はじめはちょっとしたことだった。職場の近くにレアアイテムが出たので、昼ごはんのついでに寄ろうとか、限定イベントがあるので、週末は遠出しようとか、そういう風にしてゲームが私の日常を少しづつ変えていった。それまで何年も家と職場を行ったり来たりするだけの毎日だったのに、今ではスマホが誘うまま、馴染みのない駅で降り、見知らぬ路地を徘徊する。私はよく歩くようになり、体重が3キロ減って、端的に言えば、健康になった。いいじゃないか。
違和感を覚えたのは、ある日曜日のこと。私はいつも、日曜の夕方にスーパーへ行って食料品をまとめ買いする。いつものようにスーパーへ向かおうとしたとき、ついいつものようにスマホを立ち上げて、近場にアイテムがないかを探してしまった。すると駅の向こうの、普段は行かないスーパーのすぐ近くにレアアイテムがあるではないか。十分ほど余計に歩くけれど、あちらのスーパーまで行くべきか? 悩んだ挙句、私はいつものルーティンに従って、いつものスーパーへ行くことになった。
翌週のまた日曜日、同じように買い出しへ行こうとしたとき、同じようにスマホを立ち上げると、同じ駅の向こうのスーパー近くにレジェンダリーアイテムが発生していた。私は毎週のルーティンを破って、小走りでそのスーパーまで直行した。私に選択肢はなかった。なにしろ発生率1/512のレジェンダリーなのだ。
ゲームはすでに私達の生活を変えていた。そして今や、ゲームは意思を持って私達の生活を変えようとしていた。なぜかレアアイテムが発生しないという理由により、住みたい場所ランキングでいつも上位だった街が敬遠されるようになった。なぜかオフィスがよくイベントの拠点になるという理由で、あるベンチャー企業が就活で大人気になっていた。そして大企業がそのオフィスを買い上げたところ、その周辺でのイベントは発生しなくなった。
もはや街の価値を決めるのは、歴史でも政治でもなければ、魅力的な商業施設を建てるデベロッパーたちでもなくなった。レアなアイテムがあれば人はそこを訪れるし、人がそこを訪れるならばカフェやスーパーやマンションやオフィスは後からついてくるのだ。人の流れが急激に変化したため、鉄道網は陳腐化し、人気のエリアを周遊するバスが再評価されることになった。
もっとも打撃を被ったのは不動産業界だ。街作りの特権は失われ、気紛れなアイテムとイベントのせいで、物件の評価額は乱高下することになった。特定の地域を貶めるかのようなイベントも少なくなかった。その街だけ大規模イベントから取り外され、何週間ものあいだ人が立ち寄らなくなるのだ。
事態を重く見た政府は位置情報ゲームの監督庁を立ち上げ、デジタルアイテムの流量規制を導入した。ゲームが各地に展開するアイテムは、政府系独立機関による事前承認が求められるようになった。デジタル時代の族議員が現れ、選挙前になると、なぜか彼らの地元にレアアイテムが頻出するようになった。
そしてゲームはもちろん急速に魅力を失い、私達はもはや家を出るたびにスマホを確認することをやめた。でも、今週末はどこへ行けばいいのだろう? 自分で行き先を決めなきゃいけないなんて、なんて退屈なんだろうか。
2016/07/20
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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