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そごうの広告と、広告がジェンダーを語る覚悟について

元旦、横浜へ遊びに行って、そごうに寄ったら、女性の顔にクリームがぶつけられている、インパクトのあるポスターを目にした。

 

 

帰宅して調べてみたら、まさに元旦から始まった、そごうの新しい広告らしく、「女の時代、なんていらない?」「わたしは、私。」といった文章が添えられている。

 

すでにネットでは賛否あるようで、批判したブログ記事が話題になっていた。また、「女の時代」という表現が昔のコピーの引用という意見もあった。

 

私も一日考えて、それなりにまとまった意見が出来たので、ここに書く。

 

 

構成の問題

 

賛否はさておいても、この広告は分かりづらい。理由として、私の見方では、一枚のポスターの中に、大きく三つのメッセージが含まれているからである。

 

一つのメッセージは「女の生きづらさ」である。文中にもあるし、インパクトのある写真はまさに抑圧された女性を示している。

 

二つめのメッセージは「私の時代」である。来たるべきなのは、一人ひとりが作る「私の時代」だとある。「私の時代」の対比は「女の時代」で、もてはやされる「女の時代」はいらない、時代の中心に男も女もない、と書いてある。「女の時代、なんていらない?」というメインコピーはこのメッセージである。

 

最後のメッセージは「ワクワクしませんか」である。この広告は、あくまで未来を前向きに描いている。「わたしは、私。」という締めは、単体では前向きにも捉えられるし(私らしく生きれば良い!)、後ろ向きにも捉えられる(私らしく生きねばならない)。しかし、この広告は前者だった。

 

一枚のポスターに、こうした三つのメッセージがあって、写真は一つめ、メインコピーは二つめ、文章の結末は三つめを表している。「安い!」「限定!」「買え!」といったシンプルな広告メッセージが闊歩するネット時代においては、かなり複雑な仕組みである。

 

この広告がどういう真意でもって作られたのかは分からないが、これだけ複雑だと、色々な形で読み解かれるだろう。単純に、顔にクリームをぶつけられて(メッセージ1)、「ワクワクしませんか」(メッセージ3)と言われても、しないでしょう。

 

一方、公開されている動画バージョンでは、メッセージはもっとシンプルである。同じようにクリームを顔に受けるが、女はそれを拭ってみせる。次のカットでは女の顔からはクリームが消え、笑顔で「ワクワクしませんか」と言ってみせる。賛否はさておき、分かりやすく、前向きである。

 

 

このポスターの写真が、動画の終わりと同じように普通の顔であったら、あるいはせめてクリームを拭った姿であったら、前向きなメッセージはもっと伝わったであろう。一方で、このようなインパクトはなかった。だから、この写真と組み合わせられたのかもしれない。

 

 

ジェンダーの問題

 

この広告が、近年の男女格差をめぐる議論を踏まえて作られたことは間違いない(そうであって欲しい)。一方で調べてみると、「わたしは、私。」というコピーは以前からそごうが使っていたもので、去年は木村拓哉がモデルであった。

 

だから推察すれば、この広告においてはまず「わたしは、私。」(メッセージ2)があって、次に男性モデルの次は女性モデルを起用するという判断がおそらくあり、女の生きづらさを主題に取り上げた(メッセージ1)。しかし「頑張れ」では陳腐で、「戦え」では物騒だけど、広告であるからには前向きに締めたかったから「ワクワクしませんか」(メッセージ3)となったのではないか。

 

しかし、まさに近年の男女格差をめぐる議論があるからこそ、この流れは危険を孕んでいる。もし女性の生きづらさを認めるのであれば、それは「男も女もない」という認識では解決しない。女性の生きづらさを解決して、男女が同じラインに立って、はじめて「個の時代」と言うべきであろう。

 

たとえば去年、いろいろな大学の医学部試験で男女差別が明らかになった。大学受験は性別に関係なく受けられるもので、男も女もない、個の成績で決まるのだ、と誰もが思っていただろう。しかし実際には、色々な理不尽な理由がつけられて、女性は不当に扱われていた。まさに「女の生きづらさ」である。

 

こういう現実の問題の解決するために必要なのは、前を見て「男も女もない」と訴えることではなく、後ろを見て「なにをすれば男も女もないという状況まで持って行けるのだろうか」と考えることではないだろうか。この広告には「女の生きづらさ」(メッセージ1)から「わたしは、私。」(メッセージ2)までの間がないが、それこそが今求められているものではなかったか。

 

 

覚悟の問題

 

この広告はおそらくジェンダーの問題で議論し尽くされるだろうけど、私が一番気になるのは「それで、そごうはどうするのだろう?」ということである。

 

なぜなら、これはもう私の持論でしかないけれど、広告はもはやただメッセージを届けるものではなく、社会に対するメッセージ=コミットメントと捉えるべきだからである。覚悟と言っても良い。

 

女の時代ではなく個の時代だとして、そごうはどのような商品やサービスを届けるのだろうか。女性の生きづらさを解消する商品をどんどん開発していくとか、個がワクワクするようなサービスを提供していくとか、そういうことがあれば、この広告はもっと違った捉えかたをされるかもしれない。

 

あるいは、そごうという会社はどう変わっていくのだろうか。女性の働きやすさはどうなのか。女性幹部率はどうなのか。あるいは男も女もないと言うなら、性的マイノリティをどう捉えているのか。ここまでのメッセージを発しておいて何も後が続かなかったら、それこそ不思議であろう。

 

だから、私はこの広告を安易に「炎上」とは表現したくない。この広告は新年の第一弾として、複雑で不透明で、少なくとも一部の人には不愉快なものであったが、それでも何らかの覚悟をもって示されたものだと思いたい。そして、そこから「女性の生きづらさ」から「ワクワクしませんか」に飛躍させるための具体策が出てくるものだと信じたいのである。

 

2019/01/02

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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