2."
日本語不思議図鑑"
読了。先日、日本語の曖昧さについて書いたところ(
11/06)、引用してこの本を紹介している方がいたので読んでみた。「地下十メートルは地下五メートル以上か、地下五メートル以下か」「三宮駅まで止まりません、という時に三宮駅には止まるか、止まらないか」「味わうことを強要するとき、味わわせるか、味あわせるか」「日本に天然資源が乏しいのか、日本が天然資源に乏しいのか」「東京、有楽町、新橋と駅がある時、新橋は東京から二つ目か、三つ目か」「ある種の魚はオボコ→イナ→ボラ→トドと名前を改めるが、名前を変えるのは三回か、四回か」といった疑問に答えているのだが、これらの例の答は全て「どちらもある」であって、言葉の柔軟さ、曖昧さを考えさせられる。反面、トリビアとしてはあまり役立たない。それでも幾つか学んだことを記録しておくと「会社員というのに会社長と言わないのは、権威の出所が明らかでないから。神戸市長、消防署長、
生徒会長、バレー部員など、国や学校や組織など権威の出所が明らかな場合は詰める。○○組組長、クラス会会長、バレー部部長など明らかでない場合は詰めない」「二十四時間おきが毎日定時を意味するのに対し、一日おきが二日に一度になるのは、日がハコであるのに対し、時がモノサシだから」「あるは
生き物、いるは
生き物以外にいうが、希望者があれば申し出よ、ヘリはまだヘリポートにいる、というようにその差はイメージである。同様に〜すきは
生き物以外に、〜のことすきは
生き物に適応できるが、わたしタモリすき、のようにその境界はやはりイメージで変化する」。