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人はなぜゲームを遊ぶのだろう。そこに快楽があるからではないか、というのが私の見方である。ゲームには様々な種類の快楽が潜んでいる。しかし、総合芸術であるゲームにおいて、どの要素が快楽を生み出しているのか、掘り下げられる機会はあまり多くない。この辞典は、ゲームの快楽を要素として抽出し、そうした要素からゲームらしさとはなにかを捉えなおす試みである。

もちろん、こうした要素に還元できないところにこそゲームの快楽があるのも、また事実だろう。しかし近年、ゲーミフィケーションなど、ゲームの快楽要素を他にも転用しようという動きが見られるなかで、この快楽辞典をゲームのゲームらしさについて振り返る機会としたい。この辞典はおそらくいつまでも未完成であるが、ほかに掲載すべき要素があればTwitterなどで教えて欲しい。

移動

私たちはあちらこちらへと自由に動くことができない。だからゲームにおいては西へ東へと走り回りたがるのである。多くのRPGにおいては、移動手段の確保が世界の拡大であり、ゲームの進行でもあった。"花と太陽と雨と"のように、移動に終始するようなゲームもある。

ハッタリ」参照

裏切り

幾多の友情を破壊してもなお"ディプロマシー"が遊ばれるのは、仲間との口約束を破ることに根本的な快楽が潜んでいるからである。と裏切りは実社会で嫌われるからこそ、ゲーム内でもてはやされるのだ。

エンディング

もちろんゲームはクリアするためにやるものである。たとえエンディングがThank youの一言であったとしても、たとえラストシーンで「こんなゲームにマジになっちゃって」と嘲笑されようとも。バッドエンドでも、終わらないよりはずっと良い。

同意語:「クリア

会話

複数人でゲームを遊べば、そこから会話が生まれるだろう。そうすれば仲間の新しい側面を知ることができるかもしれない。また、ゲームでの体験が後の会話で思い返されることもある。"ディクシット"のように得点の大小は飾りで、会話を生み出すためのコミュニケーションゲームもある。

拡大再生産

序盤はたくさんのルールが頭に入らないが、終盤は出来る限りのことをやってみたくなる。このプレイヤーの心理に合わせるため、多くのゲームが拡大再生産をシステムに導入している。レベルアップはその一例だろう。しかし昨今のアナログゲームでは、"トロワ"のように、拡大再生産に力を入れすぎると得点がおろそかになるという新しいジャンルが増えつつある。

カンスト

ゲームの勝利にはいろいろな形があるが、歪んだ勝利の形のひとつがカンスト(カウンターストップ)だろう。カンストとは、想定される以上の得点を得ることで、得点の増加が止まる、あるいは得点の表示がおかしくなることだ。エンディングはデザイナーが用意した勝利だが、カンストはデザイナーが用意しなかった勝利であり、それゆえに素晴らしいとも言える。ビデオゲームだけでなく、アナログゲームにおいても得点コマがなくなったとか、得点ボードからはみ出たといったカンストが発生しうる。むしろ近年のビデオゲームでは得点、そしてカンストという概念がまれになってきている。

カード

コマ」参照

カードシャッフル

マジシャン以外に、カードをシャッフルすることに快楽を覚える人がいただろうか。しかし"ドミニオン"のようなデッキビルディングゲームは、デッキを使い果たしてはカードをシャッフルし、また新しいデッキを利用するという、円環の理をプレイヤーに提供した。そこでまた宰相ですよ。シャッフルの快楽こそが、デッキビルディングゲームとトレーディングカードゲームの境目かもしれない。

キャラメイキング

"ウィザードリイ"で最初に味える快楽が、キャラクターの作成(キャラメイキング)である。いったいどのようなキャラクターで敵に挑むのか、それは自分の分身なのか、願望なのか、それとも他人の投影なのか。おまけに"ウィザードリイ"では初期状態が一定ではないため、すこしでも強い状態からはじめられるよう、ボーナスポイントを得るための時間が大量に浪費された。また"The Elder Scrolls IV : オブリビオン"では能力面でのメイキングのほか、顔の造形面でのメイキングも用意され、どのように調整しても魅力的にならない現実に多くのプレイヤーが苦闘した。

強化

ゲームを遊びはじめるにはいろいろな理由があるだろう。しかしゲームを続けるのは、多くの場合、強さを実感するためである。レベルアップによりキャラクターの強化を感じることもあれば、経験によりプレイヤー自身の強化を感じることもある。

クリア

エンディング」参照

クリティカルヒット

ロールプレイングゲームやシミュレーションゲームにおいて、すべての攻撃はあらかじめ規定された範囲のダメージを与える。例外がクリティカルヒットだ。想定以上のダメージを与えることで、敵を一気にへ追いやることに快楽を覚えないプレーヤーはいない。TRPGの多くで見られる、ゾロ目のダイスでクリティカルヒットという定式は、ダイスの快楽をプレイの中身に持ち込んだ、実に美しいものである。もっとも、クリティカルヒットを連発したせいでナパールが敵に囲まれ殺される、通称「やっつけ負け」という現象も起こりうる。

ゲームオーバー

ゲームオーバーもひとつのエンディングであり、すべてのエンディングがそうであるように、ゲームオーバーもまた快楽である。いずれにせよエンディングのないゲームでは、ゲームオーバーで終えるしかない。"Dead Space"ではゲームオーバー時に丁寧に作られたのカットシーンを用意することで、を楽しむという選択肢をプレイヤーに与えた。

同意語:「

効果音

テレビゲームでは、良き行動をしたときに効果音で応える文化がある。"ゼルダの伝説"ではレアアイテムを見つけると素晴らしい効果音が流れる。"ドラゴンクエスト"のレベルアップ音や"ファイナルファンタジー"の戦闘終了音は短いながらも心に残る快楽として大勢の心に残っている。音楽による快楽を最大化した例が"Rez"だろう。

