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スティーブ・ジョブズが描いた未来

(ノンフィクション)

スティーブ・ジョブズがアップルのCEOを退任した。朝一番にそのニュースを知り、今日は一日ぼんやりしてしまった。私が最初で、もっか最後のMacを手に入れたのは、1995年のこと。私はぴかぴかの高校生だった。当時のアップルは企業売却も囁かれるほどの絶不調期で、CoplandだOpenDocだと夢のようなデモばかりを語り、NewtonやPippinといったビジョンは雄弁だが売れるとは思えない製品ばかりを作っていた。しかし、ビジョンばかり語られたMac雑誌を中学生のころから読み込んでいた私にとって、いつまでも実現しそうにない夢の数々はとても魅力的に見えた。OpenDocにはじめて触れたときは、その未完成ぶりに感動したものだ。

 

しかし1996年にスティーブ・ジョブズがアップルへ凱旋し、1997年にCEOへ復帰すると、アップルはそうした夢をきっぱり切り捨ててしまった。力を秘めたままのNewtonは私がお金を貯めるまえに姿を消し、かわってカラフルでシンプルなiMacがアップルの人気商品となった。私は実直で秘密主義になったアップルに対してさっぱり興味を失い、Linuxを使うようになった。ジョブズ率いるアップルは、それからMac OS X、MacBook、iPod、iPhone、iPadとヒット商品を次々と作り続けた。

 

私はジョブズが、そうした製品を通じて世界をどのようなものにしたかったのか、今もってよく分からない。iPhoneやiPadにより、人はマルチタッチ操作でガジェットを操作するようになった。Mac OS Xは洒落たアニメーションを見せつけ、マウスはワンボタンを維持のように守りぬいたまま次々と形状を変えてきた。パステルカラー主体のデスクトップデザインはメタリックへ移行し、シンプルなグラファイト中心に落ち着いた。なにもかもクールだ。でも、だからどうだというのだろう。

 

かつてのアップルは、私の大好きなドン・ノーマンをはじめ、アラン・ケイも、ガイ・カワサキも、ジャン=ルイ・ガセーも、ビル・アトキンソンも、誰もかもが理屈っぽくビジョンを語った。しかしジョブズはビジョンを語らない。壇上に立ったときの彼はほぼ常に製品とサービスの忠実なプレゼンターであって、ビジョナリーではなかった。耳の遠いジョブズにあわせてボリュームが大きく設定されているというiPod、それから大々的に発表されたBeatlesのiTunes参入だけが、彼の思いを感じさせる出来事だったのではなかったか。

 

しかし、多くの人はビジョンにお金を払わない。人は製品と、それによって得られる体験にお金を払う。一部の物好きだけが、製品の背景にあるビジョンを聞きたがる。それでなくても、誰もが簡単にメッセージを発することのできるようになった今日、私たちは実体を伴わない夢語りに飽き飽きしている。プレゼンテーションの天才と言われるジョブズだが、全世界何千万人というiPhoneユーザのうち、実際に彼のプレゼンを見たユーザがどれだけいるだろうか。iPodも、iPhoneも、最初はそれほど売れなかった。多くの人が誤解するように、人々はジョブズの言葉に魅せられてアップル製品を買ったわけではない。ジョブズは製品を改良し続け、進化した製品そのものに語らせることで、今のような成功を手にしたのだ。

 

弱小コンピューターメーカーだったアップルが、ジョブズの復帰から15年で世界最大のIT企業になる、いったいどれほどのサクセスストーリーだろうか。ジョブズにとってこれ以上の成功はありえない。だとすれば、ジョブズが抱いていた未来像とは、今の私たちの生活そのものなのだろう。Mac OS Xが出てから、Windowsはようやくデザインの改良に着手した。iPhoneが出る前のAndroidプロトタイプはBlackBerryそっくりだった。iPadが出るまえのタブレットは重くてペン入力だった。また、iPodによって音楽業界は破壊され、iPhoneによって通信業界は優位性を失い、ソフトウェア業界は新しいビジネスチャンスを得た。いまはiPadによってPC業界が変わろうとしている。この十年、アップルほど他社、他業界に変革を迫った企業はいない。

 

アラン・ケイは「未来を予測する最良の方法は、それを発明することだ」と言った。ジョブズはまさにそうした。私には、まだジョブズが描いた未来がなにを意味しているのかは分からない。私をはじめとする物好きな人達は、これからそのメッセージを読み解いていかなければならないだろう。いずれにせよ、アップルがティム・クック新CEOの下、いまの勢いを続ければ、アップルによってさまざまな社会の変化が引き起こされた時代だったと後世に見なされるはずだ。そうでなければ、ただジョブズの時代と振り返られるに違いない。

 

2011/08/25

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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