 

 ふだんの父は、人の親を演じるには寡黙すぎて、社会を生きるには繊細すぎる人だった。上司に批判されて家で三日間寝込む父。中学生以来、見た夢を日記にすべて書き記している父。そんな父が、誰か風邪をひいたときだけ溌剌として、めぼしい思い出を探して捨てるのだ。

 

 近頃テレビでは連日、インテリがちょっとしたことで突然暴力的になるというニュースを流している。父はきっとその種の人間なのだと、私は幼いころから確信していた。実際のところ、父は怒ったことがなかった。なにかで怒りそうな気配さえしなかった。けれどもし父の導火線に火が点いたら、それは世界の終わりを意味するのだと私ははっきり信じていた。だから私は夜のニュースの主人公になるのを恐れて、父にはしたいようにさせていた。

 

 父はいつも、人が一番大切にしている思い出の品を抜け目なく見つけて捨てた。氷嚢を私にあてがうより早く、いつも私が遊んでいた大切な人形を捨てた。普段から目星をつけていたに違いなかった。

 

 最初で最後の抵抗は、高校二年のときだった。私は風邪をひいて、父は私の写真立てを捨てようとした。中学二年の誕生日に、同級生の男の子から貰ったプレゼントだった。中学時代、私は彼が好きだった。そしてその思い出は、ばらばらの高校に通うようになってからも消えることがなかった。だからこそ父はその写真立てに目をつけたのだ。

 

 写真立ては机の上の特等席にあって、父の視線に対してあまりに無防備だった。父は当然のように写真立てを取り上げた。しかし気付いたとき、捨てたいものなんかない、捨てたくなんかない、と私は叫んでいた。私は涙を流していた。父はぎょっとした様子で私を見て、予想よりもあっさりと写真立てを元に戻した。そっと静かに。父はただ、治らなくても知らんぞ、とだけ言った。それから風邪は悪化し、私は一週間寝込んだ。

 

 以来、父は私のものを捨てようとしなくなった。自分が風邪をひいたときに、自分のものを捨てるだけだった。

 

 父はそれから三年後に母と離婚した。母の浮気がばれたのだ。その日も父は仕事で失敗すると会社を早退し、家に帰るなり寝込んでいた。春の寒い日で、風邪をひいているようだった。夜、父は親戚から電話で母の浮気話を聞かされると、淡々とパジャマを脱いで、スーツに着替え、トランクに荷物を詰めこむと、誰にも気付かれないよう出張へ行くようなそぶりで静かに家を出て行った。あまりに自然な旅立ちなので、私は行ってらっしゃいと言うのが精一杯だった。

 

 それ以来、父とは二度と顔を合わせなくなるとは思っていなかった。父も行ってきますと言ったのだ。なにも知らない母が夜中に帰って来て、はじめて父の失踪を理解したくらいだった。

 

 あれから三年目の冬、私は学会で函館にいた。そして初日に風邪をひいた。前日から泊まり込み、朝になって起きてみると風邪だったのだ。おそらくホテルの暖房が熱すぎた。私の発表は翌日だった。なんとか私は起き上がり、机にノートパソコンを置いて発表資料を眺めた。マウスカーソルがどこにあるのかを見つけるだけで一苦労だった。もともと大したことのない頭の回転が、ローギアで固定されてしまった感じだった。私はベッドに戻り、横になった。なかなか眠れなかった。

 

 父のことを思い出したのは、そんな時だった。いつも張り詰めて、めったに笑わなかった父。父は今もどこかで思い出を捨てているのだろうか。例えば母や私の写真を、もしまだ持っていたならば。

 

 私もなにか捨てるべきかもしれない。しかし小さなトランクには、多少の着替えと化粧道具があるだけで、年季の入ったものは一つもなかった。考えてみれば、昔は思い出に囲まれて育ったはずだった。今の私には守るべき思い出の一つさえない。ノートパソコンを床に叩きつけたら愉快だっただろうか。

 

 そのとき、ふと気になって枕元に置いていた財布を開いてみた。クレジットカードと眼科の診察券、イタリアンレストランの割引券と靴屋のポイントカード、そうした有象無象の中に、父の写真があった。そこには小学生の私と、ぎこちなく私の肩へ手を置く父がいた。手ぶれがひどい。撮影者はきっと母だ。

 

 母は要領良く生きること以外、なにもかも不器用だった。いつ写真を財布に入れたのだろう。これを捨てたら父は喜ぶだろうか。寝転んで写真を照明に掲げながら、私は思った。私はやっぱり父が嫌いだった。風邪は翌日も治らず、私は死にかけた蛙のような声で発表を行った。

 

2005/10/20 - 2009/03/22

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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