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印鑑があって良かったね

 琴座からの宇宙人は、ある日とつぜん現れたので、地球人にはなんの備えもなかった。巨大な宇宙船に乗り込んだ琴座人たちは、地球のすぐそばに陣取ると、圧倒的な技術力をもって、きわめて実務的な侵略を推し進めた。つまり琴座人たちは、未知のワープ光線を利用して、大国の指導者たちを順番に誘拐していったのである。まずはアメリカの議長が、それからそれから中国の首相、続いてロシアの王というように。

 

 世界の大国から次々と指導者が消えて行き、指導者の代役が現れると、その代役もまたワープ光線によって連れ去られていった。そうやって世界は静かに、しかし確実に混乱へと巻き込まれていった。

 

 そんななか、日本の権力者たちは、二つの問題に悩まされることになった。第一には、もちろん、いつ日本の指導者が、自分たちが、宇宙人の標的になるのか、そしてその回避策はあるのだろうかということ。もう一つは、中国はさておき、他のアジアの国よりは早く標的にされるのだろうか、ということ。権力者たちにとって、宇宙人にないがしろにされるくらいなら、誘拐されたほうがマシだった。

 

「日本の経済的・社会的地位を考えれば、私は間もなく標的になってしかるべきだろう」日本の大統領は誇らしげに言った。しかし琴座星人の宇宙船は、この数ヶ月、一通りの役目は果たしたとばかりにワープ光線による攻撃をやめ、沈黙を続けていた。

 

 そのころ神奈川県南東部では、名もない僻地に研究者たちが集まり、密かに琴座人への反撃の準備を進めていた。これまでの観察により、琴座星人の体組織には、未知の蛋白質が含まれていることが明らかになっていた。研究者たちは必死の研究開発により、この蛋白質を分解するレーザーの実現をついに成功させ、あとは実戦への投入のため、大統領の承認を得るだけだったのである。

 

 琴座星人のワープ光線攻撃が再開されたのは、そんなレーザー兵器をいよいよ実戦に投入しようかというそのときであった。宇宙船から、地球人にはすでにお馴染となっていた光線が、しかし今回は日本に向けて、大量に降り注いだ。それは日本を隅々まで照射し、大統領をはじめとする多数の政治家、権力者、資本家などが、一度にワープされていった。

 

 神奈川県南東部に位置する研究所は、幸い被害を免れたが、問題は指揮権であった。つまり、大統領をはじめとする権力者が不在となったため、レーザー兵器の利用に承認が得られないのである。

 

「手元にある兵器が使えないというのか!?」ある研究者が言う。「承認プロセスを迂回、ないしは無視することはできないのか」

「コンプライアンスの問題で承認プロセスは技術上、この研究所から切り離せないように組み込まれています」事務方の人間が答える。「他者を攻撃するような仕組みは、大統領の生体認証とパスワードで二重の承認を得て、はじめて起動できるようになっているのです……そもそも、宇宙人が攻めてくるなんて想定外だったのですから」

「大統領不在の時は誰が承認するのか?」

「次の承認者を決めるには、引き継ぎ処理が必要です。しかし、それには官庁側での調整が必要になり、時間がかかります。おそらく、選挙を行うことになるでしょう。また、そもそもこれほど多くの指導者が誘拐された以上、引き継ぎをできる人間、選挙に出馬しようという人間が、そもそも見当たらないかもしれません」

 研究者はぐったりと肩を落とした。目の前に反撃のための武器があるのに、使えないのだ。

「なんでもいい、システムをハッキングしてもいい。なんとかこの武器が使える方法を見つけてくれ」

 

 アイデアを思いついたのは事務方の人間だった。資料によれば、大統領の承認が得られないときは、イン=カンというデバイスを使うことで代用ができるというのである。「イン=カンを探してください! 旧世紀に利用されていた、小型のガジェットです!」

 東京に残った、大した権力をもたない官僚たちと何度もやりとりをした結果、大統領のイン=カンは執務室の机にあることが分かった。すぐに研究所まで転送されることになり、デバイスはほどなく研究者たちの手元に渡った。それは複雑な承認プロセスを迂回する魔法のデバイスのはずだったが、手の中に収めてみると、骨かなにかで出来た、ちっぽけな、奇妙な形の、得体のしれないものとしか言いようがなかった。

 

「イン=カンを手に入れた。今からこれで承認プロセスをオーバーライドする」研究者は言う。

「承認プロセスを起動してください。このデバイスにより大統領の代理人としてサインが行えます」事務方は言う。

「サイン? どう使うのだ?」

「スクリーンに押しつければ反応するはずです」

 研究者は慎重にデバイスを手に持つと、スクリーンにゆっくりと押しつける。ここから琴座星人への反撃が始まるのだ。

「やったぞ」研究者は言う。「……反応はないが、これでいいのだろうか」

「……お待ちください」事務方が資料を確認する。「失礼しました、起動にはもう一手間が必要なようです。このあたりにシュ=ニクというものはないでしょうか……?」

 

2019/09/16 - 2019/09/25

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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