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ニーチェについてのエッセイ

ネットマガジンリリー4月号掲載

 ニーチェがトイレに入ると、中はとても混んでいた。ニーチェは少し待ったが、一向に進む気配が無いので、一番近くにあったトイレのドアを蹴破った。もちろん中には用を足している男がいて、彼は驚きの目でニーチェを見ていた。男を、そして騒然となった周囲の人を前にニーチェはこう言った。

「この者を見よ」

 

 哲学って面白いと思うのです。なんか優等生的意見ですけど。むかし付き合っていた女の子が哲学科志望で、その頃は何となしに哲学関係の本を読んだり、読まされたりしてました。で、こりゃ面白いわ、と思った矢先に彼女と別れることになって、以降は哲学書なんて見るのも嫌なのですが。

 

 僕が哲学関係の本を読んでたころ、哲学者って何かに似てるなーと思ったことがあります。何に似てるかというと、あのむかし木曜日の午後九時ぐらいから編成の切り替わりの時期によくやってた「世界びっくり人間」という類のテレビ番組に出てくる人達。「ニーチェはお金が無くなると家具を売って、最後は家に何も無くなった」とかいうのと「タイには生まれてから爪を切らずに生活し、結果今では3メートルの爪を持つ女性がいる」とかいうのと、何か似てません?

 

 ちなみにその爪、もう肉が微妙に爪であるはずのところまでねじ込まれてしまっていて、不用意には切れないそうです。うぅむ、痛そうだ。

 

 それにしても哲学者とロッカーはアップデートしないですね。ロッカーはまぁ生まれて半世紀ほどなので何とも言えませんが、哲学者ってもうそりゃ人間が生まれたくらいからいたわけで、それでもまだ「存在とは何か」とか言ってるわけです。そう考えると何だか哲学って絶望的な学問ですな。ロッカーも早く「この世界から君と抜け出そう~」みたいな歌を止めればいいのに。

 

 そういや昔、京大の文学部哲学科の試験はいつも一問「プラトンについて書け」だったそうです。美しいですね。工学部情報学科の試験も「プロトコルについて書け(javaで)」とかならいいのに。どう書けばいいのか分かりませんけど。そういう訳で京大生はプラトンについてしか勉強しなかったとか。ところがある年、突然問題が「ソクラテスについて書け」に変わって、困った京大生、ソクラテスについてなんて何も知らないから、とりあえず「ソクラテスはさておき、プラトンは・・・」と書き始めて、以下プラトン談議を続けたとか。いい話だな。哲学がよりよく生きる為の知恵なら、まさに哲学的回答と言えるかも。

 

 哲学って面白いとどうして思ったのか、彼女と別れて三年経った今になって考えてみると、要するに変化がないのですな。少なくともここ半世紀ぐらいは。哲学科の知人はことあるごとに「カントは熱いよー」と言うのですが、はっきり言って分からん僕のような人間にはここ二千年くらい変わってないような気がします。で、そのずーっと同じことを考えてた結果の「ネタ尽きた感」が、とっても今時なのではないかと思うのです。「最近『ダメダメ』ばっかりじゃねーかよ明石家さんま」というのと「結局『実存』の話になるのかよキルケゴール」の近さというか。一方で、哲学ってある意味筋金入りのサブカルチャーなわけで、そのへんも今時(といえるからには間違いなく遅れているのですけど)。だから「アウフヘーベンかよ!」みたいなツッコミの入る漫才が生まれる日もそう遠くはないかと。「ぷぷぷ、アガベーだって」とかね。そういうわけでみなさん、いつ哲学お笑いブームが来るとも分からない今、寸暇を惜しんで哲学書を読みましょう。まずはプラトン。僕はもういいけど。

 

 そして無事男をトイレから追いやったニーチェは、便器に座り、用を足そうとした。いや、まさに用を済ませたその瞬間、ニーチェは驚くべき事実に気付いた。トイレの中でニーチェはこう言った。

「紙は芯だ」

 

2002/04/01

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この文章は小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。特に明記のない限り、この作品はフィクションです。

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