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フィンテックは止まらない

 2019年、世界はフィンテックの波に揉まれ、ペイメント技術は大幅な革新を遂げた。父がビットコインの採掘に出かけたまま行方不明になって、5年の時が経っていた。あの日、父はダイヤモンドのつるはしを片手に「ゴックス山に向かう」と言い残して姿を消した。ゴックス山で雪崩が起きて、山の公式Twitterアカウントが消えたのは、ほんの数時間後のことだった。

 

 父のことを諦めたのか、今でも諦めていないのかは、自分でも分からない。ただ、父が遺したサトシGOだけは、いつも左腕に巻いていた。一日に何度か、サトシGOがドリアン色に光ると、それは周囲にブロックチェーンが発生した合図。取引のたびに長くなるブロックチェーンは、今やクラウドにはおさまらなくなり、ATMから溢れ出るのだ。マイナーたちはチェックデジットを求めてブロックをかき分けるが、見つかるのは古くなったモノのインターネットが精々であった。

 

 しかし、その日は少し様子が違っていた。朝からサトシGOは黄色に光り輝き、それは大蔵省、つまり私の職場に向かうあいだも変わらなかった。なにかのバグに違いないと思った。

 

 オフィスロビーにある東京MUFMFMS銀行のATMからはいつものようにブロックチェーンが流れ出し、一攫千金を夢見るマイナーたちがいつものように群がっている。ほんのマイクロペイメントを見つけては、嬉しそうに採掘の成果をまわりに見せびらかすのだ。拾い物のマイクロペイメントは、クレジットに繋がらないというのに。

 

 世界中すべての通貨が統合され、クレジットひとつとなった今日、財布を持ち歩く人間はもはやいない。財布がわりとなるのは虹彩、目の瞳孔のまわりで、その部分をスキャンすれば、その人がどれだけのクレジットを持っているか分かるし、そのままウィンクを交わせばクレジットをやりとりすることもできる。

 

 もっとも、虹彩認識は手間がかかるし、ブロックチェーンの演算にはリソースが必要なので、実際は見た目だけで判断されることがほとんどだった。結果、クレジットのありそうな人はクレジットを利用してなんでも手に入れることができるし、クレジットのなさそうな人はなにも手に入れることができず、スーパーの自動ドアにさえ弾かれるのだった。

 

 単一通貨クレジットによる透明で流動性の高い市場、イギリス人と中国人以外の全人類が望んでいたものがついに実現したわけだが、他にも反対している人はいた。

 

 財務省が大蔵省に名前を変え、最初に試みたのは、そのエコシステムを破壊することだった。具体的には、地域通貨ジャパンペイを、オリンピック前に導入するのだ。なぜなら、単一通貨と透明な市場は、日本の労働生産性の低さもあらわにして、私のような官僚の仕事を奪ってしまうから。

 

 とはいえ、私は仕事のことなどどうでも良かった。私が大蔵省に就職したのは、新旧の通貨に関する情報が集まるこの場であれば、ビットコインと父の痕跡を見つけられるかもしれないと思ったから。

 

 その日は朝一番から、ジャパンペイの振り込み音、コンビニなどでジャパンペイを使った時に鳴る音を「ジャパンペイッ!」にするか「ジャパァン!」にするか、長い議論が続いていたが、私はクラウドファンディングで決めるように指示をして、オフィスを飛び出すと、サトシGOの光が指す方向へ向かうべく、タクシーに飛び乗った。「ゴックス山へ」と私は言った。

 

 異変に気付いたのは、一時間ほど経ったころだった。古びたそのタクシーの窓には「クレジット使えます」のステッカーがどこにも見当たらないのだ。ICカードの読み取り機があるべき場所には、小銭入れが置いてある。

 

 小銭! いまや硬貨や紙幣は骨董品と成り下がり、懐しい感じがするのが良いと一部のファッション誌で持ち上げられ、わざわざ硬貨の支払いだけを受け付けるレストランが人気を集めるほどであったが、銀行がそうした旧式の金銭の受け付けをやめると、もはや誰も見向きもしなくなった。時折、地方へ旅したときは、硬貨しか受け付けない自動販売機の中で眠るチェリオを見つけて、デジタルネイティブたちはどこをタッチすれば良いのだろうと頭を悩ませていた。

 

 私は喉が乾いていること気付いた。そして言った。「すみません、このタクシー、クレジット使えますよね?」私は左手で自分の左瞼を釣り上げて、虹彩を見せつける。「いやあ、すみません、うちは現金しか受け付けておらず」運転手はそう言って、バックミラーから私に目を合わせた。運転手は父だった。

 

「お父さん」と私は言おうとしたが、声が出てこなかった。父はこちらに気付かずに話はじめた。「面倒でしょうけど、僕はこうしてわざわざタクシーの運転手になって現金を集めてるんですよ。なぜかって? クレジットがもうすぐ暴落するからです。僕が昔に手に入れたブロックチェーンがね、まだトランザクションできてないんですよ。あのトランザクションが終われば、あの後に起きたすべての取引が無効化される。そうすればクレジットの歴史は塗り替えられるってことですよ」

 

 父は笑った。「つまり、それがフィン=テックですよ。ファイナンス技術の『終わり』。残念ながら僕がそれでお金持ちになるわけじゃないけど、こうやって現金を集めておけばね、リスクヘッジになるんでね」

 

 そんなことは起こりえない、と私は言おうとして、言えなかった。そんな古い取引は、とっくに無効化されている。万が一、クレジットに信用騒ぎがおきても、ジャパンペイが代役に踊り出るだけ。現金の時代は戻ってこない。しかし一方、いま私は現金の持ち合わせがなく、タクシー代を払うことができない。

 

「もうすぐゴックス山ですが」父は言う。私はふと、手元のiPhone Xには小銭入れ機能があることを思い出した。果たして、iPhoneの背中のファスナーを開けてみると、古びた五千円札が小さく折り畳まれていた。iPhone Xsはジャパンペイに対応させないとな、と私は思った。

 

2016/09/17 - 2016/09/21

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この文章は小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。特に明記のない限り、この作品はフィクションです。

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