1.古いCDを聴いていて思ったが、最近はDavid Foster式の、終盤で転調する感動のバラードがめっきり少なくなった。いいことだ。
2.昔から「特技は」と聞かれてサッと答えられるような人間になりたかったが、未だに特技と言えるような特技がない。資格と言えるような資格もない。まあ「なんという特技も資格もないが、そこそこちゃんと生きて死んだ」というのも悪くない。
3.私はあまりカタカナ語が好きではないが、カタカナ語が便利な状況というのも確かにある。例えばバージョンアップは改訂と言ってもいいが「Windowsの大幅な改訂」と言ってはかえって耳馴れない。カバレッジは適応範囲のことだが、これは英語の方が明らかに言いやすい。ベターを「より良い」、ナイス・トゥ・ハブを「あればいいな」と訳してもいいが、ニュアンスまで同等であるかは分からない(そもそも英語のニュアンスをみなが共有しているかはさておき)。さて、もしカタカナ語の利用が人間が持つ省力化本能、もっと簡単に適切に言いたいという気持ち、に基づくのであれば、英語に限らず様々な言語を吸収することで、もっと洗練された言語を作ることが出来るのではないか。あるいはマルチリンガルな人達が集まると、各々の言語の良いところを生かした洗練された会話になるのだろうか。
4.犯罪白書によると、犯罪者の六割が再犯らしい。犯罪者を見ると犯罪者と思え、ということか。罪を犯した人でも償ったのであれば差別してはいけません、というのは教育的には正しい考え方だろうが、こうした統計があると、例えば前科のある人は差別して近寄らないほうが合理的な生き方かもしれない。教育はファンタジーなのか、それとも統計こそがファンタジーなのか。
5.そこで思いついたジョーク。「統計の九割はなんらかの誤りがあり、正しいものは二割だけである」
6.細かなことに苛々して仕方がない。自分を見つめる時期と思い込む。"
ウディ・アレン映画の中の人生"にも、ずいぶん考えさせられた。人生の総括に入っている人間の言葉には聞くべきものがある。私はもっと寛容になるか、皮肉のうまい人間になる必要がある。もうすこし寡黙になるか、饒舌になる必要もある。
7.京阪の丸太町、四条、五条の各駅が、それぞれ神宮丸太町、祇園四条、清水五条に改名されるらしい。「丸太町って丸太町のどこだよ」というのは皆が抱いていたツッコミなので方針としては良いことなんだろう。しかし祇園はともかく、(平安)神宮と清水(寺)には距離がないか。なぜ素直に川端丸太町、川端四条、川端五条にしないのかは疑問が残る。
8.そのうち「嫌いな人を呪い殺すライフハック」というようなもののが出てくるのではないかと思っていたのだが、まだ見かけない。そのかわり今日はITmediaに「Internet Explorer 7の同時ダウンロード数を増やす」という記事がVistaのTipsとして掲載されていた。「サーバ側に負荷をかける行為になるので、理由なく同時接続数を増やすべきではないとの見方もある。ここでは同時接続数を4つに増やす方法を紹介するが、接続するサーバ側の負荷にも配慮し、問題ない場合に限って使うのがよいだろう」まったくひどい文章である。いったいどうやってユーザがサーバの負荷を理解するというのだろう。
9.今更ながらレッズの主力がアテネ世代/谷間世代であることに気付いた。鈴木、闘莉王、阿部、長谷部、田中、相馬もだ。
10.そのレッズのAFCチャンピオンズリーグ決勝戦第一戦に合わせて帰宅。晩御飯を大急ぎで作って食べながら観る。BS朝日はまんをじして実況に角澤アナを投入。ここまで技能の向上しないアナウンサーも珍しいと、最近は感心しながら聞いている。