1.家にアーケードゲームのテーブル筐体があったらお洒落かもしれないと思った。お洒落なテーブルにディスプレイを埋め込んでMAMEを動かした方が早いかもしれないが。
2.恋人と朝からカレーを食べる。夏を嫌うあまり、頭から八月という概念が抜け落ちつつある。なぜまだ高校野球をやっているのか分からない。
3.Wikipedia「フォークソノミー」の頁から引用。「フォークソノミーはユーザー自身による分類システムで、それゆえ実装にかかるコストは高くないため、フォークソノミー支持者はこれが伝統的で制度化された分類法や統制語彙に代わる、便利でローコストのコンテンツ分類法になると信じている。彼らは、従業員による社内文書や事業などに対するフォークソノミーを「新興の事業用分類法」と見ている。中には、職場の民主主義的運営を実現でき、業務管理を実務にかかわる社員の間に分散させる有用な手法であると信じている者もいる」書き手の憤りを感じる、なかなかいい文章だ。
4."
Life is beautiful"の「テレビ番組の低俗化に関する一考察」という記事を読んだ。"
Life is beautiful"は人気Blogの一つで、筆者がCANDYの開発者だと先日知って驚いた。記事の中身は、もう何回繰り返されたのか分からない「最近のテレビは低俗化してつまらない」というものだが、なぜこの類の愚痴が何度も何度も繰り返されるのか、今になって気付く。テレビへの愛情のせいだ。一般的に言うとメディア愛。
5.メディア愛という概念は誰かがどこかで提唱しているのではないかと思うが、とりあえず自分でも書いてみる。例えばテレビ視聴者にはテレビに対して「見る/見ない」という軸と、コンテンツに対して「面白い/面白くない」という軸があって、面白くないけど見るという中毒患者みたいな人が「なぜ最近のテレビ・コンテンツは面白くないのか」と憤るという構図がある。今になって気付いたのは、そうした二軸とは別にテレビそのものに対して「好き/嫌い」という軸があって、おそらくそれがメディアとの付き合い方を決める上でたいへん重要なのではないかと思う。端的に言って、テレビの低俗化に憤る人はけっきょくテレビが好きなのだが、それを積極的には顕在化させようとしないのだ。心密かに好きだった異性と離れ離れになって、久方ぶりに会ってみたら容姿が激変していて、「彼女はこんなんじゃない」「昔のほうが良かったな」と呟いてみたら「おめー○○が好きなのかよ」なんて冷やかされ「ちげーよ、ぜんぜん」と答えてしまうような状況に似ている。
6.ゲームでもインターネットでも2ちゃんねるでも、つまらないつまらないと言いながら没頭している人達がいる。そういう人達は「もっと面白いゲームを作ってくれ」「昔のインターネットはもっと刺激的だった」「最近のガイドライン板はいかがなものか」と言う。私もそうである。「つまらないならやめれば?」という真っ当な問いには、「そうじゃない」としか答えられない。「私はテレビを愛している。時間の無駄と分かっていても見てしまう。そんな私にせめて、もう少し面白くてためになる番組を提供してくれないだろうか」と言えれば良いと思うのだが、なかなか難しい。それは淀川長治のレベルかな。
7.サッカーのオリンピック最終予選、ベトナム対日本を後半から観ることが出来たが、最後まで観る気になれなかった。平山はキーパーのいる場所に蹴る能力がとても高い。