1.仕事を終えて恋人に電話をしたら家にいるという返事。たいへん珍しい。駅に着いたら、迎えに来てくれてた。
2.09/05にAppleがスペシャルイベントを開催するそうな。120GのiPodが出たら買おうと思うが、全てフラッシュメモリ型という噂もあり。
3.「ネットカフェ難民」という存在/概念/言葉が浸透しつつあるが、日本複合カフェ協会というところが『いわゆる「ネットカフェ難民」について』という声明で、この言葉の乱用を非難している。引用すると『私ども複合カフェにとっては皆さん大事なお客様なのです。私たちはそのようなお客様を決して「難民」とは考えておりませんし、絶対呼びません』『「難民」とは『戦禍・政難を避けて流浪する亡命者』(「広辞苑」より)と定義されているように、国際社会における深刻な人権問題として位置づけられています。それを、一般社会と隔たりのあるケースにおいて「○○難民」と安易に定義づける傾向を私たちは危惧しています』『私たちは複合カフェ業界の健全な発展のために日々努力しておりますので、私たちのお客様を「ネットカフェ難民」と呼ぶのはお止め下さい』とのこと。なかなか、読んでハッとさせられる文章だった。そもそもネットカフェ難民が本当に社会問題と言えるほど存在するのか、という議論もあるわけだが、いずれにせよネットカフェ=難民というイメージ付けがされることは業界にとってなにも嬉しくないわけで、いい声明である。私自身まったく無意識だったが、確かに、ある業界の顧客を難民呼ばわりするのはいいことではない。さて、そうなるとネットカフェを生活の基点としているような人達をなんと呼ぶか。声明では微妙に問題をすり替えられているが、ネットカフェ難民という問題が存在する(と言われている)以上、定義がないといけない。せっかくなので代替案も示して欲しかった。
4.いつも思うのだが、二段組の論文は一行の文字が少なすぎる。だいたい二十文字強しかない。最近の携帯といい勝負だ。A4縦二段組というのは輸入文化なのだろう。
5.Wikipediaの編集履歴に表示されるIPを用いて、編集した企業・組織を検索するWikiscannerというのが開発されて、たいへん盛り上がっているようだが、これは逆説的にWikipediaの正義について再考させられる事態ではないか。一部のユーザは「○○社が自社製品の悪評を削除!」とか「国家組織がWikipediaを検閲!」とか言って単純に盛り上がっているが、じゃあ何を書いて何を残すべきなのか。「ある事柄に対する正しい記述」を定義することも保証することも不可能だというのに、さも正解があるかのようにとやかく言うのも変な話である。
6.例えば、Technobahnは「内閣府もWikipediaを改ざん、猪口大臣に関する批判的記述を削除」という記事で、内閣府が「このように、独断で行動する猪口に対し、閣内、党内から批判の声が上がっている。初当選からまだ日が浅く、国会議員としての未熟さが招いた事態ともとも言える」という記述を削除したと書いている。Technobahnは「当時の内閣府は猪口大臣に対する批判的な論調をもみ消そうとしていたことがWikiscannerを使った調査により辛くも明らかになった格好だ」と記事は結んでいる。うーん、これが「もみ消し」か?これはWikipediaの言う「中立的な観点」に基づく編集じゃないか。だって、削除された記述はただの意見なんだもの。もっとも、Wikipediaでは偏った意見であってもすぐに削除はするな、と薦められており、そういう意味ではハウスルール違反である。しかしこのハウスルールが、偏った意見はすぐに書けるが、すぐには消せない、よって偏った意見が増殖する、という構造を生んでいるのも事実である。なんとなく、2ちゃんねるの削除依頼を彷彿とさせる。
7.西和彦氏がWikipediaの自分の項を編集し、議論になったことを思い出した。もし僕が、Wikipediaという存在を知らなくて、しかしそこには誰かが書いた自分のプロフィールがあって、しかも間違いだらけだったら、そりゃあ西氏のように削除するだろう。自分で自分のページを編集してはいけないとか、まずノートで議論するとか、そんなハウスルールは知るかと。モラルを最初に欠いたのは嘘を書いたWikipedianであり、次に欠いたのは中立的な観点を標榜しながらそれを放置し続けたWikipediaなのである。だから僕は、2ちゃんねるにひどい書き込みがあった時、削除依頼も出さずに2ちゃんねるを訴える人達にも同情する。削除依頼はハウスルールなのであって、2ちゃんねらーがどれだけ馬鹿にしようと、被害者がそれに従ってやる義理はないのである。
8.まとめ:Wikipediaは「中立的な観点」について理想論を等々と語っているが、実運用のテクニックが整わない現状では、その実現は期待できない。ハウスルールは整備されているが、新参者は無視するし、そもそも社会的なルールとなり得ていないのに、ユーザにそういう相対的な視点がない。2.0主義者は「変な記述もあるけど、概ねうまくいっている」と言うだろうが、変な記述に振り回される個人や団体がいる以上、問題はマクロではなく、ミクロで考えるべきなのである。
9.ハードウェアの時代があって、ソフトウェアの時代があって、コンテンツの時代がやって来た。コンテンツの時代はあんまり長続きしない気がする。コンテンツは時間を消費し、時間は有限だから。