1.児童ポルノの単純所持が違法になるとか、インターネットのコンテンツフィルタリングが義務化されるとかの話を見ていると、みんなルールやガイドラインが好きだなあと思う。まあガイドライン板好きの私が言うのもなんだけど。ルールやガイドラインを愛する背景には日本における原則論のなさがあって、例えば表現の自由と人命とどっちが大事なの?とかいう難しい問題に直面すると、日本では「表現の自由も守りつつ、人命にも配慮して」とかいうことになる。だから日本には「自由のためなら死ぬ!」みたいな話がない。「命のためなら自由も棄てる!」みたいな話もない。しかしアメリカでは当たり前のテーマである。こうした原則論がないので、ある時は被害者遺族の感情配慮が最重要ということになり、ある時は残忍な加害者であれ極刑は反対ということになる。でもそれじゃあ困るから、ケースバイケースに応じて詰めたルールを作っておきましょうね、という話になる。でも万人が納得するルールを作るのは難しい。おかげであちこちから不満が出る。まあ原則主義のほうがいいのかというのも難しい問題だが、とまとめると日本的。
2.なんとなくこういう雰囲気は一部の女子校に通じるものがある。1980年代くらいに流行った、あれしちゃいけません、これしちゃいけません、という妙に些細な校則のある学校。日本の女子校化。あ!もしかしてこの世代の学生が今の若手〜中堅政治家なのか?
3.もう一つ。なんで「空気読め」という言葉が流行ってるのかというと、それは日本で空気を読むのはすごく難しいからではないからじゃないだろうか。難しいことを押し付ける苛めの一つとして「空気読め」が流行ってるんじゃないか。例えば「お前もカトリックなんだから死刑問題については空気読め」というシチュエーションがあったら、読める。「新自由主義なんだから関税問題は空気読め」と言われても読める。でも「日本人だから空気読め」と言われても日本には原則論がないので読めない。あるのはごくローカルな暗黙の了解だけで、じゃあ他の人が分からないようならルール化しましょうか、という話になる。うーむ、悪くない読みだと思うのだが、絶望する以外に方法論が浮かばない。
4.ヴィッセルとコンサドーレの試合を観る。どちらも攻撃の形がまとまらない展開が続きながら、前半終了間際にボッティがPKを獲得するが、キーパーに弾かれて先制ならず。逆に後半開始早々、ダヴィに決められて失点。もっとも、残り時間はヴィッセルが攻め続け、石櫃のゴールで追い付いたところで終了。ゴールを決めたからというわけではないが、石櫃は必要な時にちゃんと上がってきて、まともなクロスを上げる、教科書に載りそうなサイドバックである。
5.夜になって外出、新宿で第二回抽象会。
2007/06/30以来。幹事を任されていたのに何もせず、後輩が当日見つけたという店に数分遅れて到着。もともと抽象会は、飲み会で近況報告と社会/会社の愚痴以外のことを話したいという私の欲望から始まったのだが、「抽象的な飲み会をやろう」と言ったら私よりずっと抽象的思考を愛する人達が集まってしまった。良かったのかどうか。自己紹介もそこそこに、男ばかり八人で酒を飲みながら抽象談議。
6.今回も各自がお題を持ち寄るスタイルだったのだが、最初のお題は「穴は回転するか」だった。いきなりハードコアである。なんでも穴について書いた書籍が出版されて、穴業界はホットになっているそうだ。レコードが回転する時、レコードの穴は回転していると言えるか、という話なのだが、そもそも穴というものは存在するのか?穴は窪みと違うのか?回転と移動は違うのか?空間は回転/移動するのか?と多様な問題を孕んでおり、なかなか充実した議論になった。なぜか今回から最後は多数決で意見をまとめようということになり、穴は回転するということに落ち着いた。私個人としては穴というものは存在せず、従って回転しないという立場だったのだが、これは残念ながら少数派であった。ともあれ、このように逐次メッセージを発していくことが抽象会からの社会的還元と言えよう。
7.次のお題は「コンピュータとにらめっこができるか」というものだった。これはコンピュータは人間の表情を認識し笑うことができるかというのと、人間はコンピュータに対して本気で面白い顔をしたり恥ずかしいと思えるかという両面の問題がある。前者はできるだろうと早々に意見がまとまり、後者はチューリングテストの亜種のようだが、チューリングテストをパスするコンピュータが存在するように、にらめっこのできるコンピュータもできるだろうということになった。我々はコンピュータを信じているのだろうか、それとも人間を信じていないのだろうか。
8.三番目のお題は、学問と非学問の違いはなにか、科学と学問の違いはなにか、ということになった。数学は科学か、占いは学問か、法学は科学か、否定された体系(天動説など)は学問ではないのか、といった実例での検証に賛否が飛び交うなか、問題は次第に真理というものは存在するか、数学の公理系は真理なのか、というところへ推移して行き、論理とは世界にあるのか、脳にあるのか、言葉にあるのかという別の疑問に辿り着いた。結論として学問と非学問の境界はあるが、科学は定義できない、また論理は世界の仕組みとして存在する、ということになった。
9.四番目は私の提議で、浮気は提議できるか、という問題であった。浮気は契約の裏切りであるというのは簡単に言えることであるが、そのような契約が詳細になされていない場合、誰もが共通認識として捉えられるような浮気を提議することは可能か、ということである。ここでもデート、オナニー、獣姦など様々な例での検証が行われたが、結論は浮気を提議することはできない、ということだった。我々はどうやら、ほとんどのものの存在を信じていないようだ。穴の回転以外。
10.二時間で店を追い出される。あちこちからイッキ飲みのコールが聞こえる若い店だった。あんなにまずい焼きそばを食べたのは生まれて初めてだと思う。二次会の場所を探して歩くが、どこも満席。お好み焼き屋に辿り着く。
11.だんだんただの飲み会のようになってきたが、人間は他人を理解できるかという話になって、できないという結論になった。むかし野坂昭如の娘が、学校の試験に父の文章が出て来て「この時、著者はどう思ったか」とあったので本人に尋ねたところ「締切に追われてたいへんだった」という答えだったのでその通りに書き、バツを貰った、というエピソードを聞いたことがある。また友人いわく、鴻上尚史はやはり自作が試験に取り上げられ「これはどういう話か」という問に短い選択肢が挙げられているのを見て、「そう簡単に書けるならそう書くんだけどなー」と悩んだらしい。このように、人を理解するのは本人であっても難しいのであった。
12.また、新しい権利や新しい税金を作るといいのではないかという話になった。マイミク税、ページランク税、グーグル検索税、都市税などが挙げられた。マイミクの多い人は社会のハブとして貢献しているのであって、べき乗則をフラット化する必要はあるのか、という声も上がる中、「だって妬ましい」という反論もあって面白かった。
13.最後は脳死とか人生観という話になった。友人が「愛の波動が体から出てくる」ということを言い出したのが素晴しく面白かった。
14.23:00くらいに解散。今回もいい会だった。やはり定期的にやらなければならないという思いを強くした。もっとも、もう飲み会は基本的にみな抽象会でいいんじゃないかという気持ちもある。今日は仕事の話とか愚痴を言いたいなあ、という時だけ具象会として集まればいい。
15.帰宅したらTOEICの細かなスコアが郵送されて届いていた。読解系は満点で、文法もそれほど悪くなかったが、語彙が大きく悪かった。周囲を見ると、900超えの人達はだいたいリスニングが満点近い。次の一手はどうすべきかな。