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肉の缶詰

 金曜日、仕事あがりの時間を狙ったように、父親から電話があった。実際、狙っていたのだと思う。仕事中は迷惑をかけないように、という父の配慮。間違いなくなにか面倒な話なのだろうと思いながら、私は電話をとった。

 

「元気か」と父は言った。

「うん、まあ」と私は答えた。金曜日、仕事を終えたばかりで行くあてもない三十路の会社員は、概ねそれほど元気ではない。ただ、そのことを家族と議論するつもりはなかった。

「ちょっと面倒な話で申し訳ないが」と父は本当に申し訳なさそうに言った。

 ほらね。「どうしたの」

「兄貴が調子を崩して、そっちの大きな病院に入院してるらしい。週末にでも、見舞いに行ってくれないか。本当は自分が行かなきゃいけないのだが、そっちまで出るわけにもいかないし」

 父は「そっち」という言葉を強調して言った。電車で二時間もかからない距離なのだが、父にとって東京は今でも異国らしい。なにより、父には地元で大切な家業がある。私はそんな地元を捨ててそっちに出て行った月並の会社員で、週末には時間がある。単純化すればそういうことだろう。そんなことを考えていたら、父に返事をするのを忘れていた。

「行けるか。おまえは叔父さんと仲良かったから」

 

 父と叔父はだいぶ年が離れていて、少なくとも私が物心ついたころには、それほど仲良しの兄弟には見えなかった。長男なのに家業を捨てて東京の有名企業に就職し、それからも独身貴族を続けてきた叔父は、親族の中ではいつも浮いている存在だった。

 かくいう私も田舎の親族付き合いが大好きというわけではなかったし、地元の中高を卒業すると、さっさと東京の大学に逃げて来た。

 叔父と特別に仲が良かったという思い出はないが、父から見れば似たもの同士ということなのかもしれない。

 

「で、どこの病院?」私はそう聞いた。直接の返事をしなかったのは、自分でも意識的だったか無意識だったか分からない。

「住所を送る」と父親は言った。そして「ありがとうな」と言った。約束はなされた、と宣言するように。

 

 帰宅しながら叔父のことを思い返した。学生時代、上京したばかりの頃こそ何回か会って東京の食事をご馳走になったが、就職してからはほとんど会っていなかった。三年前に結婚式に来てくれたときが直接会った最後だろうか? あの時は元気そうだったが、あれも確か数年ぶりで、参列してくれた他の親戚と同じように、年を取ったなと感じた。

 それから私は離婚をしたので、両親などはさらに老け込むばかりである。叔父に会ったらまずその報告からしなければいけないと思うと、気が重くなった。

 

 土曜の午後、指定された時間へ面会に向かった。素晴らしい予定があったら素晴らしい休日になりそうな、暖かな天気の良い日。病院までの坂道をゆっくりと歩く。

 会ってみると、叔父は案外元気そうだった。

「元気そうで良かったです」と私は口に出して言った。

「まあ、いつ死んでもおかしくない年頃にしては元気なほうだよ」と叔父は言った。

 それから叔父は病院の話を長々とはじめた。知り合いが働いているので色々と融通をつけてもらえるが、食事はまずいし、目の前に国道があるので夜中までうるさいとか。病室のベッドに腰かけて外を見ていたかというと、すぐに立ち上がって部屋の中をうろうろとしながら話を続ける。動物園にいる檻の中で落ち着かない種類の動物のようだった。

 病院の話は、病気の話へと落ち着いて行くのかと思ったが、けっきょく体のどこが悪いのかさえ分からない。叔父はそのことを触れようとしなかった。

「そんなことはさておき」病院の悪口をひとしきり言ったあと、叔父は言う。「離婚したんだって? なにが原因だった?」

「寝相とか……」私は正直に答えた。

「はあ、なるほど、それはまあ分かるような」叔父は言う。「まあ俺は独身だから、究極的には分からないけど」叔父はそう言って自虐的に笑った。「ところで、この年になると本当に誰も見舞いに来ない。自分で言うのもなんだが、わりとたくさん仲間がいたはずなのに、みんなすでに死んでたり、自分自分も入院したりしていて」そう言って叔父はさらに笑ったが、私も笑って良いのか分からなかった。こういう笑えない話をする人だったな、と今更思い出した。

「なにか出来ることがあれば……」と私は紋切り型のことを言って、そろそろ退散しようかと思った。

「それなんだけれど」叔父は待ち構えていたかのように答えた。「出来たらでいいんだけど、肉を食べたいんだよ」

「肉?」私は聞いた。「肉というのは、その、骨のまわりにある」

「そうそう」

 それはつまり、おまえを食べたいとか、そういう意味なのだろうかと私は考え、返答に窮した。

「いやいや」叔父は察したかのように違う。「歴史で習わなかったか。俺が若いころは、牛とか、鶏とか、そういう肉を食べてたんだよ。残酷に聞こえるかもしれないが、本当の話、当時はそれがいたって普通だったんだ」

「牛というのは、動物の」そう聞くと、叔父は頷く。「食べるというのは?」

「まあ、その、摂取だよ。チューブってる。厳密には違うが、というかだいぶ違うのだが、まあ調べてくれ」

 私は叔父がどれくらい正気かを確認したかったが、まっすぐ目を見る勇気は出なかった。

「つまり、牛とか鶏とかを、殺して食べたい……から、持って来て欲しい……というような」私は呟く。「それってそもそも合法なんですか」

「いや、そこまで大袈裟なことは頼まないよ」叔父は言った。「このまえちょうどドキュメンタリーで見たんだ。なんでも日本には今でも肉の缶詰を作っている工場があるらしい。なにかややこしい法律の制限で、オンラインでは注文できないのだが、工場にある販売所へ直接行けば売ってくれるそうなんだ」

