4月22日、木曜日。早朝、世田谷区の閑静な住宅街、その一角にある創造派のアジトに警察が立ち入り、多数の物品を押収した。アジトには「画家」と呼ばれる十数名の中高年男女が昼夜を問わず出入りしており、以前から続いていた近隣住民による通報に、警察が重い腰をあげた形であった。
「画家」たちは禁止された化学物質を使い、絵を描くなどの違法行為を行っていたという。
「今日のリストです」後輩の山下が資料を手渡す。押収された創造派の物品は、背丈ほどあるキャンパスから小さなメモ書きまで、計213点。一部は会議室の机の上に置かれ、それ以外は床に敷かれたシートの上に丁寧に並べられていた。普段は粗雑な現場の警官たちが押収物を並べるときだけ誰よりも几帳面になるのが、私には不思議だった。
リストと照らしあわせながら、一つずつ物品を確認していく。風景画、肖像画、抽象画。完成されたものは少なく、大半は描きかけや、ラフなスケッチ。ただのメモ描きのようなものも多い。十分な画材も手に入らないのだろう。
「どうかな、なにか良さそうなものは」大橋部長が部屋に立ち寄って言う。組織上は私の上司だが、私のような特殊捜査官を部下だとは思っていないだろうし、私も上司だとは思っていない。私よりも年下で、当然ながら絵画のことなどなにも理解していない。部署異動でたまたま創造派対策を管轄することになって、たまたま私の上司になっただけ。
「幾つか筋の良さそうな作品はありますが」私はそう言ってから、言い直す。「多少は刺激のある物品がありそうです」
「それは良かった。二つ三つ、見つくろって上にあげてくれ」部長はそう言い、すぐに部屋を出て行った。想像派の物品になんて、一秒も関わりたくないというように。
「実際、どれが良さそうですか?」部長がいなくなってから、山下は意地の悪そうな顔で私に尋ねる。かつて大学で美術史を専攻した私と異なり、山下の世代では大学でなにかを創造することはすでに違法だった。しかし、並べられた創造派の物品がどれも凡庸であることは感じているように見えた。
「どれも私の趣味ではないな」私は無難に答えた。
「どういうのが趣味でしたっけ」山下は言う。返答によっては私の立場が危うくなる、意地の悪い質問だ。創造は違法で、それを楽しむことも許されないのだから。
私は少し考えて「AIが少しでも喜ぶような絵を見つけるのが私達の仕事だよ」と言った。そして、山下がさらに何か言い返すかを見た。もし私のしていることが創造への関与なら、それは山下も同じなのだということが伝わっただろうか。
山下はなにも答えなかった。私の返答に満足したのか、不満だったのかは分からなかった。若者の考えることは分からない。
創造派と警察のいたちごっこ。状況を端的に説明すれば、そういうことになるのだろう。違法の創造を続ける「アーティスト」と、それを追いかける警察。
しかし現実には、創造派の活動はだいたいにおいて見逃されていた。一つには、警察は忙しく、創造派が絵を描こうが詩を読もうが、世の中に実害はない。今朝のように、近隣住民からの通報が続いてようやく動く程度であった。
もう一つには、創造派の物品から、なにか新しいものが出てくるかもしれないという奇妙な、ねじれた期待があった。私達はすべての判断をAIに委ねるようになって、創造に関わる活動を取り締った結果、世界はかつてなく平和で安定したものとなった。しかしその代償として、素晴らしい勢いでしてきたAIが、その進化を止めてしまった。
AIの限界はもとからこのあたりだったのだ、という意見はあった。もはや行き着くところまで行き着いて、これ以上の進化は難しくなったのだと。一方で、AIの進化には人間の創造性が不可欠だったのではないかという見方も存在した。AIがこれまで進化してきたのは、他ならぬ人間の創造性に影響を受けてきたからなのではないか。
それでも大半のAI論者は、人間の創造性を規制したまま、AIはさらなる進化を遂げられると考えていた。そのために必要なのは、少しの刺激だけ。ちょっとしたパラメーターのゆらぎで、AIはまだまだ進化するのだ。
そういうわけで、定期的に押収される創造派の物品から、AIに刺激を与えそうな物を見つけ出すために、特殊な技能を持った捜査官が必要だった。美術について体系的に学んだ経験があるような、時代遅れの人間が。
49番が見当たらないことに気付いたのは、夕方になってからだった。山下がまとめたリストには「若い女性の絵、カラー」とだけある。
「49番はどこだろう」私は尋ねる。
「おかしいな」山下は言う。「それはちゃんと描かれたやつだったんで覚えてますよ。絵を描く用の布みたいなのに描かれてて」
「カンバス」
「そう言うんでしたっけ? 大きめのiPadくらいの大きさで、このへんに立てかけたはずなんですけど」
そう山下が指した机の上には、たしかにiPadくらいの空白があった。山下はこちらを見る。誰かが持ち出したのだろうか、と彼の目は言っているが、口に出すことはない。署内で創造派の物品を盗むような者がいるだろうか。
創造派の物品の一部が、好事家たちのあいだで高値で取引されていることは公然の秘密であった。現場で働く薄給の警官が横流しを手伝っていることも。
