加藤三四郎は日本を代表するパワポ職人。パワポ職人として初めてノーベル文学賞を受賞したことで知られる。
官僚の父と経営コンサルタントの母を持つ加藤は、幼少のころから自然とパワポに馴染む環境で育った。四歳の時、保育園の担任宛に「ごはん後のおやつを増やす理由」を綴った三枚のスライドが、現存する最初の作品と言われている。箇条書きを用いた端正な作品で、当時の作風が読み取れる。
小学生のころには既に才能を嘱望されており、特にSWOT分析の鋭さでは同年代で他に並ぶ者がいないと言われていた。
中学二年でプロに転向した加藤は、その勢いのまま十五歳で日本選手権を制する。決勝の対戦相手は当時無敵と言われた名人・大西カイロであったが、加藤は6ポイント以下の文字を多用した奇手を繰り広げ、名人を圧倒。この戦いを巡るドキュメンタリー「パワポ新時代」はあまりにも有名。破れた大西は以降、二度と表舞台に立つことがなかった。
日本選手権三連覇のあと、オリンピックに初出場を果たした加藤であったが、ここでは日本語フォントの埋め込みを忘れるという痛恨のミスにより、まさかの予選敗退に終わる。帰国時のインタビューで答えた「フォントに泣いた」はその年の流行語大賞に選ばれる。
大学進学を選んだあとも、国内では選手権七連覇など安定した成績を披露。一枚のスライドになるべく大量の情報を詰め込むそのスタイルは加藤流と呼ばれ、多くのフォロワーを生んだ。リボンインタフェース導入時には一時的なスランプに陥り、選手権八連覇と、二度目のオリンピック出場を逃すが、この頃から機能に頼らない作風を模索、後の代表作に繋っていく。
卒業後は数ある選択肢の中から、中小のSI企業に就職。その選択は業界に驚きを与えたが、ここから「仕様はこれだけです」「経緯報告・夏」といった実用性と芸術性を兼ねた代表作を多数生み出す。特に文字サイズの不揃いや、整列するオートシェイプのわずかなズレなど、見る者に違和感を与えるデザインは、画一的であったパワポ界に衝撃を与えた。
しかし三十代半ばの全盛期に結婚、同時にKeynoteへの転向を表明する。一般にはパワポの多機能化、特に自動化されたデザインまわりの充実に対して嫌気が差したと言われているが、公にこうした発言は認められていない。なお、オープンソース・アプリケーションについては一貫して否定的であった。
結局、Keynoteでの作品を一つも残さなかった加藤は、その後十年以上も沈黙を続けたが、その期間もインターネットでは加藤の作と言われる斬新なパワポが精力的に公開されていた。復帰後、加藤はこの一部が自分の習作であったことを認める。いわゆる「前期・加藤」と「後期・加藤」である。
以降、過去の作品を大胆にコピペしたコラージュや、あえて旧バージョンを用いたデザイン、誰も使わなかったクリップアートの発掘、完全には動作しないマクロ、破損したファイル形式など、加藤の作品は大胆さを増すばかりであった。主題のないパワポ、結論のないパワポ、文字による説明のないパワポなど、いわゆる「ノー」シリーズでは世界的な名声を獲得する。
56歳でノーベル文学賞を受賞。パワポのドキュメントを芸術の域にまで高めたというのが、その理由であった。
60を前に癌と診断された加藤であったが、創作はそのあとも衰えを知らず、エクセルを使った進行表や履歴書などでさらに作風の幅を広げる。パワポにおいても余白を大胆にとったスライドや、標準テンプレートを並び替えただけのファイルなど、「わび」の文化に影響を受けた作品群は今も高く評価され、白の時代と呼ばれる。
68歳で死去。死ぬまでに一度もパワポをクラッシュさせなかったと言われている。
2016/10/18 - 2016/10/19
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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