 私は溜息をつきたくなった。実際についてしまったかもしれない。

「調べてはみます」私は直接の返事をせずに、そう答えた。

「ありがとうな」と叔父は言った。約束はなされた、と宣言するように。

 

 病院から帰り、ちょうど家に着いたところで父が電話をかけてきた。こちらの行動を見通している。

「どうだった」と父は言う。

「元気そうだった」私は答える。

「そうか」父はそうとだけ言った。

「あと、肉が食べたいって言ってた。肉の缶詰。これから調べてみるけど」

 電話の向こうから、父の溜息が聞こえた。「面倒な人だよ、本当に」

「叔父さん、肉が好きだったの? 覚えてる?」

「知らない」父はぴしゃりと言う。

「自分では食べたことある? そもそも食べるってどんな感じ?」

「物心がつく前にはあったかもしれない。覚えてない。気付いたときにはチューブってたよ」

「そう」私は答えた。「叔父さんのために缶詰を探してみるけど、もし手に入ったら欲しい? 自分の分も買って食べてみてもいいと思う?」

「私はいらない。ただ兄貴のためになるなら買ってあげたらいい。自分のことは好きにすればいい。ただ、ちゃんと歴史は調べておくように」

「そうする」と私は答えた。

 

 私はいくつかの本を読んだ。肉食の習慣は60年ほど前にほぼ廃れた。その原因は資料によって色々と挙げられていたが、どれが決定的なものだったかははっきりしなかった。チューブの流行により肉をはじめとする食事の存在感が薄れたのだという見方がある一方で、当時すでに高まっていた肉食への忌避感に対して、チューブが生まれたのだという見方もあった。いずれにせよ、肉食が消えるころにはチューブがすっかり普及し、ほどなく食事という概念自体が消えた。

 肉食を守ろうという活動家たちは当時からいて、いまも存在していた。畜産業(なるもの)の保護のためと、チューブが機能しなくなったときの非常食(なるもの)の用途として、食肉の製造は今も細々と続けられているという。叔父が見たのは、この話だろう。

 私はだんだん肉の缶詰のことが気になっていた。缶詰の中にはなんの肉が入っているのだろう。動物園で見るような大きな牛や豚が、小さくてキラキラ輝く缶詰の中に入っているのだと思うと不思議だった。缶詰のためには、特別な肉が使われているのかもしれない。

 そもそも本物の肉は今や稀少で、昔は食べなかったような生き物の肉が利用されているのだという意見もあった。それどころか、昔のような本物の肉はもうどこへ行っても手に入らず、缶詰の中身も実際は植物や昆虫由来の成分ばかりなのだという主張もあった。

 実際に見てみるしかなかった。工場の直販所は平日の午前しか空いていないという。私は貯まっていた有給休暇を使うことにした。寝る前にチューブをセットしながら、私は味わうということについて考えた。

 

 朝から電車とバスを乗り継いで、工場に着いたのはもう昼前だった。地図に小さく直売所と書いてあった場所は、工場の隅の、ひさしのついた一角で、「販売中」と書かれた赤いのぼりが立てられていた。なにが販売されているかは書かれていなかった。下調べをして知ったが、食肉の宣伝は違法である。

 困ったことに、直売所には、のぼりの他にはなにもなかった。缶詰も、他の客も、売り手らしき人も。私はあたりをぐるりと見回した。都会にある小学校くらいの大きさの工場で、日曜日の小学校のように人気がない。お休みだったのかしらと思う。平日はいつでもやっていると書いてあったはずだが。

 大きなチャイムの音が鳴った。正午だった。すると直売所の脇にあった扉が開いて、中から若い女性が出てきた。「あれ」清潔な白衣を着た女性は言った。「お客さん?」

「はい」

「缶詰? どのタイプ?」

「その、肉の缶詰を探しに来たんですけど」

「初めてだよね」女性はこちらを品定めするように見て言った。

「はい」

「じゃあ、三つでいい?」女性はそう言うと、素早く奥から取り出して私に手渡した。灰色で、鈍い光沢のある、固い容器。缶詰だ。上部には開け口があり、それ以外にはなんの表記もない。

「はい、これで大丈夫です」私は手早く決済を済ませた。

「それじゃ、私、これから昼ごはんだから」女性はそう言うと、服の中から白い棒を取り出して口にくわえ、火を付けた。棒からは煙が上がっていく。

「あの、すみません」私は言った。「ちなみに、これはなんの肉ですか?」

 女性は棒を口に入れたまま返事をせず、かわりに缶詰の下側を指差した。ひっくり返してみると、底面には「原材料:豚肉、食塩、加工でんぷん、砂糖、発色剤」と書いてあった。

 

 その週末、叔父の病院にもう一度行って、缶詰を二つ手渡した。

「さすがだな」叔父はそう言うと、その場で器用に缶詰を開けた。手際良く準備していた細い棒を使って、中身を口に運ぶ。くちゃくちゃと叔父が肉を口の中で動かしている。これが食べるということらしい。

「満足?」私は聞いた。

「完璧だな。もっと買って来てくれても良かった。あまり多いと当局に目をつけられるかもしれないが」叔父はそう言って笑った。

 三つ目の缶詰のことは黙っておいた。

 叔父はあっという間に缶詰を空にした。「ああ、やれやれ、これが食事だよ、本当に」叔父は言った。「あとコーヒーがあれば完璧だったのだが」

 

2023/02/28 - 2023/03/06

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この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、この文章はフィクションであり、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

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