しかし現場の人間が盗みたかったなら、現場にいるあいだにそうしただろう。また、私達が検証を済ませた後であれば、創造派の物品は大半が破棄されるだろうから、そのときに盗むこともできるだろう。このタイミングで盗むのは、あまり賢明とは思えなかった。署内の監視カメラを確認すれば、犯人はすぐ見つかるに違いない。
「どうしましょうか」山下は言う。
私は溜息をつく。「押収したのは212点だったかな」
山下は笑って答える。「はい、そうですね。先のリストには誤りがあったので、書き直しておきます」
夜、見知らぬIDから着信がある。
「はい。どなたでしょう」
「やあ、警察の犬くん」
「ああ、創造派の坂田先生か」私は答える。坂田は大学の同級生だった。卒業後は作家になり、何冊かヒットも出した。もちろん、創造がまだ許されていた時代の話だ。「人気作家がこんな時間になんの用だろう」
「うちのメンバーの作品が、そっちに行ってるだろう。大半はクズみたいなものだが、一つだけ返して欲しいものがある」
「女性の絵か」
「どうして分かった?」坂田は言う。
「なぜあの絵が重要なんだ」
「近頃はカンバスを入手するのも大変なんだよ」
「それだけではないだろう」
坂田は溜息をつく。「うちのメンバーの娘が描いた自画像なんだ。残念ながら、彼女は一昨年、病気で亡くなってしまった。形見だよ」
私は少し考えて言う。「創り話だろうな。大作家先生も腕が鈍ってる」
「なぜそう思う」
「いまどきの若者が絵を描くだろうか。創造派の子供ならなおさら危険を知ってるはずだ。素直に、創造派のメンバーが隠れて娘の絵を描いたと言ったほうが信じた」
「批評家は嫌いだ」坂田は答える。
「大方、誰かから依頼を受けた物品だったのだろう。売る手筈がついていた」
坂田はしばらく黙った。そして言った。「絵を返してくれれば感謝するよ」
「こちらはすっかり忠実な警察の犬だからね」私は答えた。
「ところで」と坂田は言った。「まだ日記は書いているのか」
「いいや」私は答えた。きっぱりと否定したつもりだったが、そう伝わっただろうか。
「そうか、君がむかしネットに書いていた日記は面白かったのだけどな」
「私は文才がないから、創造に未練がなくて良かったよ」
「それじゃあ」坂田はそう言って、通話を終えた。
4月23日、金曜日。リストをもう一度確認し、大橋部長に、そしてAIに提出する物品を選ぶ。客観的に見て、面白いものがないわけではない。しかし、年老いた創造派が創りあげたものに、いまさら新規性などどこにもない。どれを選んでも結果は同じだろう。ろくな画材もなく描かれたスケッチを見て、AIが進化することなどあるだろうか。
「どれを選んでも同じですよね」山下もそう言う。しかし頷くことはできない。どの物品でも良いということは、私の仕事に意味はないということだ。警察が創造派対策をやめれば、山下は喜んで他の部署へ移っていくだろう。しかし私はただ仕事がなくなるだけである。
そもそもAIが押収した物品をすべて検査すればいいのだ。3点でも、213点でも、一瞬で分析を終えるはずだ。そこになんの刺激も価値もないことを瞬時に判断するだろう。
それでも私は無くなった絵のことが気になっていた。
「49番はどんな絵だった」私は改めて、山下に聞いた。
「若い女性の絵でしたよ。なぜか赤い服を着ていて、でもそれが合ってましたね」
昔は自由な色の服を着られたんだよ、と私は言おうか迷ったが、黙っていた。
「女性はまっすぐこちらを向いていて、たぶん十代の終わりくらい。綺麗な女性でした」
「いい絵だったわけか」
「ノーコメントですね」山下は笑った。「見てみたかったですか」
「なんとなく予想はつく」私は答える。「恐らく、丁寧に描かれた退屈な絵だったのだろう。昔はそういう退屈なものが沢山あった」
「提出したかったですか」
「いや、AIにとってもよく知ったような絵に過ぎなかったと思う」
山下は少し傷つけられた顔をして黙った。そのような表情を見るのは初めてだった。
週明けの4月26日、月曜日。大橋部長が逮捕された。創造派から押収された物品を盗難した容疑であった。若い女性の絵画、つまり49番を署内から持ち出しているところが、監視カメラに記録されていた。
49番は大橋の自宅から見つかった。好事家への横流しを計画していたと、本人は認めた。
「売るならもっと早く手放すべきでしたね。自宅に置いておくなんて」山下は言う。「もしかして、手元に置いておきたくなったんですかね」そして笑う。
創造派対策の担当部長が、創造派の物品に入れこんで盗もうとしたなら、それこそスキャンダルである。本人の本当の動機はなんであれ、警察は大橋が金目当てに物品を盗難したとして処理するだろうし、大橋もそれにわざわざ逆らうことはないだろう。
私は49番とようやく対面する。
「どうですか。自宅に置いておきたくなります?」山下は言う。
赤い服を着た魅力的な女性の絵。いかにも絵画のことを何も知らない人間が好きそうな作品。「実につまらないね」
2025/04/28 - 2025/05/11
この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。
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