youkoseki.com

炎上広告批評:「ハーフの子を産みたい方に」とコピーライティングの受難

広告業界、今週の炎上という感じである。

 

概要

広告主:銀座いせよし

媒体:ポスター

 

企画の是非

まず2016年の広告が、ツイートひとつで今になって炎上しているのがすごい。広告業界ってわりと頻繁に色々な賞があって、過去の作品はマメにまとめられているので、今後こういう例がもっと増えていくのかもしれない。

 

私達はペットでも人形でもありません。

この屈辱を想像出来ますか?

もううんざりです。https://t.co/e6gYtwSHwf pic.twitter.com/W9Oo155pOh

— GRAY PRIDE (@graypridejapan) June 19, 2019

 

「ハーフの子を産みたい方に」が炎上中だが、他にもコピーはある。「ナンパしてくる人は減る。ナンパしてくる人の年収は上がる」「着物を着ると、扉が全て自動ドアになる」「着るという親孝行もある」「スマホでしか撮らなかったことを、久しぶりに後悔した」

 

「ハーフの子を産みたい方に」はまあ、アウトでしょう。2016年時点でもアウトだと思います。これは後述。

 

「ナンパしてくる人は減る。ナンパしてくる人の年収は上がる」「着物を着ると、扉が全て自動ドアになる」は着物の広告としてどうなの、モテるための着物なわけ、ブランドを自ら毀損してるのでは……という突っ込みはある。でも正直、コピーとしては笑ってしまう。

 

「着るという親孝行もある」は親の圧を感じるけど、広告としてはふつう。「スマホでしか撮らなかったことを、久しぶりに後悔した」もふつう。この二つには炎上の要素はなかっただろうし、「ナンパ~」と「自動ドア~」も、「ハーフの子を~」がなければ炎上しなかったと思う。

 

なぜ「ハーフの子を~」がいけないか、敢えて考えると、一つには(モテたい)自分と、(年収が高くて扉を開けてくれる)相手がいたとして、ハーフの子は言わば第三者である。個人の欲望に第三者(のイメージ)を巻き込むなや、というのは全うな批判だろう。炎上のきっかけがハーフの当事者、と敢えて書くけど、そこから生まれたのも納得できる。

 

ただ、それを抜きにしても、ちょっとしんどい広告である。広告というのは基本、商材という入口があって、買えばこんな良いことが起きますよ、という出口をアピールするわけだ。たとえば「着物→親孝行」というのはすごく分かりやすい。「着物→年収の高い人にナンパされる」は、趣味は悪いが、まあ分かる。

 

対して「着物→ハーフの子を産む」は単純に入口から出口までが遠すぎる。遠いから、その間は広告を見るほうが想像で埋めなければいけない。その想像とは、ここではセックスのことである。なぜ私は着物の広告で他人のセックスを想像しなければいけないのか。そう考えると、起用されたモデルの人もかわいそうだ。しんどい広告である。

 

コピーライティングの受難

炎上したコピーは今日でも2016年でも良くなかった。その大前提の上で、広告業界でよくある、ちょっとひねくれたこと、引っかかるようなことを言うコピーライティングの手法は、今の時代は難しくなってるのではないか、とも思う。それでなくても、ポスター広告のコピーライティングでは炎上が続いている(そごう、女子ハンドボール選手権、小学館ドマーニ等)。

 

たとえば着物の広告を、もっと普通にすることは当然できる。でも広告も商品もたくさんある世の中で心に残らない。だから広告の、少なくとも一部は、ちょっと変化球を投げて、人々の気を引こうとする。これは広告制作側の考え方である。

 

変化球なのでバランスは難しい。思ったよりいいところに収まるかもしれないし、思ったより悪いところに収まるかもしれない。それをちゃんとするのがプロの仕事だろうと言われればその通りなのだが、一般論としては、どの業界にも挑戦があって、挑戦には失敗がある。

 

「ハーフの子を産みたい方に」は間違いなく、かなりの変化球である。大暴投かもしれない。だから、広告の賞まで取ってしまったのである。今となってはみんなにとって皮肉なことだけど、それだけインパクトのある広告だ。

 

しかし、そもそも世の中はそんな変化球を求めているのか、という問題がある。たとえばこれが「着物でモテろ!」という広告だったら、その効果はさておき、誰も文句は言わなかったはずだ。広告業界の人は、違和感を与えるとか、問題提起をしたいとか言うのが好きだけど、受け手はそんな違和感を求めているのか、という話になる。

 

また別の長い話になりそうなのでそろそろ乱暴にまとめてしまうが、あっという間にTwitterで炎上してしまう今日では、違和感のあることを言おうとする従来のコピーライティングのスタンスそのものが見直される必要があるのかもしれない。今後も優れたコピーライティング、巧みな変化球は残るだろうが、世間が認めるストライクゾーンはどんどん狭まっているように感じる。

 

2019/06/20

ツイート このエントリーをはてなブックマークに追加

この文章は小関悠が書いた。特に明記のない限り、私と関係がある、もしくは関係のない、組織や団体の意見を示すものではない。

その他のコラム

あえて悪いことをする人は悪い人であること
セクハラやパワハラの問題がメディアなどでも大きく取り上げられる今日、表だって「セクハラ、パワハラ、大好き!」と言う人は限りなく少ない。しかし、現実にセクハラやパワハラをする人達は今もいる。……

人の価値をソーシャルメディアで計測しなくて良い
Instagramがいいねの数を非表示にするテストをはじめている。これにより、自分の投稿についたいいねの数は確認できるが、他人の投稿のいいね数は見られなくなる。……

炎上広告批評:自民党とViVi
旬の事案をみんなが次の話題に移る前にまとめてみます。……

12人いた話
大学一年のとき、ポケゼミという制度があった。一年生を対象とした、ポケットなゼミ?というものらしい。他の大学でも一般的なものなのか分からないし、そもそも私は今もゼミというものがよく分かってない。とにかく一年生が教授とわいわいやる会である。……