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メンデルの悪魔

 全てが遺伝子のせいだったと、ある日人類が気付いた。人類は混乱した。しかしもちろん、いつものように乗り越えた。私が生まれ育ったのはそんな問題がすっかり落ち着いた時代だった。出産に用いられる精子は事前に厳しく選り分けられ、さらに将来に欠陥を残さないよう徹底的な遺伝子治療が行われた。それが人類の望んだ最善策だった。

 もちろん、全てがうまくいくとは限らない。私はそんな、うまくいかなかった失敗作の一人である。周りは美男美女ばかりだった。そして私は鼻が低く、顎も曲がっていて、醜男もいいところだった。痩せぎすで、近眼だった。集中力に欠け、勉強よりも外で遊ぶ方が好きだった。眠ると歯ぎしりをし、喋る時に固有名詞が出て来ないことがあった。どれも今日では異端だった。

 小学校では欠陥学級に入れられた。みんなが熱力学方程式について学ぶころ、私は九九を問いていた。七の段が覚えられなかった。両親は弟を二人作ったが、いずれも五歳までに自殺した。自殺願望は残された数少ない難病の一つだった。両親は離婚した。「私も欠陥子だったんだ」父は別れる最後に言った。「子供は完璧であって欲しかった」母は黙って消えた。私は一人で生活することになった。

 中学を出ると私は役所で働き始めた。なにしろ、誰もが完璧なのだから、たいへんな就職難の時代だった。しかし私にとっては、仕事を見つけるのはそれほど難しくなかった。大企業や役所にはどこも欠陥枠があったからである。私は二年、税務ロボットの保守を行い、もう二年、介護ロボットの保守を行った。法律で決められている時間を超えて、若いロボットががむしゃらに働かないよう見張る仕事だった。

 二十歳になって、遺伝子管理局に出向することになった。新しい仕事は精子選別ロボットの保守だった。ベルトコンベアに流れる精子のカプセルを、ロボットが丹念に選り分けて行く。ときどき、ロボットが完璧主義に陥って片っぱしからカプセルを捨て始めるので、私はそっと肩を撫でてやる。ロボットは落ち着き、ほんの少しの欠陥を許容する。こうして、髪が伸びるのが早いとか、前屈時に手の平がべったり床につかないとか、逆睫毛とかいった、多少の個性が子供たちに残る。それでなくても、遺伝子の偏りが問題になっていた。パンデミックが恐れられ、街には似たような男女ばかりが歩いていた。老人たちは若者の区別がつかないと嘆いたが、五十歳未満のポスト遺伝子世代には杞憂だった。彼らは人を見分ける能力も一流だからである。

 どうして私が、選別されたカプセルに自分の精子を混入させようとしたのかは分からない。ただの悪戯心だったのかもしれない。あるいは、自分の子孫というものを見てみたかったのかもしれない。欠陥子のコミュニティがあって、その中では比較的まともで通っていたから、結婚したいという女もいなくはなかった。しかし精子を管理局に差し出せば、全て非認定になるのは明らかだった。そして非認定精子を出産に用いるのは大罪だった。セックスそのものは興味がなかった。完璧な女性が出演するアダルトビデオを見るだけで十分だった。

 企みは何なく成功した。ロボットの目を盗んで、そっとカプセルを入れ替えるだけのことである。何も難しくない。今日では犯罪や失敗を誰一人として犯さないので、悪巧みや間違いはすべて想定外だった。私の精子カプセルは認定印を押され、冷凍トラックに載せられてどこかの街の、どこかの家で待つカップルへと消えた。私は少し笑いたくなって、実際にほんの少しだけ笑った。

 翌々朝、ニュースを見た私は、ニュースキャスターが暗い顔をしていたので驚いた。もちろん今日では、事件も事故も起きないので、ニュースには明るい話題しかなかった。ニュースキャスターは異常な精子が管理局に認定されていた、という事件を沈痛な面持ちで伝えていた。「祖母がもう一度チェックしようと言ったんです」優男がインタビューに答えて言った。私がすり替えたのは彼の完璧な精子だったのだろう。「ロボットのやることには信用が出来ないからって祖母が譲らないんです。判定して、驚きました」

 仕事へ向かうと、既に選別ロボットが一台、解体を始められていた。「お前のミスじゃない、気にするな」解体ロボットが私に型通りの言葉をかけた。「長く動いていると、思いもがけないミスが起きるもんだ。人間の言う完璧なんてものは、思い上がりもいいところだね」

 もう一体の解体ロボットが言った。「だいたい、この前もそうだったじゃないか。あの時はニュースにはならなかったけれど」

「この前じゃない、二十年以上前さ。人間の時間感覚ではね」一体目の解体ロボットが言った。選別ロボットはほぼバラバラにされていた。「ともあれ、今日は帰るんだな。明日には準備が整っているだろう」

 私は頷いた。二体目の解体ロボットは仕事を終えて、なぜかこちらをじっとこちらを見た。そして「君の顔には見覚えがあるな」と言った。

「やれやれ、お前も解体しなきゃいけないのか」一体目のロボットは言った。「人間は歳をとるんだぜ。プログラムに入れておけよ」

「ふむ」二体目は言った。「世の中には偶然があるんだな」

 私はロボットの言う通りに帰った。なぜだかものすごく興奮していた。その夜生まれて初めてセックスを経験した。残念ながら、思ったほど良いものではなかった。

 

2007/08/03 - 2007/08/08

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このページにある全ての記述は、特に明記のない限りフィクションです。また著者である小関悠が個人の立場で書いたもので、所属する組織などの立場や意見を示すものではありません。
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