1.実体験から人生について知ったようなことを言う人は経営者からコンサルタントからスポーツマンからアルファブロガーから占い師から枚挙にいとまがないけれど、いずれにせよ聞く気になれない。人生は一度しかないので、その一度の経験で価値判断をされても、そりゃー、あんたはうまくいったかもしれないけど、検証されていない理屈に価値なんてあるのだろうか、と思ってしまう。例えば私は二度乗馬をやったことがあるけれど、その実体験から乗馬について知ったようなことを言ってもほとんどなんの意味もない。子育てについても同様で、少なくとも十人くらいは立派に育ててくれないと、価値判断されても意味がないのではないか。
2.IT業界にいるとGoogleで調べれば何でも出てくるじゃん、と思い込んでしまうが、ちょっと他の業界に立ち寄ると一気に怪しくなる。びっくりするくらい情報がない。情報があまり流通しない業界を見つけてそこで情報産業をやる、というビジネスのやり方はありそうだ。リクルートかな。
3.Blogger同士が論争をする時は期限を決めたほうがずっと良いと思うのだが、誰もやらない。だらだらと続くから本筋が分からなくなるし、皮肉や婉曲表現が増える。後出しじゃんけんや、一方的な勝利宣言も出てくる。まるでプロレスの世界。プロレスは嫌いではないが、プロレスを目指すのであればもっとエンターテイメント性が必要だろう。それよりは将棋のように、三日なら三日と持ち時間を決めて、とにかく直接的に意見と反論を書きまくり、あとは読者の判定に任せる、というのが潔いのではないか。
4.おそらく、論争において人は勝ちたいというより、負けたくないという意識が上回るのではないか。だから好きな時にいつでも言い訳を追記できるBlogというのは、たいへん論争に向いたメディアだといえる。
5.まだ6月上旬のような気がする。最近、最初から最後まで自分がやることでないと、なかなかやる気がでない。家で食べるごはん以外は食欲もない。
6.出来れば社会のことはあまり考えたくないと最近思っている。社会批評は誰でも出来るし、文句を言ってれば同意を得られるし、社会は反論しないので、たいへん手軽である。最近はどのようなジャンルにも批評家がいて、外れたことを言うと叩かれる、よって人々は社会批評に逃げ込んでくる、という流れを思いついたが、実際はどうなのか分からない。えらい学者が歳をとって専門分野を離れ、最後は社会批評家に落ち着くというのと似ているのかもしれない。
7.つまり私はブロゴスフィアに蔓延する社会批評にほとほと嫌気が差しているのだが、それは批評と捉えるからいけなくて、エッセイだと見なせばいいのかもしれない。内田樹が以前、大学退職後に「エッセイストのウチダさん」と紹介されることになったら悶絶するだろう、と書いていたが、まさにそういうことなのである。アルファブロガーって結局は売れっ子エッセイストのことかもしれない。最近の梅田望夫を見ているとそう思う。
8.初めて使ってみたが、まさにそういうことなのである、というのはなかなか中毒性の高い用語だ。最近は「的」「みたいな」「思う」といった弱い言葉が流行りだが、好景気と共に、そろそろ強い言葉の時代が来るのではないかと考えている。
9.Wikipedia「江本勝」の項から引用。『「水は人の言語を理解する」といった特異な視点から水を研究しているが、その理論は波動などで飾られており、一般に彼は典型的な疑似科学者であると見なされている。現在20万部以上売れている『
水からの伝言』の著者として有名。彼の著作は海外にもよく知られているとされており、海外公演も頻繁に行なっているという』なんといっても「知られているとされており」という表現が絶妙だな。でもWikipediaの英語版をはじめ、ドイツ語版、スペイン語版、フランス語版、韓国語版やヘブライ語版、ロシア語版までページがあるので、残念ながら実際によく知られているのだろう。英語版によると、疑似科学批判で有名らしいジェームズ・ランディという人は"
水からの伝言"について、二重盲検比較試験に通れば100万ドルを出すと言っているらしい。
10.ゴールデンイーグルスが元ドラゴンズのドミンゴ・グスマンを獲得するらしい。Wikipediaにあって知ったのだが、ドミンゴは18打席連続三振という世界記録を持っているそうな。
11.またnVidiaドライバの調子が悪くて閉口するが、今日ようやく根本的な原因が分かった。/etc/init.d/になぜかnvidia-glxとnvidia-glx-legacyが両方あった。後者はremoveしたはずなのだが、残っていた。おかげで起動するたび、せっせと古いドライバを読み込もうとしていたようだ。うまく動いても再起動すると駄目になる、という症状と符合する。あー、すっきり。