購入

ゲームを遊ぶのではなく、購入し、所持しているのが快楽なのだという人は少なくない。このとき、プレイヤーはゲームを購入するというメタゲームを楽しんでいるのかもしれない。業界はこの快楽要素を強めるため、おそろしい人形を初回特典に加えるなどしている。

同意語:「所持

コマ

ビデオゲームになくてアナログゲームにある快楽、それはコマやカードボードといった実体があって触れて操作できるものである。"アグリコラ"では牛や豚や木材といった大量のコマがあり、それを農地を模したボードに並べていくだけで幸せになれる。コマを並んで楽しむためのゲームと言ってもいい。結果としてコマを得点に換算する方法が面倒であっても、それは仕方がない。得点トラックの上を牛や豚が行き来するよりは、家のボードの上を行き来するほうがずっと実際的で、楽しいからである。

同意語:「カード」「ボード

サイコロ

サイコロは紀元前から人々を魅了してきた。なぜ人がサイコロを転がすことに快楽を感じるのか。人は運に身を委ねることを欲しているのだろうか。あるいはサイコロは言い訳の余地を作ってくれるからだろうか。サイコロの人気は「ダイスゲーム」というジャンルが成立していることからも読み取れる。すべてのサイコロは快楽の源だが、中でも4面ダイスや20面ダイスといった奇妙な形のもの、それに数字以外のものが描かれたダイスは特に愛すべき存在である。

同意語:「ダイス

ゲームオーバー」参照

収集

人は物を集めるのが好きだ。レアアイテムだけではない。クズのようなアイテムでさえ整然と並べば愛おしいのだ。実際、RPGでどのようなアイテムも捨てられないゲーマーは少なくない。初期装備を捨てられないのも、すべての宝箱を開けようとするのも、盗めないアイテムを盗もうと試みるのも、収集欲のなせるわざである。

勝利

「俺より強い奴に会いに行く」とリュウは言った。もっとも、ゲームセンターには自分より弱い奴を探す人間も少なくない。いずれにせよ、彼らが求めているは勝利である。勝利だけがゲームに時間を費やしすぎた心の傷を癒すのだ。

所持

購入」参照

時間制限

タイムアタック」参照

実績

実際のところ、プレイヤーがどれだけゲームで立派な行いをしたとしても、アイテムを収集しつくしたとしても、それはゲーム外には伝わらない。しかし「実績」や「トロフィー」「バッジ」の登場により、ゲーム中の行いは容易にゲーム外へ伝えられるようになった。残念ながらゲームコミュニティ外には伝わらないが。それでもゲームをやめられない人間にとって、実績全解除は「もうそのあたりでいいですよ」という良い指針となる。

同意語:「トロフィー」「バッジ

選択肢

多くの場合、ゲームとは選択肢の連続である。あちらとこちら、どちらが良い手であるか。選択肢に悩むという状態こそが快楽なのだ。"シヴィライゼーション"は大量の選択肢で溢れたゲームだが、中でも技術ツリーは次にどのような強化を望むかを直接選ぶという、見事な悩みの種である。"ドミニオン"はゲームのたび購入できるカードが変わるという、メタ選択肢を提供した。

タイムアタック

てっとり早くアドレナリンが欲しいなら、時間を制限してゲームをプレイすべきである。いつもと同じルーチンワークでも、制限時間が加わるだけで焦り、その焦りがさらなる興奮を生むだろう。ゴーストと一緒に過ごした時間こそが"マリオカート"である。時間制限に焦りすぎた結果として、シャドウを見殺しにしてしまっても仕方ない。

同意語:「時間制限

ダイス

サイコロ」参照

得点

多くのゲームが得点システムを導入している。そして私たちは他者と、時に自分自身と、得点を競って争う。満点かカンストまで、勝負に終わりはない。

トロフィー

実績」参照

ハッタリ

ブラフゲームというジャンルがあり、それを好んで楽しむ趣味の悪いプレイヤーがいるほど、やハッタリはゲームにおいて重要な要素である。"ライアーダイス"で手元にひとつもないサイコロをコールするときや、"人狼"で偽の占い師になろうとするときにかく冷や汗が、すなわち快楽なのだ。

同意語:「

バッジ

実績」参照

暴力

ゲームは暴力的だと非難する人達がいる。しかし、歴史のほとんどの場面において、人は暴力的だった。いまはゲームがその役割を担っているだけ良いのかもしれない。

ボード

コマ」参照

無駄

ゲームとは人生において無駄なものかもしれない。だからゲームの中でことさらに無駄な部分があれば、無駄の中の無駄として愛されることがある。

無敵

ほとんどあらゆるゲームにおいて、プレイヤーは非力であり、敵は多く、強靭である。だからこそ束の間の無敵がカタルシスを生むのだ。"パックマン"から私たちが学んだことである。

レアアイテム

"ウィザードリイ"を悪玉ワードナーを倒すゲームと考えている人はほとんど誰もいない。このRPGの古典は、レアアイテムでプレイヤーの収集欲を煽る手法により、ゲームの耐用時間を何十倍にも増やすことに成功した。

レベルアップ

レベルアップが嫌いな人はいない。プレイヤーは強化され、選択肢が増えるからである。"ロール・スルー・ジ・エイジズ"では都市のレベルアップに応じて1ターンに転がせるサイコロの数が増加する。レベルアップとは拡大再生産に他ならない。しかし"ファイアーエムブレム"ではレベルアップ時に能力が下がることでプレイヤーを驚かせた。
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