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偶然のオフサイド 2

 深夜、街の外れのコンビニに泥棒が入った。泥棒は彫刻刀のようなものを片手に店員を脅し、レジから五千円を奪って逃げた。犯人はナイキのキャップを被った小男で、恐らくは三十過ぎだった。

 その店に泥棒が入ったのは、これが初めてではなかった。二度目でさえ無く、それは三度目のことだった。水曜日の二時頃と、曜日時間までいつも同じだった。いつも同じナイキの小男で、いつも五千円だけ盗むのだった。男は無口で毎度「金を出せ」としか言わなかった。店員もいつも同じ、アルバイトの大学生だった。いつも彫刻刀を胸元に突き出され、警報機を押す勇気無くレジを開けるのだった。

 そうこうするうちに火曜日がやって来て、ほどなく水曜日になった。大学生は今日も同じ夜勤だった。だが、いつもは一人のところ、今日は店長が付き添っていた。四十前の男で、レジに立ったり、店裏の事務所に戻って防犯カメラを見つめたりしていた。警察から最寄りの交番の番号を教えられ、その番号を自分の携帯電話の短縮ダイアルに登録していた。「二分でかけつけます」新米らしい警官は言った。「でも流石に、もう来ないとは思いますが」

 果たして二時頃、男は来た。店に入ったそばから彫刻刀を右手に持ち、店員と目を合わせるや「金を出せ」と言った。いつもと違うことがあるとすれば、それは帽子を被っていないことだけだった。店内にはマンガを立ち読みしている学生が二人いた。彼等は、犯人がまたやって来るのではないかと思い、興味本位で待っていたのだ。「もう来ないって」背の低い方の学生はそう言い、二人は昼食一回分を賭けていた。

 パン類を補充していた店長は、棚に身を隠したまま携帯電話を取り出した。学生達はマンガを無造作にラックへ置き、スナック菓子コーナーの陰から展開を見つめいてる。「早く金を出せ」男は言った。店員は小さく頷くと、ポケットから小銃を取り出した。そして撃った。銃弾は逸れて肉まんを温めるガラスケースに当たり、それはガシャーという派手な音と共に砕け散った。小男は慌てて尻餅をついたが、店員は落ち着いていた。彼は一歩踏み出すと、もう一度引き金を引いた。銃弾は今度は逸れることなく、小男の左腿に命中した。「うわあ!」と男が叫んだ。

 

2003/07/29

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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その他のテキスト

偶然のオフサイド 3
夕暮れを走る列車、ラッシュ前のゆったりとした時間、ガラガラの車内にサンタクロースはいた。ほとんどの乗客が広々と座席に座る中、一人ドア側の吊り皮に掴まり、ぶつぶつと何事か呟いている。季節は八月。甲子園では高校生が球を投げたり拾ったりしてる。……

偶然のオフサイド 4
「誕生日おめでとう」と顔を合わせるなり北野が言ったので、大島は少なからず驚いた。彼とは今年の四月に知り合ったばかりだし、付き合いらしい付き合いもない。どういう仲かと言われたら、大島はたぶん「同業者だ」とだけ答えるだろう。……

偶然のオフサイド 1
午前八時、少し過ぎ。通勤サラリーマンで満員のバスに一人の老人が乗り込む。「ちょっと前に行かせてくれんか」と乗るなりその老人。明らさまに迷惑そうなサラリーマン群をかき分け、おぼつかない足取りで前へと進む。その間もバスは舗装された道をするすると滑る。終点はJRの駅、そこまで残り十分といったところ。この街は典型的ベッドタウン。多くの乗客は、既に更に遠くから通勤するサラリーマンで一杯の電車に乗り替え、都市へと向かうのだろう。……

そう
そう。絶対にそう。そうに違いない。そうに決まってる。というか、そうでないはずがない。そういうことになってる。そういうきまり。公理。これまでもそうだったし、これからもそう。つまり、帰納的にそう。そういう感じ。そういうことだと理解しているし、理解されてる。些細な部分だ。些細なところを除けば、まさしくそうなる。そうなっている。すくなくとも、そうなっていた。そうじゃない?そう見える。そう感じる。あるいは、感じた。そういうふうには思わないの?思えないの?確かにそういう捉えかたをする人が出てくるのは否定出来ない。そういった穿った考えかたを一つ一つ論証する義務はない。そう否定したい人には否定させておけばいい。先入観がある。ここではそうなってるでしょ。僕はそう思います。思いました。そりゃあ環境とか、文化の違いなんてものがあって、それがものの見方に影響を及ぼすということはあるかもしれない。今、そうと断定はしない。将来的にそうであることは証明されるはずである。そういうふうに見えたというなら仕方無い。見えた君が主張するなら、僕は否定しない。僕は君と違う。そう思わない人がいるというのは、憂慮すべきことだけど、ある意味では、つまり常に多様性が存在するということを考えると、これは当然の結果と言えなくもない。そう思う人もいるし、そうは思わない人もいる。そう思わない人にもそれなりの根拠があることは認識している。そうでないというならそうでないだろうし、そうだというならそう。そうでない可能性はある。とはいえ、可能性の問題ではない。定量的に求めることは出来ない。そうでないという立場が存在するということ。そうでないと主張することは可能だ。そうではないし、あるいは、そう。そうではないかもしれないということ。そうではないように思えるということ。これから、この限られた局面で、そうではないと言ったところで何の問題がある?強く主張はしないが、そうではないことは明白。そうではないのだから、そうではない。少なくとも、そうではなくなっている。そうではなくなった。一般的にはそうではない。特に近代においてはそうではないに違いない。以上から明らかなようにそうではなく、故に、ここではそうではないと記す。繰り返すが、そうではない。そうではないと思うことは当然のことである。そうでないというのがデファクトスタンダードだ。確実にそうではない。そうではないと断言出来る。そうではない。そう、つまり、そうではない。……